外伝:東の帝国・偵察行商編(後編)
東の帝国での任務を無事に終え、テンペストへと帰還した一行。
大商人の底知れぬ深謀遠慮と、執務室で待ち受けていた「裏の報告会」。
そして迷宮の師たちに見送られ、ストラトスの学びの旅は次なる舞台へと動き出します。
東の帝国編、完結です!
数週間に及ぶ東の帝国での偵察行商を終え、魔国連邦の中央駅へと魔導列車が滑り込んだ。
「ふぅ……無事に戻ってこれやしたね。坊ちゃん、護衛と社交の場のお付き合い、ありがとうございやした!」
ホームに降り立ったミョルマイルが、満面の笑みでストラトスに頭を下げた。
「いやぁ、ヴェノムさんもおつかれさん。若いのにしっかり坊ちゃんを立てられてて、さすがリムル様が推薦された方じゃ」
「あ、あざっす……旦那……」
ぺこりと頭を下げるヴェノムを横目に、ストラトスもまた清々しい表情で礼を返した。
「ミョルマイルさん、こちらこそ本当にありがとうございました。商人の聡さ、凄さを肌で学ばせていただきました」
ミョルマイルは煙管をくゆらせ、満足そうに頷く。
「へへっ、そう言っていただけると連れて行った甲斐があるってもんでさぁ。さて坊ちゃん、あっしはこれから旦那(リムル様)へ最終報告に行ってきやす」
◇
魔国連邦の執務室の扉を開けたミョルマイルは、執務机を見て目を丸くした。
リムルの前には、今朝の列車で届いたばかりのはずの分厚い「東の帝国に関する総括報告書」が広げられ、重要な箇所にはびっしりと付箋が貼られ、赤ペンで細かなメモが書き込まれていたからだ。
現地での日々の活動メモを集約し、まとめた報告書を3日前の定期便(魔導列車)に乗せて魔国連邦へ送ったのはミョルマイル自身だ。
(今朝届いたばかりのこの膨大な報告書を、旦那はわずか数時間でもうここまで読み込んでおられるのか……!?)
「ミョルマイルくん、ご苦労だったな。報告書は読ませてもらったよ。工場群の使用権を魔国連邦で握ったのは見事だが――あれはいつまで維持する気なんだ?」
リムルの問いかけに、ミョルマイルはニヤリと商人の顔を見せた。
「へへっ、旦那。東の帝国を魔国連邦の『下請け外注先』にするのは、あくまで過渡期の一時的な措置でさぁ。いずれ帝国の経済が回り始めれば、国民の賃金水準……人件費ってやつが跳ね上がっていきやす。いずれ、他の後発国が安い人件費で同じものを作り始め、帝国は価格競争で負けることになりやす」
ミョルマイルは煙管の煙をくゆらせ、鋭い眼光を放つ。
「帝国が生き残る道はただ一つ。下請けで稼いだ資金を使って、自前の独自技術を開発し、他国には真似できない高付加価値製品を作る国へ脱皮することでさぁ。あっしはその転換期が来たら、工場の権利を帝国自身へ綺麗に引き上げるつもりでさぁな。そこから先、自立して新しい時代を泳ぎ切れるかどうかは――帝国自身の力次第でってことで……。」
「なるほどな……。単なる搾取や抱え込みじゃなく、相手の自立と産業の寿命まで見据えた出口戦略ってわけか」
買い取って感謝され、売却して感謝される……。リムルもストラトスも、大商人の底知れぬ深謀遠慮に心から唸らされるのだった。
◇
「――では坊ちゃん、あっしは東の手配でしばらく魔国連邦を動けねぇんで、次はうちの筆頭番頭――ジョシュが西側諸国へ向かう隊商を用意してありやす。西の貴族や商人ギルドの狸親父どもの化かし合いも、ぜひ見聞してきてくだせぇ!」
ミョルマイルの提案に、ストラトスは目を輝かせて「はい、ぜひ!」と応じた。
ストラトスが次の旅の準備のために屋敷へ戻った後――執務室の空気が一変した。
残されたのは、俺とディアブロ、そしてヴェノムの三人だけだ。
ディアブロは、机の上の報告書を指先でトントンと叩きながら、ヴェノムへ冷徹な視線を向けた。
「ヴェノム。ストラトスの報告書には目を通しましたね? ここに書かれていない貴方視点の事象……特に、道中で遭遇した敵の正確な強さや戦術の粗について聞かせなさい」
ストラトス自身に戦況の評価を求めないのは、極めて合理的だ。
あいつは急成長真っ只中にいるため、相手の力量を無意識に過小評価して「大した敵ではありませんでした」と見誤りやすい。その点、冥界の泥沼を生き抜いてきた叩き上げのヴェノムなら、敵の真の実力もストラトスの甘さも冷徹に見抜くことができる。
ヴェノムは直立不動のまま、淀みなく口を開いた。
「はっ。ストラトス様は報告書に『街道の小悪党を数名あしらった程度』と書かれていますが、実態は旧帝国の残党兵で、Aランク相当の近代魔導兵装を隠し持っていました。ストラトス様は難なく無力化されましたが、敵の搦め手や初見の兵装に対する警戒心という点では、まだ若さゆえの甘さが見受けられます」
「なるほど。やはり現場を生き抜いてきた貴方の目は確かですね。よく息子の動きを見てくれました」
「あ、ありがたきお言葉……!」
ヴェノムが目に見えてホッとし、胸を撫で下ろした瞬間だった。
「――素晴らしい報告でした。では最後に」
ディアブロの瞳の奥に、スッと絶対零度の闇が宿る。
「『ダチ』とは、どこの下品な悪魔が教え込んだ言葉ですか?」
「ひっ……!?」
「ま、待ってくださいディアブロ様! 俺が教えたんじゃなくて、街道の荒くれ者どもが使ってたのを坊ちゃんが勝手に覚えただけで――」
「言い訳は見苦しいですよ」
パチン、とディアブロが優雅に指を鳴らした瞬間。
執務室の床が突如として底なしの漆黒に染まり、禍々しい瘴気を放つ『冥界の門』がぽっかりと口を開いた。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁーーーッ!?」
影から伸びた漆黒の触手に両脚を掴まれ、ヴェノムが絶叫しながら引きずり込まれていく。
そして何事もなかったかのように、ディアブロ自身もスッと闇の中へと身を沈め――バタンと重々しい音を立てて門は完全に閉じた。
静まり返る執務室。
残されたのは、机の上の報告書と、呆然と口を開けたままのスライム(俺)だけだった。
(あ、あのことかぁ……怒ってたんだなぁ……まぁ、悪魔だし、死にはしないよな……?)
