変容と受容
婚約披露宴から一晩明けて、ヴァイオレットはアレクシスの本宅で目を覚ました。凄まじく疲れているはずだったが、寝る前の緊張感がまだ残っているせいか眼が冴えて疲労感を感じなかった。
着替えてからブレスレットで口座情報を確認すると、昨夜から引き続いてさらに残高が増え続けていた。アレクシスから事前にこうなると聞いていたが、実際に手元で増えて行く数字には恐怖を禁じ得なかった。ヴァイオレットは耐えきれず口座情報ウィンドウを消し、部屋を出た。
残高が増え続けている原因は、アレクシスの贈り物について聞いた招待客たちが二人へ莫大な祝い金を振りこんでいるせいだった。さらに、ニュースで婚約披露宴でのことを知った多くの人からも同様に援助の申し出があった。すでにそれは地球のみならず、銀河中から集まっており、いつ収まるかも定かではなかった。
ヴァイオレットがダイニングルームに到着すると、朝から仕事をしていたアレクシスも少し遅れて現れた。
ロボットが運んできた朝食を見ても、ヴァイオレットはあまり食欲が湧かなかった。
「体調が悪いのか? 昨日の披露宴で疲れたなら遠慮なく休めばいい」
アレクシスが心配してくれたが、ヴァイオレットは首を振った。
「ご心配ありがとうございます。けれどそうではありませんわ。昨夜から祝い金の金額が増え続けていて、なんだか怖くて食欲も……」
ヴァイオレットは怖いもの見たさでもう一度口座の金額を確認したが、すでに十億地球ドルを超えていた。
「まだ序の口だ。商会の重役たちもそれなりの金額を用意しているはずだ。俺たちの婚約披露宴のニュースが銀河中に行き渡るまでしばらくかかるし、さらに祝い金という名の出資があることだろう。それに加えてこれから俺は君をパーティーと名の付く全てに連れ回す予定だ。そこで会う人々にも支援の約束を取り付ける」
「そしてそのお金でエンナを競り落とす、と?」
ああ、とアレクシスは楽しそうに言ってコーヒーを飲んだ。
「合法的に銀河中から金を巻き上げると言っただろう。これらは全て俺たちへの祝儀、後ろ暗いところなど一切ない金だ。イニョンが信者共から搾り取っているのとは訳が違う。教団の集金は激しくなりすぎて方々から捜査の手が伸び始めている、近くあの女の集金は頭打ちになるだろう。さらには昨日のことで宇宙中がエンナに注目し始めた、誰がエンナを追い詰めているのかが暴かれるのも時間の問題だ」
機嫌が良いためか、アレクシスは普段積極的に食事をしないのに、クロワッサンをかじっていた。ヴァイオレットも徐々に元気づけられてきて、一緒にクロワッサンをかじった。
「それから俺の保有する資産を一部売りに出す。もちろんその金はエンナの購入資金に充てる、一種のチャリティーオークションだ。不動産や美術品、骨董品、売りに出して話題になりそうな物は売り払う」
ヴァイオレットが取り戻した元気は再び消え去り、食べかけのクロワッサンを皿に置いた。
「アレクシス様が稼いだお金で得た物を売るなんて、そこまでしていただくのはやっぱり申し訳なく思いますわ」
「君が気に病む必要はない。処分予定だった先代から相続した物を売るだけだ。俺は銀河中に向けてエンナを競り落として君と結婚すると豪語した、余計な見栄のためにしくじるつもりはない」
そう言い切ったアレクシスは頼もしかった。エンナまでヴァイオレットを迎えに来てからというもの、彼はどこか吹っ切れたような雰囲気があり、それは言動に顕著に現れていた。
「君にはもっと堂々と振舞ってほしい。私と結婚したいなら星の一つも贈って当然、くらいの態度でいてくれ。もしも君が俺の隣でびくびくしていれば、俺は故郷を救うのと引き換えに無理やり結婚を迫った大悪党だと書き立てられるに違いないのだから」
ヴァイオレットはアレクシスに強引に迫られる場面を想像してちょっと妙な気分になったのを、笑顔で誤魔化した。
「仰る通りですわね。出資者の方々にも失望されないよう気を付けますわ」
「その意気だ。敵はイニョンだけではない。エンナの危機を知って競り落とそうと準備を始める輩もいるだろう。オークションが始まるまでに資金集めはもちろんのこと、ライバルは消せるだけ消す。オークションに参加する可能性のある資産家や企業はすでにリストアップ済みだ」
アレクシスの言葉に呼応したように、ヴァイオレットの目の前に霧がかかり、大量の文字列が浮かび上がった。
「こんなにたくさん……。でも、どうしてエンナを欲しがるのでしょう? 個人には様々理由がありそうですけれど、企業でエンナを所有したいと考える理由は何ですの? エンナにめぼしい資源はないと人類入植以前の調査時点で知られているのではなくて?」
「その通りだ。資源発掘の旨味が少ないからそういった企業はまず名乗りを上げないだろう、アクラシエル商会がオークションに乗り出さないのも同じ理由だ。しかし、観光系企業はエンナへの旅を売り出したいと考えて不思議ではない。昨日の披露宴で、人々が君に見惚れていたのに気づいただろう」
ヴァイオレットは複雑な気分で頷いた。招待客たちは、ドレス姿のヴァイオレットが現れるや否や、ぽかんとした顔で見つめていた。
「でも、あれはアレクシス様の演出のせいですわ。ああいったドレスはエンナにはありませんもの」
「君自身のせいだが、その議論は脇に置くとしよう。多くの人はエンナに浪漫を感じて行ってみたいと思っただろう。実際、俺も足を踏み入れてみて観光地としても魅力があると感じた。といっても、惑星一つ競り落とせるだけの資金がある観光系企業は少ないし、いつくもの企業が協力関係を結ぶことになるだろうから、亀裂が入るよう手を加える」
ヴァイオレットは曖昧に笑って、ふとアレクシスが酷いことをするかもしれないのに止めようともしない自分に気が付いてびっくりした。
「どうかしたか?」
ヴァイオレットは感じたことを飲み込もうとしたが、アレクシスの視線を受けて、彼に話してみてもいい気がしてきた。
「私、エンナで生きていた時と違って、アレクシス様が誰かに酷いことをして仲違いさせようとしているのに、止めようと思いませんでした。それが、そんな自分が、変わってしまったと気づいて、驚いていたんですの。それから、イニョン様に穢れたと言われた意味がようやく理解できた気がして……」
思いを言葉にしてみると、輪郭がはっきりしたせいでより胸にずしりと重みを感じた。
「君は自分が穢れたとして、それが悲しいのか? 人を疑う心を持ち、悪辣な行いから目を背ける人間になったことを後悔しているのか?」
ヴァイオレットは体の中にある重みにじっと意識を向けた。やがて首を振った。
「いいえ、後悔していません。自分が変わったことに驚いて、少し寂しくなっただけですわ。私は必要があったから自らの心の形を変えたのです」
ヴァイオレットが凛とした声で言うと、アレクシスは微笑んだ。
「穢れだの清浄だの、そんな概念は他人を貶めて罪悪感を持たせるために用いられるものだ。君は穢れていない、何者にも穢されてはいない。君が君である限り、綺麗なままだ」
その声色が刺々しさもなく、そっけなさもなく、穏やかで優しかったので、ヴァイオレットは胸の中の重みが溶けて消えていくのを感じた。




