灰纏う狼
企業体惑星エンナが企業更生手続き申請を行ったというニュースが銀河を駆け巡ったのは、ヴァイオレットがアレクシスとの婚約を発表してから半年後のことだった。
エンナは国家と企業を兼ねる特殊な体制であることと、その影響規模が惑星全土へ波及することを鑑み、破産が見込まれた時点ですぐさま更生手続きへ移行した。
銀河第四銀行はエンナに対し再三の支払い督促をしながらも融資の返済がなされていなかったため、エンナの更生手続きが開始される直前に抵当に入っていた惑星を差し押さえた。
競売にかけられることになった惑星エンナの売却最低価格は三十兆地球ドルに設定された。ローンによる支払いは当然不可のため、落札額の一括払いが可能な者だけが参加資格を持っていた。
競売は永久中立惑星ヴレードルで行われることとなり、通信による入札でオークション超長期化を防ぐため参加者は全員が現地へ召集された。
エンナのオークション参加者は僅か四名だった。
一人目はアクラシエル商会会長アレクシス、二人目は超新星爆発的に拡大を続ける新興の観光系企業の社長カフカ、三人目は三十年前に故郷の惑星ティル・ナ・ノーグを追われた亡国の皇子ルーベンス、四人目はエスペラント企業連合筆頭理事にして教団教祖イニョン。
開場一時間前にヴァイオレットとアレクシスは会場に到着したが、その時すでにルーベンスとカフカがいた。
ルーベンスはその妻と子三人、母、妹、それから従者を十人、さらにカフカも親族十五人、企業関係者四人、護衛を五人連れていた。また、詰めかけた報道関係者やオークション運営者などもおり、会場前の待合ホールは非常に混雑していた。
ルーベンスは滅びた国を再興するまで声を発しないという誓いを立てているためアレクシスとヴァイオレットに目礼だけしたが、カフカはにこやかな笑顔を浮かべながら二人に近づいてきた。
「ごきげんよう、お二人とも。ご婚約、誠におめでとうございます」
カフカは虹色の瞳をしており、ヴァイオレットは競争相手だということも忘れてその瞳を見入ってしまった。呆けているヴァイオレットの代わりにアレクシスが挨拶をした。
「ごきげんよう、カフカ・トワ・ベルマン。お祝いの言葉をどうもありがとう」
「それにしても婚約の贈り物については驚かされました。婚約者のために惑星一つ競り落とそうだなんてそんな大それたこと、あなた以外には口にもできないでしょう」
「ええ。もしも他の誰かが同じことを言っていたら困るところでした、彼女が目移りしたでしょうから。この銀河の誰より想っていることを行動で示せる絶好の機会に恵まれ私は幸運です」
そう言ってヴァイオレットの肩を抱き寄せたアレクシスに、カフカは愛想笑いをし損ねて戸惑いをその顔に浮かべた。
カフカがその場を離れた後、アレクシスはすぐにヴァイオレットの肩から手を離した。が、ヴァイオレットはその手を捕まえた。
「仲違いをしたと思われたら銀河中からがっかりされますわ。出資金を返せと言われたらどうするんですの?」
ヴァイオレットは目線で報道陣を示した。人間や取材用ロボット、カメラドローンなどがこちらに好奇の目を向けていた。
アレクシスは再びヴァイオレットの肩に手を置いた。今度は控えめに。
ヴァイオレットが彼が打ち明けた秘密を受け止め切れず、キスを拒んでからというもの、アレクシスはすっかりよそよそしくなっていた。
パーティーに連れて行くこともなくなり、家でも顔を合わせず、食事も一緒に取らなくなった。それからすぐにオークションの開催が決定され、二人でヴレードルへ向かう道中でもアレクシスは最低限の会話しかしなかった。ヴレードルの別荘に着いてもそれが変わることはなく、ヴァイオレットはこの期に及んでオークションで勝てる見込みがあるのかも知らなかった。
「参加者の資金調達状況はどうなっていますの?」
アレクシスに耳打ちすると、彼は咳ばらいしてから答えた。
「カフカとルーベンスの資金は最低落札価格を超えるが、俺たちには遠く及ばない。どちらも本気で落札できるとは思っていない。オークションに参加することで銀河に顔を売るのが目的だ」
