閑話:一番近くて、一番遠い
今回はシオンのお話です。
いつもリムルのすぐそばにいるシオンですが、ストラトスとの距離は、どうにもつかめていないようで……。
それは、まだストラトスが「アル」と呼ばれ、迷宮で育てられていた頃のことだった。
「ちょっと、みんなに話しておきたいことがある」
集まった幹部たちを前に、俺はそう切り出した。
さて、どこから話したものか。
アルが生まれた経緯を、そのまま説明するわけにはいかない。
そもそもの始まりは、悪魔同士で子供ができるのか――なんていう、俺のちょっとした好奇心だった。
結果として生まれたのが、アルだ。
俺からすれば、あの光景はどう見ても――まあ、いい。そこは今は関係ない。
問題は、それをみんなにどう説明するかだった。
『告。実験の詳細について説明する必要はありません』
だよね。
シエルさんとも相談した結果、実験に直接関わった連中と迷宮内の一部を除いて、アルの出生については伏せることにした。
別に、みんなを信用していないわけじゃない。
ただ――。
悪魔同士で、今まで存在しなかったはずの「子供」が生まれた。
そんな話を広めて、ろくなことになる気がしない。
何より、変な方向に話が広がる可能性がある。
うん。
ここは秘密にしておこう。
「実はな。俺が迷宮でちょっとした実験をしてたんだけど、その過程で悪魔が一人、生まれたんだ」
「悪魔、ですか?」
ベニマルが聞き返した。
「ああ。かなり珍しい奴でさ。突然変異みたいなものらしい」
『是』
シエルさんのお墨付きである。
……間違ってはいない。
「ただ、生まれたばっかりだから、まだ弱い。そのまま冥界に置いといたら、生存競争に負けて消滅する可能性が高いらしい」
その言葉に、何人かの表情が少しだけ変わった。
「それで、保護なさったのですね?」
シュナが尋ねる。
「うん。まあ、俺の実験の副産物みたいなもんだからな。生まれたのに、後は勝手に生きろっていうのも違うだろ?」
それに、アルは本当に必死だった。
生まれたばかりの小さな存在が、冥界で何とか生きようとしていた。
あれを見て、知らん顔なんてできない。
「なので、当面は迷宮で育てることにした」
「迷宮で、ですか?」
今度はシオンだ。
「ああ。珍しい悪魔だからな。変に外へ知られる必要もないだろ。それに、迷宮なら安全だ」
そして、何より。
「育てるのは、ゼギオンとアピトに頼んである」
「なるほど」
ハクロウが納得したように頷いた。
「同じ蟲の性質を持つ者であれば、我らより適任でしょうな」
「俺もそう思ってさ」
悪魔に子育てをやらせるより、よっぽど安心できる。
いや、実際のところ、悪魔に子育てという概念があるのかすら怪しい。
だから――。
「それと、ディアブロとテスタロッサにも親代わりとして関わってもらうことにした」
何人かの視線が二人へ向いた。
ディアブロはいつもの笑みを浮かべたまま。
テスタロッサも涼しい顔をしている。
「まあ、こいつらにいきなり子育てしろって言っても無理だろ? だから実際に育てるのはゼギオンとアピト。二人には少しずつ関わってもらおうと思ってる」
「承知しました」
ベニマルが頷く。
他のみんなからも、特に異論はなかった。
こうして。
アルという小さな悪魔が迷宮で育てられていることは、テンペストの幹部たちにも知られることになった。
ただし――。
なぜアルが生まれたのか。
なぜ、ディアブロとテスタロッサが「親代わり」なのか。
その本当の理由を知る者は、ごく一部だけだった。
◇◇◇
それから、随分と時が経った。
アルと呼ばれていた悪魔は、リムル様よりストラトスという名を賜った。
