安息の地
それからのヴァイオレットは、アレクシスの婚約者として数々のパーティーに参加して、時にはオークション参加予定者の牽制に一役買わされた。地球上の様々な地域、時には月面都市へと飛び回り、顔や名前を覚えきれないほど多くの人々と出会った。
ヴァイオレットが資金集めやオークション参加者予定者たちとの駆け引き、さらにはチャリティーオークションに奔走する一方で、惑星エンナの状況は坂道を転がるように悪化していた。公的機関による財政状況への警告や介入があったものの、企業連合の圧力や賠償金の支払いから逃れられず、財政状況が改善することはなかった。
以前は辺境の惑星エンナに注目する人はほとんといなかったが、アレクシスが全宇宙に向けて惑星エンナを競り落とすと宣言したことで注目を集めるようになっており、地球にいるヴァイオレットの元にも日々情報が届いていた。
また、イニョンの情報もあらゆるニュースサイトで毎日飛び交っていた。
教団に対する献金の訴訟関係のニュースが特に多かった。これまでは問題視されてはいたものの訴訟までは起きていなかったが、アレクシスが教団の被害者と弁護士を結び付けて支援したことで訴訟が急増し、教団の賠償金は膨れ上がっていた。さらに、教団員による修行の強要が児童虐待にあたるとして逮捕される事件も起きており、教団には銀河中から厳しい目が向けられつつあった。
アレクシスに対するイニョン側の攻撃は、法的なものではなく、物理的・電子的直接攻撃がほとんどだった。二人の外出中に何度も襲撃され、その度ヴァイオレットは泣いて気絶するほど恐ろしい目に遭い、アレクシスや機械護衛が適切に対処して無傷で生還した。ヴァイオレットもアレクシスから自衛手段として銃の取り扱いを教えてもらったが、一度も役立てられることはなかった。
目まぐるしく過ぎる日々の中で、ヴァイオレットはバーベナの遺体を故郷に帰せないかとイェンジェイのことを調べたが、彼は惨殺されていたと判明した。ヴレードルのとある森で動物に食い荒らされた状態で発見されたそうだ。
その配偶者バーベナはすでに微生物分解葬のうえ共同墓地に埋葬された後で、家族との法的な縁を切った彼女の遺体を故郷に帰せる見込みはなかった。ヴァイオレットはバーベナの両親に彼女が亡くなったことを連絡したが、バーベナがどのような目に遭わされたかは一切伝えなかった。
傍らにいるアレクシスは、さらに商会の最終意思決定者としての仕事があった。傍目には椅子に座って眠っているようにしか見えない時に、アクラシエル商会の電子的会議空間上で膨大な数の会議をこなしていた。
アクラシエル商会はそのネットワークを銀河中に広げ続けて業績も伸ばしているものの、惑星間貿易を行う他の企業と同様に、近年急激に台頭し始めた宇宙海賊による貿易船や資源採掘船の襲撃や奪取に悩まされていた。
アレクシスの決定で設立された商会の護衛船団は海賊船撃退や拿捕で著しい成果を上げている一方、一企業が保有すべき軍事力の規模ではないと銀河警察組織から解体命令の要求が出ていた。商会は裁判所から解体命令を出させないために各方面へ働きかけを行いつつ、宇宙海賊の背後にいる組織を炙り出して異様に潤沢な資金源を断とうとしていた。
海賊のせいでただでさえ忙しいアレクシスに降りかかる異常な数の会議や業務に、ヴァイオレットは毎日不安を募らせていた。
「商会役員の脳を繋げて総意を抽出して俺が最終決定を下すだけだから、どの決議も一瞬で終わっている」
死んだように動かないアレクシスが目を開けた後、そうヴァイオレットに説明した。一日に二つのパーティーに参加して本宅に戻った後のことで、ヴァイオレットは椅子の上でぴくりとも動かないアレクシスが過労死したのではと心配したのだった。
「俺は劣悪な環境でも耐えられる体だから君に気遣ってもらう必要はない」
「そんなことできませんわ。近頃いつ寝ているかもわからない生活をされているではありませんか」
「そう思うのは君が寝ている間に俺が寝て起きているせいだ」
なおもヴァイオレットが不安げな顔をしていると、アレクシスは悪戯を思いついたように目を細めた。
「心配が尽きないなら今日は一緒に寝よう。君は好きなだけ俺の寝息を確認すればいい」
主寝室のベッドに横になると、アレクシスは直ぐに寝息を立て始めた。ヴァイオレットはその唇に指の背を寄せて、かすかな風を感じてほっとした。
アレクシスの入眠速度は異常に早く、そして異常に眠りが浅く、物音がすれば一瞬で目を覚ます。
最初の頃は、アレクシスはヴァイオレットが立てるかすかな物音にも動きにも敏感に反応して目を覚ましていた。それが警戒心の強さによるものだと気づいたのは、ヴァイオレットがアレクシスと共に襲撃に遭ってからだった。
ヴァイオレットには考えられないことだったが、彼はいつどんな時も、自宅にいる時以外は絶対に気を抜かない。襲撃、毒殺、電子攻撃、外部からのあらゆる攻撃を常に警戒しており、機械護衛なしで外を出歩くこともない。
パーティーで出会ったアクラシエル商会幹部たちも同様に警戒を緩めることはなかったが、その周りには機械護衛の他に少なくとも人間の護衛が一人はいた。アレクシスは雇った人間の裏切りまで警戒して機械以外を周りに置かなかった。
アレクシスは究極的に人間不信だったが、それと同時に彼の護衛が務まるほどの能力がある人間は存在しなかった。アレクシスは、襲撃されて機械護衛が破壊されるほど追い込まれた時には、最終的に自分が武装して戦い、単身でその場を切り抜けてしまう。すでにヴァイオレットという足手まといがいる状況で、さらに能力不足の護衛をそばに置けるはずもなかった。
「眠れないのか?」
いつの間にか目を覚ましていたアレクシスの声で、ヴァイオレットの思考は止まった。
「ごめんなさい、くすぐったくて起こしてしまいましたか?」
ヴァイオレットはアレクシスの口元から手をどけた。しかし、アレクシスがその手を取って、指の背に口づけた。
「どうせ俺の眠りは浅い、好きな時に起こせばいい」
「そんなこと仰らないでください、人の勝手で起こされて困らない人はいませんわ」
ヴァイオレットがアレクシスの目元を手で覆うと、アレクシスは吐息で笑った。
「本気で言っているんだ、俺は。君に起こされるなら構わない。目覚めてすぐ、自分の身に危険が迫っていないことが明白になるのだから」
アレクシスが自分自身の話をしようとする気配を感じて、ヴァイオレットはごくりと唾を飲み込んだ。イニョンから真偽不明の話を聞いて以後、いつか聞いてみたいと思ってはいたが、彼が自ら話し始める時が来ると信じて待っていた。
「……つまらない話をしようかと思ったが、君のことだ。聞いたら眠れなくなるかもしれない」
「それでも構いませんわ。今話したいとお思いなら、夜を徹しても伺います」
言った後で、ヴァイオレットは本当に自分が話を聞く覚悟ができているか不安になった。銀河はあまりに広く危険に満ちており、人類はあまりに長く想像もつかない歴史を紡いできた。エンナで生まれ育ったヴァイオレットにとって、それは目を覆いたくなる程恐ろしいものばかりだった。
「そう言ってくれるなら、君だけには全てを教えてあげよう」
ヴァイオレットが手をどけると、昏い灰色の瞳が現れた。何もかもが燃えた後の色は、彼がこれから語ろうとする事の残酷さを物語っていた。