「でもイニョン様は今さら売名など不要、そうですわよね?」
「その通りだ。しかし、あの女は当然落札するつもりで参加する。教団の資金が閉鎖される前に自分の懐に入れ、連合傘下の企業からも莫大な資金を搾り取った。俺とイニョンの現金個人資産はほとんど横並びとなっているが、こちらには結婚の祝い金という莫大な出資金あり、オークションの進行状況によってはさらに出資を受けられる可能性がある」
「事前の見立てでは勝てる、ということですわね。でも、そのお顔では安心されていないご様子」
「あの女もオークションで勝てそうもないことがわかっている。となればオークションの前に俺たちを潰そうとするはずだ。ヴレードルまでの道中での襲撃は失敗した。何か仕掛けてくるとすれば、開場までのこの時間だ」
アレクシスは深くため息をついて、ヴァイオレットの耳に顔を寄せた。
「出方を待つしかないのは苦痛だな。こんなことならこちらも襲撃すればよかったよ」
笑った吐息がヴァイオレットの耳にかかった。ヴァイオレットは複雑な気持ちをどうにか押し込めた。
ヴレードルまでの航海中、アクラシエル商会の宇宙船は他の船に衝突されるという事故に遭った。幸い大事はなかったが、その船が意図的にぶつかってきたことは明白だった。
にわかに入り口付近が騒がしくなり、ヴァイオレットは身を固くした。入ってきたのはイニョンとその付き添いたちだった。
イニョンは目敏くヴァイオレットを見つけると、ゆったりとした足取りで一直線に近寄ってきた。
茶色の瞳に射すくめられると、ヴァイオレットは吐き気がこみ上げ、全身から血の気が引いた。治療を受けトラウマが形成されるのを防いだはずだったが、恐怖心は完全には消え去っていなかった。それでも立っていられたのは、アレクシスの腕がヴァイオレットを支えていたからだった。
「あらあら、せっかく野に植え直した花がこんな場所に落ちている。この星に似合う花瓶などないと知っているはずなのに不思議ね。ああ、とっても危険だわ。また踏みつけてしまうかもしれないわね?」
完璧な微笑を浮かべるイニョンの両脇には、彼女の麗しい妻二人が嘲笑うような目をして寄り添っていた。
「花にも咲く場所を選ぶ権利はある。外を目指す花なら尚のこと野に植え直すのは人の心がないというもの。花瓶はここにあり、薄汚れた水や土に触れることもない」
感情のない声で言って、アレクシスはイニョンの足元を一瞥した。さながらそこだけ薄汚れているとでも言わんばかりの目で。
イニョンは鼻を鳴らしたが、矛を収めたようで、あいさつ代わりの悪意をぶつけるだけにとどめた。彼女は一瞬だけ入り口を見遣り、ヴァイオレットたちから離れて行った。
「ありがとうございます、アレクシス様」
イニョンたちが十分遠ざかってからヴァイオレットは礼を言った。
「あの女が好き勝手言うのを放ってはおけないだけだ。しかし、すぐに攻撃してくる様子もないのは妙だ。開場まであと三十分もない。誰かを待っているのか、打つ手がないのか……」
そうですわね、と言いながらアレクシスの方を向き、自分たちがほとんど抱きしめ合っていることに気づく。イニョンに怯えるあまり、無意識にすがりついていたのだ。ヴァイオレットは慌ててアレクシスから離れた。
「何も仕掛けてこないなら安心ですわ。私、お手洗いに行ってまいります」
ヴァイオレットは一機の機械護衛とともにその場を離れ、トイレへと逃げた。用を足して手を洗い、鏡の中の自分を叱咤してから戻った。
廊下を歩いていると、赤いバラの髪飾りが外れて落ちた。拾おうとかがみかけた時、向かい側から伸びてきた手が先に拾った。
「ありがとうございます。あら、あなた……」
髪飾りを受け取ろうとして、ヴァイオレットは硬直した。背中に嫌な汗が伝うのを感じた。
「君のだろう、どうかしたのか?」
そう言って髪飾りを差し出した男は、灰色の瞳と、灰色の髪をしていた。




