第5場面 幸せの証拠を並べる
レティシアは、鏡から視線を逸らした。
何かがおかしい。
けれど、その「何か」を考えようとすると、胸の奥が落ち着かなくなる。
だから。
レティシアは、もう一度自分に言い聞かせることにした。
「アルベルト殿下も、優しくしてくださいます」
誰よりも穏やかで、思いやりのある人。
以前のように意見がぶつかることもない。
彼と過ごす時間は、いつも静かで心地よかった。
「お父様も、お母様も……」
侯爵家に戻れば、二人とも変わらず迎えてくれる。
母は優しく微笑み、父も以前より険しい顔を見せなくなった。
自分は、ちゃんと大切にされている。
「クラリスとも仲良くなれましたわ」
かつては緊張していた相手とも、今では自然に話せる。
今日だって、庭園を一緒に歩いた。
笑い合うこともできた。
レティシアは、指先を膝の上で重ねた。
「誰も、私を嫌っていません」
その言葉だけは、少しだけ強くなった。
以前は、あれほど恐れていたもの。
嫌われること。
疎まれること。
悪く言われること。
今は、もうない。
誰も自分を責めない。
誰も自分を怖がらない。
誰も、自分を「悪役令嬢」と呼ばない。
――これほど幸せなことが、ほかにあるだろうか。
「……」
レティシアは、ゆっくりと頷いた。
どれも本当だった。
アルベルトが優しいことも。
家族が自分を大切にしてくれていることも。
クラリスと仲良くなれたことも。
誰からも嫌われていないことも。
一つとして、嘘ではない。
だから。
だからこそ。
「……なのに」
レティシアの声が、そこで止まった。
胸元に置いた手に、わずかに力が入る。
理由は分からない。
何が足りないのかも分からない。
ただ。
どれだけ幸せな理由を並べても。
胸の奥にある違和感だけは、消えてくれなかった。




