第9場面 空っぽ
### 第9場面 空っぽ
――夜。
レティシアは、鏡の前に立っていた。
鏡の中には。
いつもの自分がいる。
整った髪。
穏やかな表情。
そして。
誰からも褒められる、美しい笑顔。
「白百合の令嬢」。
そう呼ばれるようになった自分。
優しくて。
穏やかで。
誰からも愛される女性。
「…………」
レティシアは、鏡の中の自分を見つめていた。
以前なら。
もっと違う顔をしていた。
不満があれば眉を寄せた。
納得できなければ、はっきりと口にした。
怒ることもあった。
嫌だと思うこともあった。
それでも。
それが自分だった。
今は。
「…………」
何もない。
レティシアは、そっと胸に手を当てた。
心臓は動いている。
ちゃんと、生きている。
けれど。
その奥に。
何かが抜け落ちてしまったような。
そんな感覚があった。
「……私は」
言葉が、そこで止まる。
鏡の中の自分が。
こちらを見返している。
綺麗な笑顔。
穏やかな瞳。
誰にも嫌われない顔。
けれど。
それを見ている自分だけが。
どこか遠くにいるような気がした。
「…………」
ふと。
母の言葉が蘇る。
――レティシアは、これからどうしたいの?
あのとき。
答えられなかった。
「あなた自身は?」
そう聞かれて。
自分でも、何がしたいのか分からなかった。
そのときは。
まだ。
考えれば、そのうち分かると思っていた。
けれど。
今は。
違う。
今日一日。
何度も考えた。
自分ならどうするのか。
何を選ぶのか。
何が正しいのか。
けれど。
どれだけ考えても。
最後に残るのは。
「…………」
空白だった。
レティシアは、鏡に向かって。
もう一度、口を開いた。
「私は……」
続きが出てこない。
何をしたい?
何を選びたい?
何を望んでいる?
答えを探す。
けれど。
見つからない。
「…………」
やがて。
レティシアは、ほんの小さな声で呟いた。
「……分からない」
その言葉を。
自分の口から聞いた瞬間。
レティシアは、少しだけ目を見開いた。
初めて。
認めた。
自分でも。
まだ、うまく理解できない。
けれど。
確かに。
今の自分には。
「どうしたいのか」が。
分からなかった。




