第3場面 「反対できない」
会議は、そのまま続いた。
次の議題へ移り、別の官僚が資料を広げる。
「では、こちらの案についてですが――」
説明を聞きながら、レティシアは資料に目を通していた。
数字。
予算。
地方への影響。
いくつかの問題点が、すぐに目に入る。
(……ここは、少し無理があるわね)
このまま進めれば、一部の地方では予算が不足する。
別の費用を削らなければならなくなるだろう。
それなら。
「レティシア様は、いかがでしょう?」
不意に声をかけられた。
「…………」
レティシアは顔を上げた。
皆がこちらを見ている。
「この案について、ご意見があればぜひ」
「……私、は」
口を開く。
頭の中には、答えがある。
ここは問題がある。
このままでは危ない。
修正したほうがいい。
そう言えばいいだけなのに。
「それは――」
言葉が止まった。
(……間違っています)
そう言えばいい。
以前なら。
何の迷いもなく言えた。
けれど。
「…………」
喉の奥で、その言葉が消えていく。
反対すれば。
この場の空気が変わる。
誰かの意見を否定することになる。
せっかくまとまりかけている話を、止めることになる。
それなら。
「……皆様のお考えを尊重するのが、よろしいかと」
静かな声だった。
官僚が目を瞬く。
「つまり、賛成ということでしょうか?」
レティシアは少し考える。
「……はい」
そう答えて、微笑んだ。
「皆様がよいと思われるのでしたら、私も異論はございませんわ」
「なるほど」
官僚は納得したように頷いた。
「さすが白百合の令嬢ですな」
「本当に穏やかなお方だ」
「以前とは随分と印象が変わられましたね」
「ええ。あのように人の意見を尊重できるとは」
小さな笑い声が起こる。
悪意はない。
むしろ。
皆、好意的だった。
レティシアは、にこやかに微笑む。
「ありがとうございます」
褒められた。
喜ばれている。
誰も怒っていない。
誰も困っていない。
それなら。
これでいい。
(……これで、いいのよ)
そう思おうとする。
けれど。
机の上の資料が目に入った。
そこには。
自分が気づいた問題点が、そのまま残っている。
(……でも)
一瞬だけ。
胸の奥に、小さな違和感が生まれた。
(あれは……どうするのかしら)
誰も触れていない。
誰も問題にしていない。
自分も。
言わなかった。
「レティシア様は、本当にお優しい」
向かいの官僚が笑う。
「皆様の意見を尊重してくださる」
「ええ」
レティシアも笑った。
「それが一番ですわ」
そう答えた。
――穏やか。
――優しい。
――人の意見を尊重する。
そんな言葉が、次々と彼女に向けられる。
けれど。
誰も気づいていない。
レティシアが、反対しなかったのではない。
自分の判断を。
手放してしまったことに。




