救いの手
アレクシスがベッドで目を覚ますと、傍らにヴァイオレットの姿はなかった。彼女が寝ていた場所のシーツはとっくに冷たくなっていた。一瞬だけ不安に駆られるが、彼女が家の中にいるという確信があったので、すぐに消えた。
瞬きを繰り返すと視界に拡張現実が重なった。すでに時刻はヴレードル時間で十五時を回っており、三時間以上も眠っていたことになる。
一度休みましょうというヴァイオレットの言葉に従ったのは正しかった。バイタルサイン測定結果は良好だった。地下にいた時にはソドムにいた頃と似た精神状態になっていたが、今は薬も飲んでいないのに過剰な攻撃性は影を潜めていた。
しわになった服を着替えて部屋の外に出ると、家事用ロボットが近づいてきた。部屋を出た瞬間から、家中から人の話し声が聞こえてきており、アレクシスは警戒を強めていた。
「状況報告」
「アクラシエル商会ヴレードル支部の皆さま約三百名がお見えになっています」
予想外の返答に、アレクシスは目を瞬いた。
「……誰が中に入れた?」
「ヴァイオレット様がアレクシス様の代理でお呼びになりました。暴徒化した市民に襲われた商会ヴレードル支部のビルから脱出した職員や、安全なシェルターを持たない職員へ呼び掛けられました。名簿は今送りました」
アレクシスの視界に避難してきた職員リストが表示された。
「ヴレードルは引き続きロックダウン状態にあり、市民の大半は避難済みとなります。暴徒化した市民による破壊活動は断続的に続いていますが、テロリストは犯行声明を発表以後沈黙。警察やヴレードル連合軍がテロリストの潜伏先を探していますが発見には至っていません。また、ヴレードル付近の宙域には海賊船がいくつも確認されており、惑星外からの船も近づけていません。状況は膠着しており、惑星全土で混乱が続いています」
「世論は?」
「犯行声明のうち、銀河連盟による謝罪声明に対してはヴレードル市民の好意的意見三割、エンナ割譲は零。ヴレードル政府はテロを容認しないというメッセージを発信していますが、他惑星へは状況を伝える通信が到着しておらず、外惑星軍も未派遣です」
「進展があれば知らせろ。ヴァイオレットはどこだ?」
「一階西エリアにいらっしゃいます」
一階に降りるとアクラシエル商会の職員たちが大勢おり、アレクシスの姿を認めると、躊躇いがちに挨拶をしてきた。誰もがローラントの犯行声明を見たのだろう、全く同じ顔の会長に一切の疑いを持たない者など居ようはずもなかった。
西エリアは一続きのホールに変わっており、来たばかりと思しき不安げな表情の職員たちが休憩していた。外でテロが起こっているとは思えないほど場の空気は弛緩していた。
「アレクシス様、お目覚めになったんですね」
ヴァイオレットが足元にヴァイスを従えて近づいてきた。その手にはお茶の入ったカップを乗せたトレーがあった。彼女の周りの空気は、いつもと変わらず緩やかだった。
「君が職員を集めたと聞いたが?」
「ええ。緊急事態に自社の職員の安全確保に尽力するのは当然のことですわよね?」
きらきらした目でヴァイオレットは言った。付近にいる職員たちからも純粋な尊敬のまなざしが向けられていた。
「ヴレードル在住のアクラシエル商会の方々の安全確認は全員完了いたしました。企業連合傘下企業の機械脳を使用されている方もおらず、亡くなった方や大怪我を負われた方もいらっしゃいません。このエリアにいらっしゃらない従業員の方々は、東側エリアでお仕事に従事されています。ここで全員がお休みになるだけの仮設ベッドや食料の備蓄は確認済みですわ。インフラが壊滅した場合でも、あと数日は籠っても問題ないことは確認済みです。それから、アレクシス様のお車がどれも安全性が高いものでしたから、一台を残して他は救助を求めている職員の方々の迎えに使用しております」
手がふさがっているヴァイオレットは顎で庭の方を示した。芝生が広がっているだけの庭には、いくつものテントが張られ、その下に大量の荷物が積まれていた。テントの間を人や運搬用ロボット、輸送用ドローンが忙しなく移動している。
「暴徒による被害予測地域にある倉庫がいくつかありましたので、被害に遭う前に商品を回収できるだけしてお庭を仮置き場とさせていただきました。私からの報告は以上ですわ。重役の方々が北エリアを会議室として使用されていて、アレクシス様をお待ちです」
「……君も来い」
「私はここでやることがございますわ」
ヴァイオレットが困った顔でトレーを視線で示したので、アレクシスはそばに居た男の職員を呼び止めて代わらせた。ヴァイオレットの手を掴んで廊下へ連れ出す。
「怒っていらっしゃるの? 勝手なことをしたのはわかっていますわ、ごめんなさい。けれど、アレクシス様がテロの共犯を疑われていると知って、商会が沈黙を貫くのは危険だと思ったんですの」
「そんなことより君は平気なのか?」
「平気ですわ。精神動揺はシシィが治療してくれましたし、何よりここは絶対に安全だと教えてくださったではありませんか」
後ろを振り返ってヴァイオレットと目が合うと、微笑まれた。反射的に手の力が強まると、ヴァイオレットの笑顔が曇った。アレクシスはすぐに手を離したが、ヴァイオレットは変わらず後ろをついてきた。
「君がこういう事態に対処できるとは知らなかった」
「戦争やテロのことはちっともわかりませんが、エンナでも災害は時々起こります。それに対処する両親の姿を見てきましたから、お手伝いくらいできますわ」
「ヴァイオレット」
「はい?」
「礼を言う、ありがとう。君が居て助かった」
吐息で歌うように笑った声が背後で聞こえた。




