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悪役令嬢レティシア、二人になりました  作者: 南蛇井


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第4場面 王都騒然

### 第4場面 王都騒然


 レティシアがグランフェルへ向かう。


 その話は、王城を出るよりも早く、王都中へ広がっていった。


 最初に伝えた者は、きっと正確に話していたのだろう。


 けれど。


 噂というものは、誰かの口を通るたびに形を変える。


「ご存じですこと?」


 王城の廊下。


 侍女たちが、声を潜めて話していた。


「レティシア様が、グランフェルへ向かわれるそうですわ」


「まあ。ご旅行ですの?」


「いいえ。追放された自分の分身を、取り戻しに行くのだとか」


「ご自分の……分身を?」


 その言葉に、二人は顔を見合わせた。


 理解できない。


 けれど、理解できない話ほど、人の興味を引くものだった。


 その日の午後には、噂は貴族たちの間へ流れ込んでいた。


「レティシア様が、追放された自分の分身を取り戻しに行くそうですわ」


「まあ……。ご自分から、あの悪役部分を?」


「そうらしいですわ」


「では、悪役の人格をもう一度、自分に戻すおつもりなのでは?」


「まあ! そんなことが可能ですの?」


「魔女の呪いですもの。何が起きても不思議ではありませんわ」


 誰かがそう言えば。


 別の誰かが、さらに別の話を付け加える。


「でも、どうして今さら?」


「もしかすると、辺境で何か反乱を企てているのでは?」


「反乱ですって?」


「だって、グランフェルには辺境伯もおりますし、あの悪役レティシア様もいるのでしょう?」


「まあ……。王都に対する不満を募らせているのかもしれませんわね」


 根拠など、どこにもなかった。


 それでも、噂はもっともらしい顔をして広がっていく。


 さらに翌日。


 社交界では、また別の話になっていた。


「王太子殿下との関係を取り戻すため、辺境へ向かうのではありませんこと?」


「まあ、それならば分かりますわ」


「ええ。愛する殿下を取り戻すために、もう一人の自分を利用するのですわね」


「利用……?」


「ほら、悪役部分を戻せば、以前のようなレティシア様に戻れるかもしれませんもの」


「では、あの悪役部分を消したのは、失敗だったということですか?」


 その問いに。


 誰も、すぐには答えられなかった。


 悪役レティシアは、不要な部分だった。


 怒りっぽく。


 口が悪く。


 人の気持ちを考えず。


 周囲との調和を乱す、厄介な部分。


 だからこそ、切り離された。


 だからこそ、王都の人々は安心した。


 もう、誰も不快なことを言われない。


 もう、誰も厳しい指摘を受けない。


 もう、誰も自分の都合を否定されない。


 それなのに。


 その不要な部分を、令嬢レティシア自身が迎えに行こうとしている。


 それはまるで。


 王都の人々が「いらない」と判断したものを、本人だけが「必要だ」と言っているようだった。


「……どういうことなのかしら」


 貴族の一人が、困惑したように呟く。


「どうして、わざわざ迎えに行く必要がありますの?」


「ご自分の半分なのでしょう?」


「ですが、悪役部分ですわよ?」


「悪役部分なら、いらないのではなくて?」


 その言葉に、別の貴族が首を傾げた。


「では、なぜその悪役部分は、辺境で成果を上げているのでしょう?」


 空気が止まった。


 水路の修繕。


 倉庫の整理。


 鉱山設備の改善。


 どれも、辺境の暮らしを支える重要な仕事だった。


 王都で悪役と呼ばれた存在が。


 遠いグランフェルで、人々の役に立っている。


 その事実だけは、どうしても消せなかった。


 そして。


 王城では、ついに正式な報告の場が設けられた。


 長机の上には、グランフェルから届いた資料が積まれている。


 集まった文官や貴族たちは、皆一様に深刻な顔をしていた。


 まるで、国家の存亡に関わる重大な問題を話し合うかのように。


「では、議題を確認いたします」


 進行役の文官が、慎重な声で告げた。


「ヴァレンフォール侯爵令嬢レティシア様のグランフェル行きについて。そして――」


 文官は一度、手元の紙に目を落とした。


「グランフェルに滞在する、もう一人のレティシア様についてです」


 室内に、重い沈黙が落ちた。


「……もう一人のレティシア様が、辺境で何をしているのか」


 議題を読み上げた本人でさえ、どこか困惑しているようだった。


 最初の資料が開かれる。


「現在、グランフェルでは水路の修繕、倉庫の整理、鉱山設備の改善が進んでいるとのことです」


「水路の修繕?」


「はい」


「倉庫の整理?」


「はい」


「鉱山設備の改善?」


「はい」


 文官は淡々と答えた。


 しばらくして、出席者の一人が首を傾げる。


「……悪役部分が?」


「はい」


「悪役部分が、水路を?」


「正確には、レティシア様が指示を出し、住民たちと共に修繕したそうです」


「悪役部分が、倉庫を?」


「備蓄の管理方法を見直し、使われていなかった場所を整理したとのことです」


「悪役部分が、鉱山設備を?」


「危険箇所を指摘し、作業手順の変更を提案したと」


 文官が資料をめくるたび。


 室内の空気は、少しずつおかしなものになっていった。


「……悪役とは、そういうものなのか?」


 誰かが、真剣な顔で呟いた。


 隣に座っていた貴族が、困ったように眉を寄せる。


「私にも、分かりません」


「少なくとも、王都で聞いていた話とは違うようですが」


「口が悪く、協調性がなく、周囲を困らせる存在なのでは?」


「その方が、どうして辺境の水路を直すのです?」


「それは……」


 誰も答えられなかった。


 悪役なら、悪いことをする。


 不要な部分なら、なくなっても困らない。


 そう思っていた。


 けれど、現実のグランフェルでは。


 彼女がいなくなれば困る者がいる。


 彼女の判断を頼りにする者がいる。


 彼女の厳しい言葉によって、助かったものがある。


 王都で貼りつけられた「悪役」という名前と。


 辺境で積み重ねられた彼女の行動が。


 どうしても、噛み合わなかった。


「では、レティシア様は……」


 若い文官が、慎重に言葉を探す。


「ご自身にとって、必要な存在だと考えておられるのでしょうか」


 誰も、否定できなかった。


 そのとき。


 窓の外から、王都の鐘が鳴った。


 澄んだ音が、会議室の中へ響き渡る。


 王都の人々は、まだ知らない。


 レティシアが迎えに行こうとしているのは。


 単なる「悪役部分」ではない。


 自分たちが勝手に切り捨てた、一人の人間なのだということを。


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