掟破りの代償
ヴァイオレットはアレクシス、それからヴァイスとシシィと名付けたロボットを連れて家に戻った。両親と暮らす家だが、二人は仕事でいなかった。
ヴァイオレットの実家は、一応は惑星国家元首である父と企業体エンナの取締役社長である母が暮らす家にしてはこぢんまりした、しかし西エンナではごく一般的な大きさの木造家屋だった。
仕事で家を空けることが多い両親は、エンナ人が心血を注ぐ庭づくりも時間を割くことができず、家の広い庭はヴァイオレットが好きに管理していた。と言っても、エンナを出る前に人に譲ってしまった花も多く、戻ってきてからも庭いじりをする気分になれなかったので雑草だらけで良い状態ではなかった。
みすぼらしい庭でがっかりされたらどうしよう、とヴァイオレットはひやひやしたが、アレクシスはヴァイオレットのことばかり見ていたので杞憂だった。
家に帰ると、ヴァイスはいつものようにヴァイオレットの部屋に置かれた犬用のソファーで寛ぎ始めた。脅威が存在しないエンナに染まり切ったヴァイスに、アレクシスはじとっとした目を向けた。
「そのソファー、気に入ってくれているんですの。ヴァイスはずっと良い子にしていましたわ。シシィも毎日私の治療をしてくれました。彼らがいなければ、私はここに辿り着けませんでしたわ。本当にありがとうございます、アレクシス様」
「そいつらは勝手に君について行った。俺は何の命令も与えていない」
ふん、とヴァイスが鼻を鳴らした。含みのある音だったが、アレクシスは黙殺した。
「お茶をご用意しますから、おかけになってお待ちください」
ヴァイオレットがスミレの青いお茶を用意して自室へ戻ると、アレクシスが飾られていた婚約指輪を眺めていた。
付けておくのは忍びないが、かといって綺麗で捨てられなかったので部屋に飾っていたのだ。
ヴァイオレットはバツが悪くなって目を逸らしつつ、テーブルにカップを置いた。
「君に害虫がついたら困るから、もう二度と外さないでくれ」
アレクシスが指輪を取ってヴァイオレットの指にはめた。ヴァイオレットがちらとアレクシスの様子を窺うと、彼は微笑んでいた。その微笑みはあまりに純粋な喜びを表していて、ヴァイオレットは恥ずかしさも忘れてしばらく見つめてしまった。
「ヴァイオレット、そろそろ君の顔を見せてほしい」
言って、アレクシスはヴァイオレットが被っているヴェールの裾を指先で揺らした。
「これは外せませんわ。私は掟を破ってエンナの外へ出て、再び戻ってきてしまいました。ですからこうして顔を隠す必要があるのです」
「それはいつまで?」
「決まっていませんわ。エンナで人と会う時は一生このままです。どうかそんな顔をなさらないで、最初から全て承知の上ですわ。あと一年もすれば家族以外とも会えるようにはなりますから」
手を下ろしたアレクシスは、ヴァイオレットよりもショックを受けたような顔をしていた。
「君はどうしてそうまでして故郷を救おうとするんだ?」
「故郷を救うのに理由が必要なんですの?」
時が止まったようにアレクシスは動きを止めた。表情も瞳も、一瞬だけ完全に固まった。
おかしなことを言ったかしら、とヴァイオレットが内心慌てていると、アレクシスはふっと目元を和らげた。その瞳はすこし潤んでいるように見えた。
「そうか、残念だが君をこの惑星から連れ出すまでは我慢するよ」
「連れ出す? 一体どこへ?」
「星を競り落とすだけの金を用意するのには俺の力だけでは無理だ。君の協力が不可欠だ、ヴァイオレット。この惑星を離れ、俺と共に来てほしい」
ヴァイオレットは差し出された手を握りそうになったが、イニョンの事が頭を掠めて止まった。過去の出来事に対する恐怖心はかなり癒えたが、未来の事に関してはまだ明るい展望が持てないでいた。
「でも、私は、ここにいないと、またイニョン様が、誰かを……」
「君が外に出たことがあの女の怒りを買おうとも、奴はまだこの惑星に手は出せない。君自身が狙われても俺から離れなければ問題ない」
「私のせいでまたアレクシス様が狙われるかもしれないのに、そんな簡単に言わないでくださいませ」
「命を狙われることは日常茶飯事だ、常日頃から対策もしてる。君が怖いと言っても必要だから連れ出す、安全な場所に居たいというなら俺の家に居てくれればそれでいい。君だけは絶対に守るよ」
アレクシスは淡々と言ってヴァイオレットの手を掴んできた。ヴァイオレットは、アレクシスが不幸にできると豪語した理由の一端を理解させられた。
「幸か不幸か、君を連れ回して不自由を強いる時間は十年もないはずだ。」
