第8場面 夜、自分に問いかける
――夜。
レティシアは自室の机に向かっていた。
昼間の政策資料が、机の上に広げられている。
「…………」
もう一度。
最初から読み直してみる。
王都の財政。
地方への負担。
国民への影響。
短期的な利益。
長期的な問題。
一つずつ考えていけば。
それぞれのメリットも、デメリットも分かる。
「…………」
だから。
本来なら。
答えは出せるはずだった。
以前の自分なら。
資料を読み終えたところで、迷わず言っていた。
『私は、こちらが正しいと思います』
たとえ反対されても。
たとえ嫌な顔をされても。
自分がそう判断したのなら。
その理由を説明していた。
「…………」
レティシアは、二つの資料を並べる。
右。
左。
何度見比べても。
決められない。
「……どうして?」
小さく呟く。
もう一度、考える。
こちらには、こういう利点がある。
けれど、こういう問題がある。
こちらなら、その問題は抑えられる。
けれど、別の負担が生じる。
どちらがより良いのか。
それを考えることはできる。
なのに。
最後の一歩だけが。
どうしても踏み出せない。
「…………」
レティシアは、ペンを置いた。
静かな部屋。
時計の音だけが聞こえる。
ふと。
ある考えが浮かんだ。
(……私は)
自分で決めることが。
怖いのだろうか。
「…………」
少し考える。
違う。
そんな気はしなかった。
今さら、意見を言うことそのものが怖いわけではない。
以前ほど。
嫌われることを恐れているわけでもない。
むしろ。
今の自分は。
誰からも好かれている。
「白百合の令嬢」
そう呼ばれて。
優しいと言われて。
皆が笑顔を向けてくれる。
アルベルトも。
クラリスも。
家族も。
みんな。
「…………」
なのに。
どうして。
「……私は」
レティシアは、もう一度資料を見る。
そして。
自分に問いかけた。
(私は、どちらが正しいと思っているの?)
答えは。
出てこない。
(……こちら?)
違う。
(では、こちら?)
それも違う。
どちらも理解できる。
どちらにも理由がある。
だからこそ。
「…………」
レティシアは、眉を寄せた。
(私は、どちらを選びたいの?)
その瞬間。
胸の奥が、静かになった。
何もない。
嫌だ。
という気持ちも。
こっちがいい。
という気持ちも。
浮かんでこない。
ただ。
「皆様がよいと思われる方で」
昼間に口にした言葉だけが。
頭の中に残っていた。
「…………」
レティシアは、そっと目を閉じる。
何かを決めるのが怖いわけではない。
嫌われるのが怖いわけでもない。
それなのに。
自分の意見だけが。
どこを探しても見つからなかった。
「……おかしいわ」
誰に言うでもなく。
そう呟いた。
けれど。
何がおかしいのか。
それすら、まだ分からなかった。