そして今では、一人で世界を旅している。
最近、どうにも落ち着かない。
理由は分かっている。
ストラトスだ。
いや、別にあの子が嫌いなわけではない。
むしろ逆だと思う。
礼儀正しく、素直で、いつも楽しそうに笑っている。
何より、リムル様を心から敬愛している。
それだけでも、私が嫌う理由など一つもない。
ただ――。
どうにも、距離の取り方が分からなかった。
私が聞いているのは、ストラトスがリムル様の実験の過程で偶然生まれた悪魔だということ。
そして、ディアブロとテスタロッサが親代わりとして育てているということだ。
だから、いつの頃からかストラトスが二人を、
「父様」
「母様」
と呼ぶようになったことにも、それほど疑問はなかった。
テスタロッサは分かる。
あれは、どう見ても母親だ。
ストラトスのこととなると、普段の冷静さがほんの少しだけ崩れる。
衣服一つにも口を出し、成長を喜び、時には心配する。
きっと、育てているうちに本当の母親のようになったのだろう。
だが。
ディアブロはよく分からない。
ストラトスの父親をやっているらしいのだが、いつ見てもリムル様の斜め後ろにいる。
テスタロッサと二人並んで、親らしいことをしている姿など、ほとんど見たことがない。
それなのにストラトスは、何の迷いもなく、
「父様!」
と呼ぶ。
ディアブロも、
「どうしました、ストラトス」
と当然のように応じる。
何なのだろう。
あの二人の関係は。
いや――三人の関係は。
そして、それ以上に分からないのが。
ストラトスがリムル様の執務室へやって来た時だった。
「リムル様、少しよろしいでしょうか」
「おう。どうした?」
「父様にもご相談したいことがありまして」
「クフフフ。何でしょう、ストラトス」
そこまではいい。
だが、話が始まると、
「ああ、それなら大丈夫だ」
「はい!」
「ですが、あの時のことを考えますと――」
「クフフフ。ストラトス、それについては――」
と、私には分からない話になることがある。
時にはテスタロッサまで加わる。
「母様は、どう思われますか?」
「そうですわね。あの時とは状況が違いますから――」
何の話なのだ?
聞いてはいけないことなのだろうか。
そう思って、私はいつしか、
「リムル様。私は少し席を外します」
と言うようになった。
「おう。悪いな、シオン」
リムル様も止めなかった。
だから、それでよいのだと思っていた。
きっと、家族だけで話したいこともあるのだろう。
私がいると話しづらいのだ。
それだけのことだ。
◇◇◇
やがて、ストラトスは一人旅へ出た。
これで、あの妙な居心地の悪さを感じることもなくなる。
心のどこかで、そう思っていた。
ところが――。
「モス。今はどの辺りだ?」
「現在は予定通り、北西へ向かっております」
執務室で、リムル様が尋ねる。
答えているのはモス本人だ。
ストラトスの旅に同行しているのは、あの印籠に潜んでいるモスの分身体。
その分身体から連絡を受けた本体のモスが、こうしてリムル様へ報告に来る。
「問題は?」
「ございません。ただ、ストラトス殿が先ほど――」
「クフフフ。なるほど。ストラトスらしいですね」
リムル様の斜め後ろで、ディアブロが楽しそうに笑う。
「で、その後どうしたんだ?」
「はい。それにつきましては――」
私はいつものように、リムル様の横に立っている。
話は聞こえている。
それなのに。
分からない。
時には、そこへテスタロッサまで加わる。
「それで、ストラトスはどうしましたの?」
「ストラトス殿は――」
「ああ、それなら放っておいていいだろ」
「私も同意いたします」
だから。
何の話なのだ?
