愛は光の如くに降り注ぎ
テロリストが逮捕されたというニュースがヴレードルを駆け巡った時、イニョンは二人の妻と共にヴレードルにある隠れ家の一つにいた。
地下室は照明で明るく照らされていたが、窓がないせいか薄暗く感じられた。部屋の中央には、椅子に縛り付けられてがたがた震えているセラがいた。
「ローラントとかいう男、逮捕されたみたいよ」
それを聞いてもセラは何も言わなかったし、イニョンとも目を合わせようとしなかった。イニョンはその横っ面を引っぱたいた。
「震えていないで何か言いなさいよ、誰のせいでこんなことになったと思っているの?」
「……だ、だってイニョンが、アレクシスの弱点を見つけろって言ったから」
舌打ちをすると、セラはびくついた。
「あんた、あの男と見た目と声が同じだから兄弟だと信じたわけ? 馬鹿馬鹿しい、遺伝子検査もしてないのに信用できるものですか……! 見た目なんていくらでも変えられることくらい、あんたが誰よりよく知っているはずでしょう!?」
セラの見た目はすべてイニョンが選んだ生体パーツであり、元の肉体で残っているのは脳だけだった。
「テロリストをヴレードルに引き込んでうちの企業秘密まで明け渡したのに、結局あんたは失敗した! 私がオークションに負けたのはあんたのせいよ、この無能……! あの星は私のものなのに、お母様が私に贈ったものだったのに!」
肩で息をするイニョンを、セラは嗤った。それはこれまで一度もセラが見せたことのない最も醜い一面だった。
「私を蔑ろにするからこうなったの! 私はすべて、本当にすべてを捨ててあなたと結婚した。なのにあなたは私をこき使って、気に入らなければ殴って、ルイーズと比べて罵ってきた。挙句の果てにはまた新しい妻が欲しいから手伝えって? 冗談じゃない、冗談じゃない……! 私があなたの物であるように、あなたも私の物なのよ、イニョン!」
イニョンは全身の血が沸騰するのを感じた。美しい顔が醜く歪むのを止められないほどの怒りを感じた。
殺そう。
怒りが限界を迎えた。首を絞めてやろうとした瞬間、ずっと見ているだけだったルイーズがイニョンを押しのけた。その手にはポリタンクがあり、ふたを開けて中の液体をセラの頭からぶちまけた。
次の瞬間には、セラの絶叫が地下室に響き渡った。みるみるうちにセラの髪や顔はどろどろに融け崩れ、体も液状化して人の形を失い泥のように変貌していった。
ルイーズがイニョンの肩を抱き、床に広がっていくそれらから遠ざけた。液体からはすさまじい悪臭が立ち上り、イニョンはすぐに鼻を覆った。
「遺体処理用の薬品、いざという時の為にここに置いていてよかった」
ルイーズは床に広がるセラだったものを冷たい目で見下ろす。その横顔は怜悧な刃物のようで、セラとは比べ物にならないほど信頼できるものだった。
「上に行きましょう。こんな場所にあなたを居させられない」
地下室を出てリビングルームへと移動した。外はちょうど夕暮れ時で、空が赤く染まっていた。
「ここは静かね、テロがあったとは思えないくらい」
ルイーズはお茶を用意しながら穏やかに言った。人を生きたまま融かしたことが嘘のように落ち着いており、しかもその落ち着きは演技ではなかった。
ルイーズはかつて惑星エルドラドにある小国の姫君だった。災いをもたらす姫君という予言のせいで地上千メートルの高い塔の頂上に閉じ込められていたのを、美しい姫君が居ると噂を聞いたイニョンが勝手に連れ出して妻にした。あれから二十年経っても彼女の見た目はほとんどかわらず、照り映える月のような美しさは翳ることを知らない。
出されたお茶を飲みながら、イニョンは情報収集を始めた。一刻も早くヴレードルを離れ、警察当局からも企業連合からも逃げなければならない。機械脳の情報漏洩元やテロの手引きをしたのがセラだと判明すれば、イニョンにも捜査の手が及ぶことは確実だ。
「どうにかして誰にも知られずにヴレードルを脱出しないと……」
イニョンが独り言ちると、部屋に沈黙が降りた。何も言わないルイーズへ視線を向けると、彼女は薄気味悪い微笑を湛えていた。
「何がおかしいのよ」
「ようやく邪魔な女が消えたのよ、少しくらい大目に見てもらえるかしら?」
イニョンは驚きに目を瞬いた。セラを妻に迎えた時も浮気をした時も文句の一つも言わなかったルイーズがそんなことを言うとは夢にも思わなかったからだ。
「外に出てはいけないわ、イニョン」
「馬鹿言わないで。ローラントが捕まったと知れば周辺宙域の海賊船も逃亡するでしょうし、宇宙港の封鎖も解除されるはずよ、少なくともヴレードルからは離れないと」
「いいえ、だめよ」
ルイーズのやけに温かい手がイニョンの頬を包み込んだ。
「あなたはもう逃げられないのよ、イニョン。外に出たら最後、あなたは捕まって刑務所に入ることになる。刑期を終えて出所したとしても、あなたに恨みを持つ銀河中の人々があなたを千々に引き裂いてしまうでしょう」
イニョンはルイーズの手を払いのけた。
「そんなはずない、きっと誰かが助けに……」
言いながら、誰の顔も思い浮かばないことに気づいてイニョンは愕然とした。どんな時でも手を貸してくれた連中は、全員殺してしまった。
どうにかしなさい、と言おうとしたが、口が動かないことに気づいた。硬直していた手からはカップが滑り落ち、床の上で粉々に割れた。必死で動かそうとする手をルイーズがほっそりとした手で包み込んだ。
「怖がらないで、イニョン。警察にも企業連合にもあなたを引き渡すつもりはないわ。ほとぼりが冷めるまで眠ってもらうだけ」
頬を紅潮させ、瞳を輝かせるルイーズは、イニョン以外の何も目に入らないようだった。
「あなたを独り占めすることを夢見ていたの、あなたが私を外へ連れ出してくれた時からずっと。あの時のあなたはおとぎ話に出てくる勇者みたいだった。十八年間ずっと、塔の上で独りきりで、誰かが連れ出してくれるのを待っていたの。あなたの姿がどれほど光り輝いて見えたか、この世に不自由が存在することさえ知らなかったあなたにはきっと想像もできないでしょう」
焦りや混乱で頭が爆発しそうだったが、イニョンは強烈な眠気に負けつつあった。暗くなっていく視界の向こうで、ルイーズの声だけが聞こえた。
「愛しているわ、イニョン。喩えあなたが銀河の全てから嫌われたとしても、わたしだけはずっと……」




