第10場面 「悪役」の痕跡
レティシアは、書類の最後に記された一文を見つめていた。
> 「本案は、現時点では承認すべきではありません」
短く。
明確で。
迷いのない言葉だった。
かつての自分は、はっきりと結論を出していた。
嫌われるかもしれなくても。
反対されるかもしれなくても。
必要だと思ったことを、必要だと言っていた。
レティシアは、その一文を指先でそっとなぞる。
「……これが、私」
けれど。
すぐに、小さく首を振った。
「いいえ」
その言葉を口にした瞬間。
胸の奥に、かすかな痛みが走った。
今の自分も、確かに自分だ。
この記憶も。
この考えも。
これまで感じてきた喜びも、安心も。
すべて、嘘ではない。
だから。
どちらかが偽物というわけではない。
かつての自分だけが本物で。
今の自分は、間違っている。
そんなことではないのだ。
それでも。
以前の自分にあって。
今の自分にないものがある。
レティシアは、もう一度、書類の一文へ目を向けた。
そこに残されたのは。
かつての自分の鋭さだった。
考え、見抜き、決める力。
間違っていることを、間違っていると言う力。
そして。
自分が何を望んでいるのかを、感じ取る力。
それらが、今の自分には欠けている。
その事実を。
レティシアは、初めてはっきりと認めた。
(私には……何かが欠けている)
部屋の中は、静かだった。
窓の外から差し込む光が、机の上の書類を照らしている。
その紙の上には。
かつての自分が残した、確かな痕跡があった。
レティシアは、しばらくそれを見つめ続けていた。
――第12話・終。




