第7場面 クラリスの小さな違和感
会議が終わった後。
廊下を歩くレティシアの後ろ姿を、クラリスは見つめていた。
「…………」
今日も。
レティシアは誰とも争わなかった。
誰かの意見に反対することも。
間違いを指摘することも。
ただ静かに話を聞いて。
相手の意見を受け入れていた。
「白百合の令嬢は、本当にお優しいですね」
先ほどの官僚の言葉が、頭に残っている。
確かに。
今のレティシアは優しい。
以前のように、厳しい言葉を使うこともない。
相手を困らせることもない。
誰かを傷つけることもない。
――けれど。
クラリスは、以前のレティシアを知っている。
「私は反対です」
そう言っていた。
周囲が全員賛成していても。
アルベルトが決めようとしていても。
自分が正しいと思えば、堂々と意見を述べていた。
時には。
「その判断には問題があります」
と、王子であるアルベルトにさえ言っていた。
怖かった。
正直に言えば。
最初は少し、怖かった。
けれど。
あの言葉には。
ちゃんと理由があった。
感情だけで反対していたわけではない。
きちんと考えて。
自分の判断を持って。
必要だと思えば、それを口にしていた。
今のレティシアには。
それがない。
「…………」
クラリスは、レティシアに追いついた。
「レティシア様」
「まあ、クラリス様」
レティシアが振り返る。
いつもの穏やかな笑顔。
「どうかなさいましたか?」
「……いえ」
クラリスは少し迷った。
何と聞けばいいのか分からない。
だから。
以前から胸に残っていた疑問を、そのまま口にした。
「最近……何をお願いしても、断りませんよね?」
「そうかしら?」
レティシアは首を傾げる。
「はい」
「それは……皆様のお役に立てるのでしたら、嬉しいことですわ」
にこり。
いつもの笑顔。
クラリスは、その笑顔を見つめた。
「以前なら……」
言いかけて。
口を閉じる。
「以前なら?」
「…………」
クラリスは小さく首を振った。
「いえ。何でもありません」
レティシアは不思議そうにする。
「変なクラリス様」
「……そうかもしれません」
クラリスは苦笑した。
それでも。
気になってしまう。
以前のレティシアなら。
嫌なことには、はっきりと嫌だと言った。
無理なことには、無理だと言った。
誰かのためになることでも。
自分が納得できなければ、簡単には頷かなかった。
それが。
今はない。
「……レティシア様」
「はい?」
クラリスは、思い切って尋ねた。
「無理をしていませんか?」
一瞬。
レティシアの笑顔が止まった。
けれど。
すぐに。
柔らかな笑顔に戻る。
「大丈夫ですわ」
「でも――」
「本当に大丈夫です」
レティシアは穏やかに笑う。
そして。
「私は、幸せですもの」
「…………」
クラリスは何も言えなくなった。
その言葉は。
以前にも聞いた。
レティシア自身が、何度も口にしていた。
私は幸せ。
嫌われていない。
皆に好かれている。
アルベルトも優しい。
クラリスとも仲良くできている。
だから。
幸せ。
そのはずなのだ。
「……そう、ですよね」
クラリスは、ようやくそれだけを返した。
「はい」
レティシアは笑った。
「だから、心配なさらないでくださいな」
「…………はい」
レティシアが去っていく。
その背中を。
クラリスは黙って見送った。
「…………」
本当に。
何も問題はないのだろうか。
誰も傷ついていない。
誰も困っていない。
レティシア自身も。
幸せだと言っている。
それなのに。
どうしてだろう。
クラリスには。
その笑顔が。
以前より少しだけ。
遠く見えた。




