閑話:アピトのそばの白い花
ストラトスの旅先での、ちょっとした出来事。
今回は、彼が持ち帰った小さなお土産と、それを受け取ったアピトのお話です。
その山は、ストラトスにとって、かなり厄介な場所だった。
険しいからではない。
寒いからでもない。
魔素が、薄いのだ。
山の斜面には岩と砂礫が広がり、ところどころに苔のようなものが見える程度。木々はおろか、草らしい草さえほとんど見当たらない。
ストラトスは岩だらけの斜面を駆け上がっていた。
足取りは軽い。
上位魔将である彼にとって、この程度の山道は障害にもならない。
だが――。
「……思っていたより、厄介ですね」
周囲の魔素が、あまりにも薄い。
受肉した身体があるため、ただここにいるだけで魔素が失われるわけではない。
しかし、身体を動かせば魔素は消費する。
普段なら周囲から自然に補えるものが、ここではほとんど補充できないのだ。
走れば走るほど、蓄えを使うことになる。
もっとも、今すぐ困るほどではない。
それでも、無駄に長居する理由はなかった。
「早く抜けてしまいましょう」
そう呟いて、さらに速度を上げた。
岩場を蹴り、斜面を駆け抜ける。
やがて尾根が近づいてきた、その時だった。
「……?」
視界の端に、白いものが映った。
雪ではない。
こんな場所に?
ストラトスは足を止めた。
「花……?」
岩の隙間に、小さな白い花が咲いていた。
一輪ではない。
いくつも、いくつも。
砂礫の間を縫うように、小さな白い花が群れている。
「……すごいですね」
思わず、近づいた。
周囲には、まともな植物さえ見当たらない。
魔素も薄い。
風は冷たく、地面は乾いている。
なのに、その花だけは――。
何事もないかのように咲いていた。
『ストラトス』
「はい、ミスターモス?」
念話が聞こえた。
黒漆に金の紋章をあしらった印籠。
その正体は、モスの分体である。
『魔素が薄い。長居は無用だ』
「そうですね」
ストラトスは頷いた。
だが、その場を離れない。
『……ストラトス?』
「でも、見てください。こんな場所なのに、花が咲いているんですよ」
『……見えている』
「すごいと思いませんか?」
『そうだな』
ストラトスはしゃがみ込み、花を眺めた。
可憐で。
それでいて、強い。
こんな場所に根を下ろし、当たり前のように咲いている。
「……強いですね」
『ストラトス。魔力を抑えろ』
「あ、そうですね!」
ストラトスは身体に巡らせていた魔力を抑えた。
ここでは、余計な力を使わない方がいい。
それでも、花から目を離そうとはしなかった。
『……』
モスは、それ以上は何も言わなかった。
差し迫った危険があるわけではない。
それに、ストラトスが何かに興味を持った時、無理に引き離しても仕方がないことは、これまでの旅でよく分かっている。
「……あれ?」
ストラトスが首を傾げた。
よく見ると、同じように見えた花にも違いがある。
雄しべが長く、雌しべが短いもの。
逆に、雌しべが長く、雄しべが短いもの。
二種類。
「面白いですね」
どうして二種類あるのかは分からない。
だが、どちらも同じ場所に咲いている。
ストラトスはしばらく白い花を眺め――。
一人の顔を思い浮かべた。
「……師範に、見せてあげたいですね」
『アピト殿にか?』
「はい!」
ストラトスは嬉しそうに笑った。
「こんなに小さいのに、すごく強いんです。それに、とても綺麗ですから」
『……なるほど』
モスは静かに応じた。
ストラトスは花を傷めないよう、根元の土ごと慎重に採取した。
「これなら、持って帰れそうですね」
『ストラトス』
「はい?」
『そろそろ行くぞ』
「あっ」
そうだった。
夢中になっていたが、ここは、魔素の薄い山の中だ。
「すみません、ミスターモス。時間を掛けてしまいました」
『……わかっていれば構わない』
印籠から聞こえた声は、いつも通り落ち着いていた。
ストラトスは大切そうに花をしまうと、再び尾根へ向かって駆け出した。
今度は、無駄な魔力を使わないように気をつけながら。
◇◇◇
「師範、お土産です」
「私に?」
「はい!」
迷宮へ戻ったストラトスから差し出されたものを見て、アピトは少し驚いた。
小さな、白い花。
「山で見つけました」
「花を?」
「はい。ほかにはほとんど植物がなかったんです。それなのに、この花だけはたくさん咲いていて」
ストラトスは楽しそうに説明する。
「僕にとっては魔素が薄くて厳しい場所だったんですよ」
「厳しい?」
「はい。ひいひい言ってました!」
「……そう」
それは笑って言うことなのだろうか。
少し心配になったが、目の前で元気にしているのだから、今さら言っても仕方がない。
「それで、この花が?」
「はい。小さいのに、すごく強いんです」
ストラトスは白い花を見る。
「それに、綺麗でしたから」
「…………」
「師範に見せてあげたいなって」
アピトは、しばらく花を見つめた。
強くて。
綺麗だったから。
自分に――。
「……ありがとう、ストラトス」
「はい!」
◇◇◇
白い花は、第七十九階層の一角に植えられた。
アピトが自ら場所を選び、育てることにしたのだ。
過酷な山で咲いていた植物だけあって、生命力は強かった。