俺はあえて、深く考えないことにした。
◇
数日後。
西の旅立ちを前にしたストラトスは、挨拶と準備のために迷宮の最深層を訪れていた。
「ストラトス、西への旅立ち、心より応援しておりますわ」
優雅に出迎えてくれた麗しき蟲女王――アピトは、小瓶に詰められた黄金色に輝く液体を手渡してくれた。
「これは特製の『神精蜜』です。うちの完全回復薬をも凌駕する治癒力があり、致命傷や魔力枯渇すら瞬時に癒やします。貴方やヴェノムには無用かもしれませんが、同行する皆さまに万一のことがあった際、必ず役に立ちますわ」
「師範、ありがとうございます! 皆の命綱として、大切に使わせていただきます」
周囲の人間たちまで見据えた温かい気遣いに、ストラトスは深く頭を下げる。
そして、その背後で静かに佇んでいた『幽幻の王』――ゼギオンが、漆黒の外骨格をきしませながら一歩前に出た。
絶対的な強者の気配に、ストラトスの背筋が自然と伸びる。
ゼギオンの冷徹な複眼が、ストラトスの立ち姿と気脈の流れを一瞥した。
「……迷いなく刃を研ぎ澄ませているな。東の地で得た学びが、太刀筋の揺らぎを削ぎ落としたか」
「師匠……!」
「西の地には、我々と異なる武の形がある。何事にも惑わされず、ただ己の境地を掴んでこい」
ゼギオンは言葉少なに、しかし確かな武人としての激励を送り、ストラトスの肩をそっと叩いた。
◇
魔国連邦の西門前。
そこには、商人ジョシュが率いる巨大な西行き隊商が整列していた。
「ストラトス様、準備は万端でございます。西の商取引の実態、存分にお見せいたしましょう」
先頭の馬車から降りてきたジョシュが、深々と一礼してストラトスを出迎える。
ミョルマイルの手配により、今回の隊商の表向きの護衛を務めるのは、魔国連邦の自由組合支部に所属する実力派Bランク冒険者パーティー『暁の風』の三人だ。
「よう、坊ちゃん! 俺が『暁の風』のリーダー、重戦士のヴォルフだ。道中の魔物退治や街道の警備は俺たちに任せて、安心して旅を楽しんでくれや!」
大盾と戦斧を背負った大柄な男・ヴォルフが豪快に笑い、隣に立つ痩身の弓手・クライドが周囲の街道へ鋭い視線を配りながら軽く会釈する。
「斥候のクライドだ。西側の関所や貴族どもの裏事情なら頭に入ってる。よろしくな、坊ちゃん」
さらにその後ろから、長杖を携えた落ち着いた佇まいの男性魔導士が軽く顎を引いた。
「治癒と後方支援を担当するミハイルだ。長旅になる、怪我や体調の異変があれば遠慮なく言いな、ストラトスくん」
「ストラトスです。よろしくお願いします、ヴォルフさん、クライドさん、ミハイルさん!」
礼儀正しく挨拶するストラトスの背後には――何事もなかったかのように、しかしどこか魂の抜けたような青白い顔で直立するヴェノムの姿があった。
「ヴェノムさん、今回の旅もよろしくお願いします!」
「う、うっす……(言葉遣いだけは絶対に気をつけなきゃ……)」
「クフフフ……。気をつけて行ってらっしゃい、ストラトス。貴方の見聞がより深まることを期待していますよ」
見送りに現れたディアブロが、完璧な執事にして慈愛に満ちた父親の笑みで見送る。
その隣で、テスタロッサが優雅に扇子を揺らしながら微笑みかけた。
「ええ、この旅が安全な旅になることを心から祈っているわ」……『ねぇ、モス?』
『は、ははっ……! このモス、影となり、ストラトス様の旅路の安全を徹底的に見守らせていただきます……!』
テスタロッサの影の中から、モスの引きつったような念話が返ってくる。
(結局、モスを上空と影から完全ストーキング護衛につけてるじゃねぇか……!)
俺が盛大に心の中でツッコミを入れる中、ストラトスは母と父に深々と一礼した。
こうして、ストラトスとヴェノムは、ジョシュ率いる隊商と共に新たな舞台へと旅立っていくのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
これにて「東の帝国・偵察行商編」は完結となります。
ミョルマイルの恐るべき出口戦略、そして仕事を完璧にこなしたのに「●●」の一言で冥界送りになったヴェノムの哀愁なども楽しんでいただけましたら幸いです。
ストラトスの見聞の旅は、ここから「ジョシュ隊商と巡る西側諸国編」へと続いていきます。
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