花と狼
惑星エンナは、宇宙に進出した人類によって発見された惑星の一つだった。人類生存可能惑星と認定された後、花卉栽培に特化した環境改良が行われた。
銀河向けの輸出品はもちろん花で、地上は常に花で埋め尽くされている美しい惑星だ。惑星全土の企業が企業体エンナに所属しており、企業体が国家運営まで担っている珍しい惑星だった。
しかし、あと十年で惑星エンナは破産する見込みだった。
惑星間貿易には夥しい人間が関わっており、転移門の管理会社や輸出用宇宙船の親会社がエンナを破産に追い込み惑星ごと乗っ取りを画策していることについ最近までエンナ人は気づかなかった。
別の取引先企業を探そうと模索しているが、現在の取引先へ納入する以外に輸出用製品の生産を増やすことも難しく、さらに現在の取引先が新しい取引先を探す動きを妨害までしてくる始末だった。
惑星エンナの統括管理AIによれば、花卉栽培事業用の肥料や水、それから著しく低い食料自給率を賄うための大量の食糧の輸入費が今後十年でかさみ、数十年単位で契約している輸出品を十分に栽培することは不可能となる、と。
食料問題は銀河連盟に助けを求めれば必ず解決される。しかし、惑星エンナという企業が銀行から受けた融資は破産により返済不可能となり、抵当に入っている惑星ごと競売にかけられることになる。
残り十年では債務不履行は阻止できず、惑星エンナが競売にかけられることも止められない。
この未来について知っているのは、エンナ人でも限られている。ヴァイオレットは企業体惑星エンナの長である父が重役たちと話しているのを偶然聞いてしまった。
ヴァイオレットは故郷が好きだった。土に栄養を与え、季節の花の種を蒔き、水をやる。生花になる花は満開になる前に刈り取られてしまうが、惑星エンナで加工するコットンフラワーやベニバナが満開になる様は壮観だ。
そんな日々の仕事や大好きな光景が失われるのは、嫌だった。
だからヴァイオレットは惑星エンナの外に出た。なぜなら惑星一つ競り落とせるだけの金が必要だったから。
惑星が競売にかけられれば、天文学的な金額になることは目に見えていた。それだけの金をたった十年で稼ぐことは到底不可能だった。
しかしそれだけの財を持つ人間はこの天の川銀河中を探せば必ず存在する。そんな誰かと結婚して、その人のお金で惑星エンナを競り落とす。
他人の好意を利用する悪しき計画であることは理解していた。だが、まともな方法ではまともではない企業連合には対抗不可能だとも痛感していた。
「戻らなきゃ……」
長い長いもの思いから浮上しても、ヴァイオレットはその場から動けなかった。
ユエに向けられる粘着質なまなざしを再び向けられるのが辛かった。ユエの元に戻って彼との時間をやり過ごしても、その後には最後のお見合い相手との時間が始まるだけだった。
考えれば考えるほど体が重くなっていく心地がして、ヴァイオレットは首を振って無理やり思考を止めた。
「ああ嫌だ! ただお金が必要なだけなのに、なんでこんなことしないといけないのかしら。人の顔見て鼻の下伸ばす人ばっかりだし、本当に馬鹿みたいだわ」
自分で選んだ状況だと理解しつつも、愚痴を言いながら髪飾りを付け直した。しかし、うまく髪に引っかからなかったのか、また落ちてしまった。花が自分の気持ちを映し出しているように見えて、ますます気分が落ち込んだ。
ヴァイオレットが手を伸ばした時、向かい側からも手が伸びてきて、きゃっと悲鳴を上げてしまった。
顔を上げると、目の前には見知らぬ赤い髪の男が立っていた。ヴァイオレットに髪留めを差し出す。
「ありがとうございます。あら、あなた……」
ヴァイオレットは背中に汗が伝うのを感じた。
彼が誰だか知らない、のは誤りだった。彼の顔は、写真で見た。この灰色の目を知っている。この後会うことになっている最後のお見合い相手だ。
彼の名前はアレクシス・フェーニクス・アルトナー。天の川銀河中で貿易を行うアクラシエル商会の会長だ。アクラシエル商会は惑星間貿易を行う企業の中で一二を争う銀河級企業だ。扱っていない商品はなく、届けられない惑星はないとまで言われる。
プロフィール上での肉体年齢は二十三歳。アクラシエル商会の会長の選出方法は謎に包まれており、たった二十三歳であっても適性を見込まれ選任されたのだ。
非遺伝子操作人間と書かれていたが、恵まれた肉体を見る限りそうは思えなかった。
彼の推定資産は一兆地球ドル、さらに数多の惑星に不動産を持ち、個人用の宇宙船を二つも所有している。
尋常ではない規模の企業の会長ということもあり、黒い噂もあるものの、ヴァイオレットの見合い相手の中で最も資産を持っていた。
それなのに、愚痴一つで相手に気に入られるチャンスを台無しにしてしまった。お金目当てのお見合いであることが始まる前から露見した。アレクシスもヴァイオレットの顔は事前に知っているはずであるので、人違いで押し通すこともできない。
「ご、ごめんなさい。失礼します」
ヴァイオレットは踵を返し、レストランの外へ向かった。失敗は許されない状況だと言うのに、油断して失態を犯した。胃がキリキリして、本当に気分が悪くなっていた。
「君、大丈夫か?」
柔らかく肩を掴まれて、ヴァイオレットは振り返った。アレクシスが追いかけてきたのだ。ヴァイオレットはアレクシスの顔を見る余裕も、作り笑いを浮かべる余裕もなかったが、どうにか首を振った。
「ご心配には及びませんわ。休めばきっと良くなりますから」
「でも顔が真っ青だ。帰るなら送ろう」
「何ですって?」
ヴァイオレットは驚きすぎて声が裏返った。アレクシスがきょとんとする。
ひょっとして、さっきの愚痴は聞かれていなかったのかしら?
そんなことを考えていると、廊下の向こうからユエが現れた。彼は走ってヴァイオレットの元まで来ると、絡まれていると思ったのかアレクシスの腕を掴んだ。
「ああ、失礼した」
アレクシスは手を離したが、それはいかにも非力そうなユエの強制によるものではなかった。
「戻ってこないからどうしたのかと思って来てみれば、誰だお前は? 彼女に何の用だ?」
アレクシスの灰色の目がちらとヴァイオレットに向けられる。ヴァイオレットは気まずくて顔を背けていた。
コーディネーターからは見合い相手同士が顔を合わせないようにセッティングしていると聞かされていたが、ユエとの見合いが長引いたせいでこんな事態になってしまった。
「ただの通りすがりだ。彼女の体調がすぐれないように見えたから、手を貸そうとした」
「そうか。ご苦労だったな。僕が彼女を見送るから、お前は来なくていい」
二人は一触発状態だった。ヴァイオレットは慌てて二人の間に割って入った。
「ユエさん、お気遣いありがとうございます。でも一人で帰りますわ。また時間を改めてお会いできると嬉しいです。それから、あなたもありがとう」
ヴァイオレットはユエの制止の声も聞かずに小走りで廊下を抜けて、レストランの外に出た。
街中をふわふわと浮かびながら移動しているキューブと呼ばれる角が取れた正方形の車に乗り、宿泊しているホテルの名前を告げた。キューブがふわりと車線高度まで浮かび上がり、目的地へ向けて移動し始めた。
ヴァイオレットは深くため息を吐いて、遠ざかるレストランを見下ろした。ほどなくしてそれは景色のひと粒となっていった。まるで地上の星のようだった。