環境が変わっても枯れることなく、やがて迷宮の一角を小さな白い花が彩るようになった。
白い花は、決して華やかなものではない。
けれど、小さな花がいくつも寄り添うように咲く姿は、不思議と目を惹いた。
「……綺麗ですね」
アピトは、しばらくその花を眺めていた。
ストラトスが、あの山で足を止めた理由が、少し分かった気がした。
だが、一つだけ、アピトを悩ませることがあった。
「……難しいですね」
蜜である。
花が咲くなら、当然アピトとしては興味がある。
ところが、思ったように採れない。
何度か試しているうちに、アピトはストラトスが話していたことを思い出した。
雄しべが長く、雌しべが短い花。
雌しべが長く、雄しべが短い花。
二種類。
それぞれを観察し、試してみる。
そして――。
「……なるほど」
二種類の花を、交互に行き来する。
すると、それまでとは明らかに花の様子が変わった。
花から花へと花粉が運ばれ、やがて小さな実がつき始めた。
どうやら、この花は二種類が揃って初めて、本来の性質を発揮するらしい。
蜜の量は相変わらず少ない。
それでも、採蜜はアピトの領分である。
やがて少量ではあるが、白い花の蜜から蜂蜜を作ることができた。
◇◇◇
「そういや、アピト」
「はい、リムル様」
「ストラトスが旅先から持って帰ってきた白い花って、どんなの?」
気にはなっていた。
ストラトスが魔素の薄い山で見つけて、わざわざアピトへの土産に持ち帰った花だ。
「こちらです」
「へぇ」
案内された先には、小さな白い花が咲いていた。
「これかぁ」
小さな白い花が、いくつも集まって咲いている。
派手さはない。
けれど、白い花が重なり合うように広がる様子は、なかなか綺麗だった。
「一つ一つは可愛い花だけど、こうして集まると結構綺麗だな」
「はい。私も、そう思います」
アピトが、少し嬉しそうに答えた。
「とても強い花です。育てること自体は、それほど難しくありませんでした」
「へぇ。結構過酷な場所で育ってたんだろ」
「ただ、蜜を採るのには少し苦労しました」
「蜜?」
「はい」
アピトから説明を聞く。
雄しべと雌しべの長さが違う二種類の花。
二種類の花を行き来することで実がつくようになったという。蜜の方も、苦労はしたものの、少量ながら採れたらしい。
「へぇー。面白いね」
「少量ですが、蜂蜜がございます」
「お、マジで?」
それはぜひ味見してみたい。
アピトから渡された蜂蜜を、少しだけ口にする。
「…………ほう」
いつもの蜂蜜とは、ずいぶん違う。
色も濃い。
味も濃い。
香りにも独特の癖がある。
「どうでしょうか?」
「うん。面白いね、これ」
嫌いじゃない。
いや、好きな人なら、かなり好きな味なんじゃないだろうか。
ただ――。
「好きな人は好きな味だね」
「はい」
「でも、商売として考えたら、もうアピトの蜂蜜があるからなぁ」
「…………」
アピトが白い花を見る。
この花をもっと増やせと言われれば、もちろん従う。
リムルの命令であるなら、迷う理由などない。
ただ、できることなら。
「だから、こっちは採れる量まで気にしなくていいんじゃない?」
「……よろしいのですか?」
「うん。無理して大量に作る必要ないだろ。今くらいでいいよ」
「……はい」
アピトは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「ありがとうございます、リムル様」
「ん? おう」
◇◇◇
リムルが去ったあと、アピトはもう一度、白い花の蜜から作った蜂蜜を見た。
量を増やす必要はない。
ならば――。
「……そうですね」
商売にする必要などないのだ。
この花は、ストラトスが持ち帰ってくれたもの。
ならば、その蜂蜜も――。
ストラトスのために使えばいい。
迷宮の濃い魔素の中で育ったせいだろうか。
この蜂蜜には、普段自分が作っているものとはまた違った性質があるように感じる。
ストラトスに持たせている神精蜜。
あれに少量を加えたら、どうなるだろう。
配合も考えてみよう。
そのまま混ぜればいいというものでもないだろう。
「少し、研究してみましょうか」
アピトは白い花を見つめた。
今度ストラトスが帰ってくるまでに、何か一つくらい試せるものができればいい。
◇◇◇
「ん?」
その頃。
俺は、さっきとは別の理由で足を止めていた。
白い花の近く。
花が終わったところに、黒い実がついている。
「…………」
なんだろう。
これ。
見たことがあるような……。
いや、ある。
前世だ。
確かテレビで見た。
何だったっけ。「〇腕〇ッシュ」だったか?
俺は黒い実をじっと眺めた。
「…………もしや」
いやいや。
まだ分からない。
「アピト」
「はい、リムル様」
「この実、いくらか貰っていいか?」
「リムル様のご希望のままに」
「サンキュ!」
さて――。
ちょっと、確かめてみるか。
お読みいただき、ありがとうございます。
ストラトスにとっては、師範に見せたかった、小さな白い花。
アピトにとっては、幼い頃育てたアルが、自分を思って持ち帰ってくれた大切な贈り物です。
ちなみに、今回登場した白い花にはモデルがあります。
最後にリムルが気になった黒い実も、そのヒントのひとつ。
さて、リムルは何に気づいたのでしょうか。




