第14話 王子、大混乱 第1場面 王子への報告、再び
王宮。
アルベルトの執務室には、朝から重い空気が漂っていた。
机の上には、決裁を待つ書類が積み上がっている。
その向かいには、ヴァレンフォール侯爵と令嬢レティシアが座っていた。
アルベルトは、二人を交互に見つめる。
すでに話は聞いている。
レティシアがグランフェルへ向かうこと。
そこにいる、もう一人のレティシアに会いに行くこと。
それでも。
本人の口から改めて聞くとなると、どうにも落ち着かなかった。
「それで……」
アルベルトは、慎重に言葉を選んだ。
「君の半分って……悪役令嬢のこと?」
「はい」
レティシアは、迷いなく頷いた。
あまりにも自然な返事だった。
まるで、「明日の朝食は何にするの?」と尋ねられたかのように。
アルベルトは、少しだけ姿勢を正した。
「彼女を連れ戻して、どうするの?」
「一緒に暮らします」
「……」
室内が静まり返った。
窓の外では、小鳥が一羽、枝から枝へ飛び移っている。
その声だけが、妙にはっきりと聞こえた。
レティシアは、黙り込んだアルベルトを不思議そうに見つめる。
「何か問題でも?」
「いや……」
アルベルトは、額に手を当てた。
「僕の婚約者が二人になるんだけど」
「……?」
レティシアは、瞬きをした。
「そうですわね」
「そうですわね、ではなくて!」
思わず、アルベルトの声が大きくなる。
侯爵が咳払いをした。
「殿下。落ち着かれよ」
「落ち着いていられる話ですか、お義父上!」
「まだ正式に決まったわけではない」
「ですが、レティシアは一緒に暮らすと言いました」
「ええ」
レティシアは、当然のように頷いた。
「だって、どちらも私ですもの」
「そこなんだよ!」
アルベルトは、机の上に両手をついた。
「君たちが同じ人間だということは分かっている。分かっているけれど……」
「けれど?」
「同じ顔をした令嬢が二人いて、どちらも僕の婚約者だということになるんだ」
「それは……」
レティシアは、少し考えた。
アルベルトは、その様子を見ながら身構える。
今度こそ、何か問題に気づいてくれるかもしれない。
しかし。
「とても分かりやすい状況ですわね」
「どこが!?」
「私が二人いるだけですもの」
「それが大問題なんだ!」
思わず叫んだアルベルトを見て、レティシアは目を丸くした。
(殿下は、ずいぶんとお疲れなのかしら)
隣で侯爵が、深々と息を吐く。
「レティシア。殿下が懸念されているのは、王族としての婚約制度や、貴族社会における身分の扱いだろう」
「ああ……」
レティシアは、ようやく納得したように頷いた。
「そういうことでしたのね」
「そういうことなんだよ……」
アルベルトは、疲れた声で椅子に背を預けた。
レティシアにとっては、二人とも自分だ。
ならば、二人で暮らすのが自然だった。
片方だけを選び、もう片方を追い出す理由などない。
けれど、王族の婚約という立場から見れば。
話は、そう簡単ではない。
アルベルトは、ひとつ息をついてから尋ねた。
「彼女は、王都に戻ることを望んでいるのかい?」
「それは、まだ分かりませんわ」
レティシアは、今度は少しだけ考えてから答えた。
「私は、まず本人の話を聞きたいと思っていますの」
「では、君が連れ戻すと決めたわけではない?」
「はい」
「……」
アルベルトの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。
少なくとも、勝手に決めつけているわけではないらしい。
しかし、レティシアは続けた。
「ただ、もし本人が望むなら。一緒に暮らしたいと思っていますわ」
「僕の婚約者として?」
「それは……」
今度は、レティシアが言葉に詰まった。
考えてみれば、そこまで具体的に考えていたわけではなかった。
ただ、二人で暮らしたい。
もう一人の自分が、どこか遠くに置き去りにされているような状態を終わらせたい。
そう思っていただけだ。
「……まだ、そこまでは考えておりませんでしたわ」
アルベルトは、少しだけ安堵した。
だが同時に、別の不安も浮かんでくる。
「では、君は彼女をどうしたいの?」
「どうしたい……」
レティシアは、胸の中で言葉を探した。
連れ戻したい。
会いたい。
話したい。
自分に何が欠けているのか、確かめたい。
けれど、それだけではない。
彼女がグランフェルでどんな時間を過ごし、どんな人々と関わり、どんな場所を作ってきたのか。
それを知ってしまった今。
ただ「私の半分だから」と言って、王都へ連れて帰ることはできない。
「……あの方が、どうしたいのかを知りたいのですわ」
レティシアは、ゆっくりと言った。
「私がどうしたいかだけではなくて。あの方が、何を望んでいるのか」
アルベルトは、黙って彼女を見つめた。
その言葉は、以前のレティシアからは聞けなかったものだった。
以前の彼女なら、周囲の意見を聞き。
相手の望みを優先し。
最後には、自分の希望を引っ込めていた。
けれど今の彼女は、自分の願いを持っている。
それでも、相手の意思を無視しようとはしていない。
アルベルトは、複雑な気持ちで視線を落とした。
「……君は、変わったね」
「そうでしょうか?」
「うん」
レティシアは、少しだけ微笑んだ。
「私自身では、よく分かりませんわ」
その返事を聞いて、アルベルトはまた頭を抱えた。
「分からないことが多すぎる……」
「殿下?」
「いや、何でもない」
何でもないはずがなかった。
婚約者が二人になる。
しかも、その二人はどちらもレティシア本人で。
片方は王都にいて、もう片方は辺境にいる。
そのうえ、二人とも別々の意思を持っている。
アルベルトは、机の上の書類を見つめた。
王宮のどんな難題よりも、整理が難しい気がした。
その様子を見ていた侯爵が、静かに口を開く。
「殿下。まずは、本人たちの話を聞くことです」
「……そうですね」
アルベルトは、ようやく頷いた。
「制度のことは、その後で考えましょう」
レティシアは、父とアルベルトを見比べた。
そして、胸元に手を添える。
「はい。私も、そのつもりですわ」
彼女はまだ知らなかった。
自分が「一緒に暮らしたい」と口にしただけで。
王子の頭の中に、これほど大きな混乱を引き起こしていたことを。




