閑話:琥珀色の記憶と、朝カフェ
西側諸国での騒動を終え、テンペストへの帰路につくストラトスたち。
今回は、帰り道に立ち寄った朝カフェでのお話です。
ファルメナス王国へと向かう魔導列車の発車時刻まで、あと一時間少々。 ブルムンド駅前は、大きな荷物を抱えた商人や旅人たちで早くも賑わいを見せていた。 昨日の激戦と騒動、その後の深夜に転移して両親への報告を済ませ――一夜明けたブルムンドの朝には清々しい青空が広がっていたが、ストラトスの心は晴れてはいなかった。
あの危機的状況の中、ストラトスはアピトからもらった神精蜜を使った。 ヴェノムから見てもファインプレーといえる見事な判断だったし、ストラトス自身も使うべき時に使ったという納得はある。だが今、胸の奥にシクシクと疼くような、なんとも言えない心もとなさが居座っていた。
「馬車も積み込んだし、列車に乗る前に腹ごしらえをしましょう。この近くにお勧めの店があるんです」
ジョシュに案内され、ストラトスとヴェノムは駅近くの路地へと向かった。
「ここは、テンペストのパンを出している店なんですよ」
ジョシュが扉を開けると、ふわりと香ばしい焼き立てパンの良い匂いが漂ってくる。
「いらっしゃいませ。――おや、ジョシュ様。それに……」
店主は一瞬だけストラトスの姿に目を見張ったが、すぐに笑みを浮かべて会釈した。
ここはテンペスト資本のパン屋だが、駅近という好立地を活かした情報収集の拠点でもある。にこやかに対応する店主は、テンペストでパン焼きの訓練を受けたスタッフであり、同時に情報収集を担う者でもあった。
ここで出されるパンは、テンペスト仕込みのものだ。生地はテンペストから運び込み、店で焼き上げている。現地では同じ品質を出すのが難しいためだ。
「ジョシュ様、お久しぶりです。ファルメナスへ向かわれる前の腹ごしらえですかな?」
「ええ。少しお腹に入れておこうと思いましてね。それと、護衛の冒険者たちに持っていくので、いくつか見繕ってもらえますか? 三人分」
「かしこまりました。奥の席へどうぞ。……ちょうど良いところに来ていただけましたよ」
三人が奥の落ち着いたボックス席に腰掛けると、店主が誇らしげな笑みを浮かべ、皿に載った湯気立つ品を運んできた。
「いま、新メニューの試作品が焼き上がったところでしてね。よろしければ、ご試食をお願いできませんか?」
テーブルに置かれたのは、こんがりと黄金色の焼き目がついた分厚いトーストだった。 表面にはたっぷりと澄んだ琥珀色の蜜が染み込んでおり、熱でとろけたバターのコクと混ざり合って、たまらない甘い香気を放っている。
「うわぁ……すごく美味しそう」
「テンペストのパンに、テンペストのバター、テンペストのハチミツを使っています。さあ、温かいうちにどうぞ!」
店主に勧められ、ストラトスは焼きたてのトーストを両手でそっと持ち上げた。 一口かじると、サクッという軽快な音とともに、もっちりとした生地の旨味、そして芳醇で濃厚なハチミツの風味が口いっぱいに広がっていく。
「――っ」
第七十九階層での師範との生活がよみがえる。 師匠は無骨であまり笑わなかったが、師範はいつも優しい笑顔を見せてくれていた。
『アル』
そう言って、おいしいハチミツを食べさせてくれた、あの温かな日々。 慈しむように注いでくれた師範の愛情が、甘みとともに胸いっぱいに満ちていく。
「おいしいなぁ……」
呟いたストラトスの目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちていた。 本人は泣いていることにすら気づいていない。
「おいしい……本当においしい……」
ただ夢中になって、涙を零しながらトーストにむしゃぶりついている。
驚いたジョシュが思わず声をかけた。
「お、おい、どうしたんだ……!?」
狼狽するジョシュの肩を、隣から手が制した。
「色々あんだよ」
ぶっきらぼうに吐き捨てたヴェノムの横顔は、「俺はなんとなく事情を知っている。深入りするな」と語っていた。
ジョシュもその空気を敏感に察し、それ以上問い詰めるのをやめた。
しんみりとした空気を払うように、ジョシュがカウンターの店主へ声を張る。
「おい、店主。このハチミツトーストに合わせるとしたら、紅茶かい? それとも珈琲?」
「そりゃ、紅茶じゃないですか? 華やかな香りがハチミツを引き立てますよ」
「私は珈琲だと思うんだがねぇ。あの苦味がバターのコクにぴったりだ」
二人のやり取りを聞きながら、ストラトスは口いっぱいに広がる甘さを噛み締めていた。
(……ああ、俺は心細かったのか)
アピトから貰った神精蜜。その小瓶が空になったことで、まるで大切なお守りを無くしたような気がしていたのだ。
そんな二人を、ヴェノムが呆れたように眺めていた。
「紅茶でも珈琲でもいいじゃねぇか」
アピトからもらった神精蜜。
使うべき時に使った。それでも、なくなってしまえば少し寂しい。
そんなストラトスでしたが、思いがけないところで懐かしい味と再会しました。
ちなみに――
ハチミツトーストには紅茶か、珈琲か。
ヴェノムの言うとおり、どちらでもいい気がします(笑)。
では、また次回に。




