芽生える猜疑心
目を覚ますと、医療用ロボットがヴァイオレットの顔を覗き込んできた。二つの丸、それから一つの横棒が、ロボットの表情ディスプレイに映っていた。
「きゃあ! な、何? ここ、どこ……?」
角のない楕円系の医療用ロボットは、アームを伸ばして混乱しているヴァイオレットの腕を優しい力で押しとどめ、表情ディスプレイの口に該当する棒を逆三角形に変えた。
「ここはヴレードル中央病院です。あなたは市街地で倒れていたところを搬送され、治療を受けました。急性精神ショックによる意識喪失が原因です。睡眠と栄養補給により退院可能ラインまで回復されています。しかし、希望があればカウンセリングを受けることも可能です。どうされますか?」
説明が終わるころには、ヴァイオレットは状況を飲み込んですっかり落ち着いていた。
「説明ありがとう、取り乱してごめんなさい。退院させていただくわ」
「承知しました。お着替えが終わったら受付までお越しください」
ロボットは病室の脇に置かれたヴァイオレットの服や靴をアームで示し、足に付いたキャスターで滑らかに移動して病室を出て行った。
ヴァイオレットは入院服を脱ぎながら昨日の記憶をたどった。人を殴ったアレクシス、変わり果てたバーベナ、それらを思い出してヴァイオレットは再び気分が悪くなる。だが、治療を受けるよりも一刻も早くホテルに戻りたくて仕方がなかった。
着替えを終えたヴァイオレットが受付に向かうと、そこにも医療用ロボットが居た。受付業務専用にカスタマイズされているそれは、ヴァイオレットの病室にいた個体よりも高い音を出した。
「ヴァイオレット・ヴァーノン様ですね。この度はご利用いただきありがとうございました。治療費、宿泊代のお支払いは済んでおりますので、このままお帰りいただいて結構です。どうぞご自愛くださいませ」
「誰が支払ってくださったの?」
「アレクシス・アルトナー様よりお支払いいただきました」
「どうしてアレクシス様が?」
「申し訳ございません、お答えできません。以上でご案内を終了いたします」
それきりロボットは待機状態になってしまった。
「もう、答えてくれたっていいのに……」
ヴァイオレットが諦めて病院を出ようとすると、待合スペースに赤い髪の男を発見して硬直した。アレクシスもヴァイオレットに気づいて近づいてきた。
「おはよう、ヴァイオレット。体の具合は?」
「お、おはよう、ございます。アレクシス様。もう、この通り、元気になりました」
ヴァイオレットは緊張のあまりうまく話せず、目も合わせられなかった。
急にアレクシスが待合スペースの壁を指差した。ヴァイオレットはつられてそちらを見ると、壁にヴレードルのニュース映像が映っていた。
昨日七時頃、通行人が三人の男に襲われる事件が発生しました。幸い被害者に怪我はありませんでしたが、加害者は取り調べに対し黙秘しているということです。ヴレードル警察は――
そこまで聞いて、ヴァイオレットはようやくアレクシスを見ることができた。彼はヴァイオレットと目が合ってほっとしているようだった。
「正当防衛だったことを理解してもらえたか?」
「ええ、アレクシス様の方が襲われていたんですね。私ったら勘違いで逃げてしまって、本当に申し訳ないことをしました。アレクシス様もお怪我はありませんでしたか?」
「俺は平気だ。君は何も悪くない、あの場面を見たら誰だって勘違いをする」
「病院に連れてきてくださったのもアレクシス様だったのでしょうか? 治療費までお支払いいただいたようでありがとうございます」
「どちらも気にしないでくれ。……君が倒れるほどショックを受けたのは、俺が奴らを返り討ちにしたところを目撃したせいなのか?」
違います、ととっさに言えなかった。バーベナの顔が脳裏をよぎって、鳩尾のあたりが苦しくなったせいだった。
アレクシスは沈黙を肯定と受け取ったようで、すまなかった、と言った。
「酷い光景を見せたお詫びと言ってはなんだが、ホテルまで送ろう」
「あ、ありがとうございます」
病院を出ると、車寄せにアレクシスの車があった。車体は落ち着いたグレーで、一見すると目立たない普通の車だったが、近づくと車に詳しくないヴァイオレットでさえ高級車であると分かる代物だった。
車に乗ってふかふかのシートに隣り合って座ると、滑らかに車体が空中に浮かび上がった。車線高度まで上がると、公共のキューブたちが列を成して飛んでいた。アレクシスの車もその列に入り、ヴァイオレットが宿泊しているホテルに向けて平行移動を始めた。
朝の街を見下ろしていると、ヴァイオレットの頭の中はバーベナのことでいっぱいになっていく。
彼女とは家が近所で、幼馴染だった。花の自動潅水装置が故障すると一緒に直しに行かされたこともあった。機械をメンテナンスする機械もあり、さらにそれを修理する機械もあるが、最終的には人間が修理することになるのだ。古い型の潅水装置は、何年にもわたって広大な土地に水をやってきたせいでよく故障した。バーベナとああでもないこうでもないと言いながら機械いじりをして、失敗すると二人でびしょびしょになった。
彼女が惑星エンナを出て行って、大人たちは怒り心頭だったが、子供たちで彼女を非難する人はいなかった。幸せに暮らしているという異星からのメッセージをみんなで回し読みをして、遠い宇宙のどこかに思いを馳せた。便りが絶えたあとも、きっと幸せ過ぎて故郷のことを忘れたのだと友人たちと言い合った。
だが、そうではなかった。彼女は変わり果てていた。便りを送ることも、通信手段を持つことも、おそらく許されていないのだ。
助けたい、とヴァイオレットは思う。だが、見ないでと言ったバーベナの気持ちを考えてしまう。助けられることを彼女は望まない。それは彼女をますます惨めにする。きっとヴァイオレットに見られた瞬間から彼女は死ぬほど惨めな思いをしている。
イェンジェイのことを思い浮かべると、今まで感じたことのない怒りを感じた。腹の底から熱が湧き上がる怒りだった。両親や友達とすれ違って喧嘩した時にも感じたことがないものだった。
あの男がバーベナを惨めにした。目を入れ替えて肉をえぐり宝石を埋め込んで、彼女の愛と体をもてあそんだ。
「ヴァイオレット?」
名前を呼ばれてはっとする。ヴァイオレットは自分がアレクシスの車の中にいることを思い出した。遠くの方にはホテルが見えてきていた。
「ごめんなさい、考え事をしていましたわ。何でしょう?」
「昨日の予定は流れてしまったが、改めて君の時間を貰えないか?」
「もちろんですわ、アレクシス様」
反射的に返事をしてから、ヴァイオレットは心臓のあたりに冷たい風が通り抜けたのを感じた。それは嫌な予感だった。自分が選択を間違えたと、無意識に思ったからだった。
イェンジェイとアレクシスが同じことをしないと、どうして信じられるだろう?