以前なら席を外せた。
だが今は、ストラトスの旅についての報告だ。
第一秘書である私が、理由もなく席を外すわけにもいかない。
そこにいる。
最初から最後まで聞いている。
それなのに、時折まるで話が見えない。
ストラトス本人がいた頃より、むしろひどくなった。
何なのだ。
この感じは。
◇◇◇
ある日、私はベニマルのところへ顔を出していた。
ハクロウも来ていた。
身内だけということもあり、話題は自然と近況の話になった。
「そういえばハクロウ。先日、ストラトスが戻ってきた時に稽古をつけたそうですね」
「うむ」
ハクロウは、いかにも楽しそうに髭を撫でた。
「いやはや、見違えたものじゃ。旅というものは、あれほど人を――いや、悪魔を成長させるものかのう」
「それほどですか」
「剣技だけならば、既にお主より上じゃろうな」
「ほう」
ベニマルは気を悪くするどころか、楽しそうに笑った。
「それほどまで。であれば、私も一度手合わせしてみたいものです」
「やめておいた方がよいぞ。お主、驚くことになる」
「それを聞けば、ますます楽しみになります」
「まったく……」
そう言いながら、ハクロウも嬉しそうだった。
そして、いつものようにぼやく。
「あやつが悪魔でなければのう……」
「またそれですか」
「仕方あるまい。あれほどの剣才を見せられてはな」
二人が笑う。
私は黙って聞いていた。
ベニマルには、ストラトスと一緒に働いた経験がある。
まだ旅に出る前。
職場体験と称して、各部署を回っていた頃だ。
「あの時も、最初はどうなることかと思いましたが」
ベニマルまで思い出したように話し始める。
「一度教えたことはきちんと覚えていました。妙なところで真面目な奴でしたね」
「昔からそうじゃ」
「では、今度戻った時にでも声を掛けてみますか」
「ふむ。お主との立ち合いも面白かろう」
また、ストラトスの話だ。
「お茶を持ってきたわよ」
そこへシュナが入ってきた。
「おお、すまぬな」
ハクロウがお茶を受け取りながら、ふと思い出したように言った。
「そういえばシュナ。最近、また新しい服を縫っているようじゃが」
「ええ」
「またストラトスか?」
「そうよ」
シュナが楽しそうに微笑んだ。
「この前、山岳地帯を訪れた時に、現地の方が着ていた服を気に入ったそうなの。一着、同じものを着て帰ってきたから、それを参考にしてみようと思って」
「ほう」
「寒さを防ぐための工夫が面白いのよ。そのまま真似するんじゃなくて、こちらの服にも取り入れられないかなって」
「今度は服まで持って帰るようになったか」
ベニマルが笑う。
「食べ物の話も色々聞かせてくれるわ。『シュナ様に見てもらいたくて』って、変わった食材を持ってくることもあるし」
「なるほど。あやつらしいのう」
また、みんなが笑った。
私は――。
何なのだ。
この感じは。
ベニマルには思い出がある。
ハクロウにもある。
シュナにもある。
みんな、ストラトスの話を楽しそうにする。
私は?
私は、リムル様の第一秘書だ。
いつもリムル様の一番近くにいる。
ストラトスがリムル様のところへ来れば、私もそこにいた。
旅に出た今だって、誰よりもストラトスの報告を聞いている。
なのに。
何もない。
「……リムル様のところに行ってくる」
私は立ち上がった。
「シオン?」
シュナが私を見る。
「どうしたの?」
答えなかった。
自分でも、どうしたのか分からなかったからだ。
◇◇◇
「おお、シオン」
執務室へ入ると、リムル様がいつもの笑顔で迎えてくださった。
「ベニマルのところに行ってたんじゃなかったか? 子供たちは元気だったか?」
「…………子供」
「ん?」
リムル様の斜め後ろを見る。
そこには、いつものようにディアブロが立っていた。
「第二秘書殿」
「何でしょう、シオン」
「少し、席を外していただけないだろうか」
「…………」
ディアブロが私を見る。
それから、リムル様を見た。
リムル様も何かを感じたのか、軽く目配せする。
「分かりました」
ディアブロが一礼した。
「リムル様をお願いします」
「ああ」
扉が閉まった。
「それで、どうした?」
「リムル様」
「おう」
「私は第一秘書ですよね?」
「……そうだけど」
「いつも、リムル様のお側におります」
「ああ」
「では――」
言葉が止まった。
何を言いたいのだ、私は。
「では、なぜ私は何も知らないのですか!」
「……何の話?」
「ベニマルはストラトスと一緒に仕事をしています!」
「え? ああ、職場体験の時か」
「ハクロウは剣を教えています!」
「うん」
「シュナは服を作っています! 今では旅先の服や食べ物の話まで聞いています!」
「そうだな」
「なのに私は!」
「…………」
リムル様が目を瞬いた。
「私は……」
もう止まらなかった。
「私は一番リムル様のお側にいるのに! ストラトスのことになると、私だけ何も分からないではありませんか!」
「…………」
リムル様が黙った。
しまった。
言ってしまった。
しかも、これは何なのだ?
私は何に怒っている?
秘密を教えてほしいのか?
