透明な記憶
ヴァイオレットは日が高いうちに仕事を終えて会社を後にした。マーケットに寄っていくつか果物を買い、弾む足取りで帰り道を歩く。法改正のおかげで顔を覆うヴェールが不要になったので、街の様子がよく見えた。
街ではエンナの権利譲渡を祝うムードに包まれており、至る所にエンナの旗やアクラシエル商会のシンボルマークが飾られていた。
エンナが経済破綻してから約一年、財政の再建は順調に進んでいた。
ヴレードルでのテロによる混乱が収束したあと、エスペラント企業連合筆頭理事のイニョンに対しテロへの関与で逮捕状が出たが、彼女の行方は杳として知れず、企業連合のエンナへの圧力も急激に弱まっていった。それに伴い企業連合の不当な買いたたきも是正が進み、企業連合以外の企業との貿易契約妨害もなくなったのだった。
そして、まさに今日がアクラシエル商会との契約締結日となっており、アレクシスが所有する惑星エンナの権利も譲渡される運びとなっていた。
曲がり角にあるカフェから赤い髪の男が出てきて、ヴァイオレットはあっと声を上げた。彼もこちらに気づいて人好きのする笑顔を浮かべた。
「やあ、ヴァイオレット。奇遇だな。今日の仕事は終わったのか?」
「こんにちは、ローラント様。今夜は約束があるので早めに上がりましたの」
家の方向が同じなので、流れでローラントと一緒に帰ることになった。
「君のその表情から察するに夫と会うんだろう? 残念、そうでなければ今日こそ二人で食事でもどうかと誘ったのに」
「いつもいつも申し訳ないですわ」
ヴァイオレットは控えめに笑いつつ口元を左手で隠した。薬指には婚約指輪と結婚指輪を重ねづけしていた。
ローラントは、気のないヴァイオレットの反応に肩をすくめた。
「今日は祝賀会がございますから遠慮させていただきますが、お茶ならご一緒いたしますわ。エンナでは新茶のシーズンにお茶会を開くのが通例ですの。私の家でもお茶会を開きますから、会社の方やご友人と一緒にいらしてくださいね」
「その招待を受けよう、君の友人の一人としてね」
穏やかな顔で言ったローラントには、かつてヴレードルで初めて出会ったときの苛烈な面影はなかった。灰色だった髪もストレスによるものだったのか、エンナで暮らすうちにアレクシスと同じ赤になっていた。
それからローラントの仕事のことや生活で困っていることがないか聞き出し、大きなトラブルなくやっていけていることに安堵した。
「常々不思議なんだが、どうして君は俺をこんなに気にかけてくれるんだ? 君に何の得もないのに、身寄りのない俺をエンナに呼び寄せて仕事も住む家も見つけてきてくれた」
いつかは聞かれるだろうと思っていた質問だったが、まだ適切な嘘の返答が思いついていなかった。以前の自分の記憶の一切を失った彼には、アレクシスとの本当の関係は絶対に伝えられない。
ヴァイオレットが返答に悩んでいると、ローラントが勝手に納得したような顔をした。
「やっぱり君の夫と同じ顔をしているからか。記憶を失う前の俺があの男とそっくりの容姿に整形したのか不思議でならなかったが、もしかして君のためだったか? 仕事ばかりで君をほったらかしにするような夫に愛想を尽かしたらいつでも――」
「結構ですわ」
ぴしゃりと言えば、ローラントはからからと笑った。
ヴァイオレットがエンナで独り暮らししているのは、アレクシスに放っておかれているからではない。エンナを出る前に休学した学校を卒業するため、それから友人の興したオーダーメイド品種改良の会社を手伝うためだった。
話をしているうちに、まだぴかぴかの新居が見えてきた。門扉の前でローラントに別れを告げた。
「それじゃあまた、今夜は楽しんで」
「ええ、またお会いしましょうね」
ひらりと手を振って、ローラントは歩き去っていった。ヴァイオレットは、彼の背中が見えなくなるまで暫くその場に留まっていた。
過去の自分のことを何も知らない無害な彼は、エリュシオンへ隕石を落とし、銀河で海賊を率い、ヴレードルでテロを引き起こしたローラント・アルトナーその人だった。
ローラント及び他実行犯は、アクラシエル商会が製造した銃で狙撃されて逮捕され後、ヴレードルで裁かれた。
ローラントに下ったのは惑星ヴレードル特有の罰で、死生刑もしくは転生刑と呼ばれるものだった。死生刑に処されると、記憶抹消及び記憶想起手掛かりへの反応抑制と、遺伝子編集で犯罪的傾向を治療される。その内容の特殊性から、思想系犯罪者に下されることが多かった。罪を犯した人格のままで生きることも死ぬことも許されず、記憶を消される前の人生を否定されることを意味した。
ローラントが釈放されたのは逮捕からわずか三か月後のことで、事件の規模に関わらず平等に迅速な裁判が求められるヴレードル裁判所では一般的な速度だった。
死生刑に処された元犯罪者は、釈放された後、被害者や元仲間から殺されるか、貧弱な自立支援のせいで行方知れずになるかの二択とされていた。それを知ったヴァイオレットは、すぐにローラントに連絡を取り、ヴレードルからエンナまでの宇宙船のチケットを送ったのだった。
チケット代は高額だったが、オークション資金の残りから捻出し、残りの資金は全てヴレードルテロ被害者の義援金として寄付をした。
ぼんやりと佇んでいると、ヴァイスとシシィが迎えに来た。それぞれを抱きしめて目一杯撫でた。
「ただいま、おりこうさんたち」
バラの小径をヴァイスとシシィと歩きながら庭の様子を確認する。シシィが言いつけ通り掃除をしてくれたようで、一つの落ち葉もなかった。
玄関扉を開けると、暗い玄関に人の姿がありヴァイオレットはびくついた。しかし、それがアレクシスだと分かると、ヴァイオレットはぱっと笑顔を浮かべた。反射的に抱きしめようとしたが、彼の冷え冷えとした眼差しに気づいてその場に立ち尽くした。背後で扉が閉まり、玄関はさらに暗くなる。
「おかえり、ヴァイオレット」
「た、ただいま帰りましたわ……。アレクシス様もおかえりなさいませ。随分早くお迎えに来てくださったのね」
「ああ、仕事を早く片付けたからな。だというのに君ときたら……」
アレクシスがため息を吐いた。
ヴァイオレットはさっと視線を逸らした。この様子では、明らかに秘密がばれている。
その時、シシィがアームを伸ばしてヴァイオレットの持っていた果物の袋を取り、アレクシスの横を通っていってしまった。ヴァイスもそろそろとその後をついて行った。
二人きりになると、沈黙はヴァイオレットの肩だけにのしかかった。
「あの、アレクシス様。ローラント様のことですが……」
ちらとアレクシスの様子を窺うと、彼は笑みを浮かべたが、目はまったく笑っていなかった。
「ああ、ちょうどその話を君の口から聞きたいと思っていたところだ」




