第3場面 父との再会話
書類を手にしたまま、レティシアは父の執務室へ向かった。
廊下を歩いている間も、何度も書類へ目を落とした。
そこに書かれているのは、間違いなく自分の文字だった。
けれど。
自分が書いたという実感だけが、どうしても追いついてこない。
執務室の扉を叩く。
「お父様。少し、よろしいでしょうか」
「入れ」
いつもと変わらない、低い声。
レティシアは扉を開け、書類を抱えたまま室内へ入った。
父は机の上の書類から顔を上げる。
そして、レティシアが持っているものを見た瞬間。
わずかに目を細めた。
「それは、お前が以前に書いたものだ」
「……え?」
思わず、レティシアは足を止めた。
父は椅子から立ち上がり、彼女の手元へ視線を向ける。
「北部諸侯領への臨時徴税案に関する意見書だろう」
「……これ、私が書いたの?」
「そうだ」
父は迷いなく頷いた。
その即答に、レティシアはかえって戸惑った。
「ですが……私は、こんなものを……」
「作成した」
父は言い切った。
「お前は当時、北部の収穫量を調べた。街道の状態も、各領地の備蓄量も確認した。過去の税収記録まで引き出して、何日も書庫にこもっていたな」
「……」
「資料が足りないと言っては役人を呼びつけ、数字が合わないと言っては何度も計算をやり直していた」
父の言葉を聞きながら、レティシアは書類を見つめた。
そうだったのだろうか。
自分は、この意見書を完成させるために。
そこまで調べていたのだろうか。
「そして、王宮の会議で反対意見を述べた」
「……反対を?」
「そうだ」
父は机のそばまで歩み寄った。
「王都の財政が厳しいことは、誰もが理解していた。だからこそ、臨時徴税に反対する者は少なかった」
「……」
「だが、お前は違った」
父は書類の最後に記された一文へ目を向ける。
「お前は、必要な数字をすべて並べたうえで、この案には問題があると指摘した。感情で王宮を批判したのではない。根拠を示し、別の手段まで提案した」
レティシアは、静かに息を呑んだ。
そのときの光景は、もう覚えていない。
けれど。
周囲の反応なら、かすかに思い出せた。
――厳しすぎる。
――生意気な娘だ。
――王子殿下に逆らうつもりか。
――政治に口を出しすぎだ。
あの頃の自分は、何かを言うたびに、そんな言葉を向けられていた。
正しいと思ったことを口にするだけで。
誰かの機嫌を損ねる。
誰かを不快にさせる。
誰かに嫌われる。
だから。
いつの間にか、言葉を選ぶようになった。
反対することをやめた。
相手が望む答えを探すようになった。
「……皆様は、私を批判していたのですね」
レティシアが呟くと、父は少しだけ眉を寄せた。
「批判する者はいた」
「やはり……」
「だが」
父の声が、わずかに強くなる。
レティシアは顔を上げた。
父は、書類から目を離さなかった。
「お前の分析は正しかった」
「……」
「北部の状況を考えれば、一律の徴税は危険だった。お前の言う通り、短期的な収入を優先すれば、後に大きな損失が出る可能性があった」
父は淡々と説明した。
けれど、その言葉には確かな評価があった。
「お前は、誰も見ようとしなかった問題を見つけた。誰も言おうとしなかったことを、必要な場で言った」
レティシアは、再び書類へ目を落とした。
冷静な文章。
明確な指摘。
揺るがない結論。
それは、かつての自分が残したものだった。
「……私が」
小さな声が漏れる。
「私は……こんなふうに、考えていたの?」
「そうだ」
父は答えた。
「お前は昔から、よく考えていた。だからこそ、厳しいことも言った」
その言葉が、胸の奥に落ちる。
厳しい。
生意気。
王子に逆らう。
政治に口を出しすぎる。
それらは、かつての自分を否定する言葉だった。
けれど。
父は違う。
その言葉の奥にあったものを、見ていた。
レティシアは、しばらく書類から目を離せなかった。




