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悪役令嬢レティシア、二人になりました  作者: 南蛇井


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第4場面 クラリスへの相談

 王宮の庭園。


 午後の陽射しが、整えられた花壇を柔らかく照らしていた。


 噴水の水音が、静かに響いている。


 その一角にある小さな東屋で、アルベルトとクラリスは向かい合って座っていた。


 アルベルトは、先ほどから何度も口を開きかけては閉じている。


 クラリスはそんな彼を見つめ、首を傾げた。


「殿下。何かお悩みですか?」


「……うん」


 アルベルトは、卓上に置かれた紅茶へ視線を落とした。


 そして、意を決したように顔を上げる。


「レティシアが、もう一人の自分と一緒に暮らしたいと言っている」


「それは……」


 クラリスは一瞬、目を瞬かせた。


 けれど、すぐに微笑む。


「素敵なことではありませんか?」


「君は、そう思うのかい?」


 思わず、アルベルトの声が上ずった。


 クラリスは不思議そうに彼を見る。


「だって、失ったものを取り戻したいのでしょう?」


「それが……二人のままでも?」


 その言葉に、クラリスは黙り込んだ。


 庭園を渡る風が、花の香りを運んでくる。


 少し離れた場所で、鳥が一度だけ鳴いた。


 クラリスは、ゆっくりと考えた。


 レティシアが二人に分かれた。


 一人は王都に残り、もう一人はグランフェルへ追放された。


 そして今、王都にいるレティシアは、辺境へ向かい、もう一人を迎えに行こうとしている。


 それはつまり。


 どちらかを消して、元に戻すのではなく。


 二人とも、レティシアとして生きるということだ。


「……二人のままでも、よいのではないでしょうか」


 クラリスは、静かに答えた。


 アルベルトは、ほっとしたような、困ったような顔をする。


「でも、婚約者が二人になる」


「……」


 クラリスの表情から、微笑みが消えた。


 しばらくの間、何も言葉が出てこない。


 王家の婚約。


 侯爵令嬢としての身分。


 貴族社会における正式な立場。


 そうしたものを考えれば、確かに簡単な話ではなかった。


 クラリスは、そっと紅茶のカップを置く。


「それは……王家の制度としては、難しいでしょうね」


「そうだろう?」


 アルベルトは、少しだけ身を乗り出した。


「僕も、そこが問題だと思っているんだ。レティシアを責めたいわけではない。彼女が自分の意思で何かを望んだことは、僕も嬉しいと思う」


 そこで、アルベルトは言葉を止めた。


「けれど、どうすればいいのか分からない」


 クラリスは、黙って彼の話を聞いていた。


 アルベルトの困惑は、よく分かる。


 王族として考えれば、制度を無視することはできない。


 けれど、レティシアの願いを聞けば、ただ「駄目だ」と言うこともできない。


 その間で、彼は立ち止まっているのだ。


「ですが」


 クラリスは、静かに口を開いた。


「レティシア様が初めてご自分で望んだことを、最初から否定してはいけないと思います」


 アルベルトは、黙ってクラリスを見た。


「……そうだね」


「制度の問題を考えることは、必要です。王家に関わることですから」


 クラリスは、言葉を選びながら続ける。


「ですが、その前に。もう一人のレティシア様が、何を望んでいるのかを確認しなければならないのではないでしょうか」


「彼女が、王都へ戻りたいと思っているかどうか」


「はい」


 クラリスは頷いた。


「レティシア様は、もう一人のご自分を迎えに行くとおっしゃいました。けれど、迎えに行くことと、連れ戻すことは同じではありません」


 アルベルトの目が、わずかに揺れる。


 クラリスは、膝の上で手を重ねた。


「以前の私たちは、レティシア様の一部を、不要なものとして扱いました」


 その言葉を口にした瞬間。


 クラリスの胸の奥が、少しだけ痛んだ。


 断罪の日。


 大広間に立っていたレティシア。


 周囲の声に囲まれ、冷静に証拠を求めていた彼女。


 自分は、そのとき何も分かっていなかった。


 レティシアの鋭さを。


 怒りを。


 譲らない強さを。


 ただ怖いものだと思い、遠ざけようとしていた。


 そして、彼女の中から切り離された部分を。


 誰もが「悪いもの」と呼んだ。


「今度は……」


 クラリスは、ゆっくりと顔を上げた。


「もう一人のレティシア様を、都合よく連れ戻すことになってはいけません」


 アルベルトは、何も言わなかった。


 クラリスの言葉は、静かだった。


 けれど、その一つ一つが、深く胸に残った。


 もう一人のレティシア。


 彼女は、王都から追放された。


 けれど、追放された後も、そこで生きている。


 水路を直し。


 鉱山の問題を解決し。


 辺境の人々に頼られながら。


 彼女自身の時間を過ごしている。


 そこへ王都の都合で迎えに行き、「戻ってきてほしい」と言う。


 それは、本当に彼女のためなのだろうか。


「……君の言う通りだ」


 アルベルトは、やがてそう答えた。


「まずは、本人たちの意思を聞かなければならない」


「はい」


「王都に戻るのか。二人で暮らすのか。それとも、別々の場所で生きるのか」


 アルベルトは、庭園の向こうへ目を向けた。


「僕たちが決めることではないんだね」


「そうだと思います」


 クラリスは、穏やかに頷いた。


「レティシア様たちは、お二人ともご自分の人生を持っているのですから」


 噴水の水音が、再び静かに響いた。


 アルベルトは、しばらく黙っていた。


 そして、机の上に置いていた紙を取り出す。


 そこには、彼が書き出した八つの項目が並んでいた。


 レティシアは二人いる。


 二人とも、レティシア本人である。


 一人は王都。


 もう一人はグランフェル。


 アルベルトは、その下に新たな一文を書き加えた。


『二人が何を望んでいるのか、先に確認すること』


 クラリスは、その文字を見つめる。


 そして、自分の中にも一つの問いが生まれていることに気づいた。


(私は……もう一人のレティシア様を、どうしたいと思っているのでしょう)


 王都へ戻ってきてほしい。


 そう思っていた。


 けれど、それは本当に彼女のためだったのだろうか。


 それとも。


 自分たちが安心するために、戻ってきてほしいと思っていただけなのだろうか。


 クラリスは、答えを出せなかった。


 ただ、今度は急いで決めてはいけない。


 そう思った。


「殿下」


「何だい?」


「もう一人のレティシア様にお会いしたら……どうか、きちんと話を聞いてあげてください」


 アルベルトは、静かに頷いた。


「分かった」


 それから、紙を見下ろす。


 問題は、まだ何一つ解決していない。


 婚約者が二人になることも。


 二人の身分をどう扱うかも。


 王家や貴族社会が、それを受け入れられるかも。


 けれど。


 少なくとも、最初に確認すべきことだけは分かった。


 二人のレティシアが、何を望んでいるのか。


 その答えを聞く前に、誰かが決めてはいけないのだ。


 庭園を、柔らかな風が通り抜ける。


 アルベルトは、紙を折りたたんだ。


 今度は、裏返さなかった。


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