アレクシスがヴァイオレットの手を放し、座るように促した。話をしようということだろう。二人はテーブルを挟んで座った。
「残念ながら君がヴレードルを出てからエスペラント企業連合が様々な難癖で企業体エンナを訴えていて、双方が申し立てに関する証拠品を提出した段階のものが多いが、ほとんどすべての訴訟でエンナが勝てる見込みがない。エンナはすでに数千万地球ドルの賠償金の支払いが惑星エンナに命じられていて、今後も賠償金はさらに増えるだろう。そのせいでエンナの財政はさらに悪化した。この状況で企業体エンナと新しく貿易契約を結ぼうとする企業は皆無だ。企業連合がエンナを潰す気だと分かっていて、邪魔をすれば同じ道を辿らされるからだ。アクラシエル商会も静観を決め込むことが決まっている」
「そんなことがどうしてまかり通っているんですの? これまで大規模な訴訟を起こされたことがない企業が急にいくつも訴訟を起こされるなんておかしなことですわ。公的機関は見過ごしていると仰るの?」
「ああ、まさしくそうだ。企業連合から多額の賄賂が惑星間貿易公正取引監視機構に流れている、惑星エンナに対しての締め上げを見逃させるためのものだろう。たとえ見過ごさなかったとして、調査しても企業連合は尻尾を出さないだろう。連合傘下の企業は真っ当な理由で訴訟を起こし、それが偶然にも同時期に重なっただけだと主張するだろうし、実際それが真実だと証明されるだろう。商会側の計算では、どんなに長く見積もっても惑星エンナは残り数年で破産する」
ヴァイオレットは視界が真っ暗になった。
たった数か月で残り時間は半分にまで減ってしまったのだ。この数か月間何も出来なかったどころか、状況悪化の加速を招いたのはおそらくイニョンの怒りを買った自分のせいだった。
ヴァイオレットの青い顔に気づいたアレクシスは首を振った。
「君のせいじゃない、自分を責める必要はない。君が何もしなかったとしてもこの惑星は同じ運命を強制的に辿らされていたはずだ。エンナの惑星造形師が死んだ後に群がってきた企業連合の連中が最初からそう仕組んでいたんだろう。イニョンは欲しいと思った物はどんな手段を使っても手中に収めようとする人間なのだから」
アレクシスの説明に感情は乗っていなかったが、それでもヴァイオレットの心は軽くなった。
「イニョン様のこと、お詳しいんですのね」
「アクラシエル商会の競合相手のトップだからな、当然知っているさ」
アレクシスは眉間に皺を寄せながら言った。問うまでもなくイニョンに嫌悪感を抱いていることは明白だった。
「これまでの話で分かってもらえたように、惑星オークションは避けられないだろう。しかし、商会側はすでに惑星エンナのオークションには参加しないことを決定した。だから俺個人がオークションに参加する」
ヴァイオレットは寸でのところでお茶を嚥下していたので咽ずに済んだ。
「本気で仰っているの? てっきりアクラシエル商会として参加されるのかと思っていましたわ。いくらアレクシス様が資産家とはいえ、企業連合相手では競り負けますわ」
「いいや、企業連合もオークションには参加せず、イニョンが個人で参加するはずだ、せっかく惑星一つ手に入れるのに自分一人で独占できなければ満足しないからな」
「どうしてそんなにイニョン様のお考えが見通せるんですの?」
ヴァイオレットからしてみれば、イニョンの思考回路は一切理解できない完全なるブラックボックスだった。
どれほど時間が経っても、ヴァイオレットはイニョンが暴力を振るった理由の一端も理解できていない。そもそも人を傷つけたいという欲求が人間に存在していることさえ想像したこともなかった。
「似たような人間を腐るほど見てきた。だから理解できる。そして、ああいった人間の栄華が永遠でないことも知っている」
アレクシスは、笑みめいたものを口元に浮かべ、カップに口をつけて茶を飲んだ。
「イニョンは理想郷への到達は近いと触れ回り、教団での集金も活発になっている。全てエンナを買うための資金にするつもりだろう。あの教団はイニョンの適当な言葉を深遠なものと捉えてしまった取り巻き共のせいで始まった冗談のような団体だ。奴らは金を穢れだと教えている、信者たちは穢れた金で理想郷への道が開かれるならと喜んで金を出すだろう。だが、イニョンが信者共から金を搾り取るなら、俺たちも銀河中の人間から金を巻き上げる。もちろん合法的に」
金を巻き上げる方法で合法的なものがあるとは思えなかったが、ヴァイオレットはそれ以上突っ込まないでおいた。
「さて、近況と今後について理解してもらえたところで、君のご両親と話がしたいんだが、会わせてもらえるか?」