違う。
そんなことでは――。
「……そんな風に思ってたのか」
「え?」
リムル様は怒っていなかった。
むしろ、少し驚いたような顔をしている。
「シオン。お前さ、ストラトスが来ると、よく席を外してただろ?」
「……はい」
「俺、てっきり気を利かせてくれてるんだと思ってた」
「だって!」
思わず声が大きくなる。
「私には分からない話をされるではありませんか!」
「あー……」
リムル様が頭を掻いた。
「まあ、そりゃな。話せないこともある」
「ほら!」
「でも、それとこれとは別だろ」
「……何がです?」
「話せないことがあるのと、お前がストラトスと一緒にいちゃいけないってのは、全然別の話だ」
「…………」
「俺、一度もお前に『席を外せ』なんて言ってないだろ?」
言われてみれば。
一度もない。
「でも……」
「今度あいつが来たら、席を外すな」
「ですが――」
「いいから」
リムル様が笑った。
「普段みたいに、俺の横に立ってろ」
意味が分からなかった。
それで何が変わるというのだろう。
だが、リムル様がおっしゃるのなら。
「……承知しました」
執務室を出る。
少し歩いたところで、壁際に見慣れた桃色の髪が見えた。
「……シュナ?」
「シオン」
「追いかけてきたのか?」
「あんな顔で出ていかれたら、気になるでしょう?」
「別に、何でもないぞ」
「何でもない人は、あんな顔でリムル様のところへ行かないわよ」
「…………」
シュナはそれ以上聞かなかった。
「でも、リムル様と話していたみたいだから、待ってたの」
「……そうか」
「もう大丈夫?」
「分からない」
「そう」
それだけ言って、シュナは微笑んだ。
そして何も聞かず、私と一緒に歩き出した。
◇◇◇
それからしばらくして。
ストラトスがテンペストへ戻ってきた。
執務室の扉が開く。
「リムル様、こんにちは!」
「おう、ストラトス。お帰り」
「はい!」
私は、いつもの場所に立っていた。
ほんの一瞬、身体が動きかけた。
席を外そうとしたのだ。
だが、止めた。
――今度あいつが来たら、席を外すな。
リムル様に言われたのだから。
ここにいればいい。
それだけだ。
ストラトスがリムル様の前へ進む。
そして――。
こちらを見た。
「シオン様、こんにちは!」
「…………!」
思わず固まった。
「?」
ストラトスが首を傾げる。
「シオン様?」
「あ……」
なぜだ。
なぜ私は、こんなことで。
「こ、こんにちは、ストラトス」
「はい!」
いつもの笑顔だった。
本当に、それだけだった。
私がいることを不思議がるでもない。
何かを隠そうとするでもない。
ただ、そこに私がいたから挨拶をした。
それだけ。
なのに、顔が熱い。
横を見ると、リムル様が妙な顔で私を見ていた。
「……なんですか?」
「いや、別に」
絶対に何か思っている。
だが。
今は、どうでもよかった。
「リムル様。それでですね――」
ストラトスが話し始める。
私は、その場に残った。
◇◇◇
話が終わり、ストラトスが執務室を出ていった後。
私も部屋を出ると、ちょうど廊下の向こうからシュナが歩いてきた。
「シオン」
「何だ?」
シュナが私の顔を見て、ふっと笑った。
「何がおかしい?」
「別に」
「笑っているではないか」
「だって」
シュナは、まだ少し笑っている。
「ちゃんと挨拶してもらえたみたいね」
「なっ――」
「聞こえたわよ」
「…………」
「そんなに赤くならなくてもいいでしょう?」
「赤くなどなっていない!」
「はいはい」
「シュナ!」
まったく。
なぜ、こんなことでからかわれなければならないのだ。
だが、シュナはすぐに笑うのをやめた。
「シオン」
「何だ?」
「ストラトス殿は、裏表のない方よ」
「…………」
「今見た、そのままの方」
今見た、そのまま。
私がいれば、普通に挨拶する。
私がそこに残っていても、何も気にしない。
最初から。
あの子の方には、何もなかったということか。
「……だけど」
「何?」
「ディアブロが育てているのだぞ?」
「ディアブロ殿だって、真っ直ぐな方よ」
「……本気で言っているのか?」
「ええ」
シュナは、にっこりと微笑んだ。
「リムル様には」
「…………なるほど」
シオンは思わず笑った。
そして、ストラトスに次に会ったら、今度は自分から声をかけようと思った。
ストラトスに「シオン様、こんにちは!」と言われただけで固まってしまうシオン。
本人はまだ認めないでしょうが、シュナにはすっかりお見通しですね(笑)。




