甘い香りを追いかけて
調査結果によると、企業体惑星エンナは破産する見込みであり、銀行に金が返せず抵当に入っている惑星ごとオークションにかかるということだ。
エンナの経済規模は、人類が入植した惑星の中では比較的小さい部類だが、それでも一国の経済規模は優に超える。抵当に入っていた惑星が競売にかかるのは前代未聞の事態であり、最低落札価格の予測も困難だ。
銀行側も惑星丸ごと落札されるとは考えておらず、買い手がつかずに分割されると見込んでいるだろう。
だが、エンナの破産がエスペラント企業連合によって仕組まれたのは明白だ。さらに、わざわざイニョン本人がヴァイオレットに接触したことからして、イニョン本人があの惑星を欲しがっているのも確実だ。となれば、イニョンは惑星丸ごと一つを所望するはずだ。なぜならイニョンは傲慢で、強欲で、求めたものを全て与えられて育ち、その手から自らの物が失われることには絶対に耐えられないからだ。
惑星造形師だったイニョンの母が他界した後、当時の銀河人権保障法の改正によってすべての権利はエンナ人たちのものになり、彼らは独立した民族として一つの国兼企業を興した。ヴァイオレットの調査に付随して判明したこととして、未成熟な人類であるエンナ人たちを保護する予定だった先進文明惑星の権利者たちが複数名いたが、その中にはイニョンも名を連ねていた。
イニョンは自分が母から継ぐべき惑星が奪われた状態だと認識しているはずだ。彼女が教団の信者たちから金を巻き上げているのも、全ては惑星エンナを合法的に競り落として権利者となるためだったのだ。
惑星の所有者は、当然土地や海といった惑星表面の全てまで所有することになり、そこに住んでいる人々との圧倒的な権力差が発生する。
イニョンがその権力勾配を見逃す筈がなく、当然エンナの人々を虐げるはずだ。彼女が真性のサディストであることは裏では有名な話であり、ヴァイオレットはすでに彼女の毒牙にかかってしまった。残虐な行いが閉ざされたエンナの外へ知られることは、絶対にない。あの惑星はイニョンの巨大なおもちゃ箱になるだろう。
あのヴァイオレットが下手な演技をしていた理由もこれではっきりした。
だが、アレクシスの資産は銀河でも有数のものだが、それでも惑星を買うには不足だ。しかも競合相手は何十年もかけて惑星を競り落とす資金を集めているような女だ。
他にも手を上げる者がいても不思議ではない。ヴレードルや地球から遠く離れた惑星を勝手に開拓している違法企業はいくつもあり、そういった企業が買い上げようとする可能性はある。
これからヴァイオレットはどうするのだろう? 婚約が破談になったと考えていたとしたら、他の誰かを頼るのだろうか?
「お前、自分が今何を考えているか分かってるのか?」
からかうような声で言われ、アレクシスは頭に血が昇るのを感じた。遺伝による過度に攻撃的な性質は薬である程度抑え込んでいるが、それでも普通の人間とされる非遺伝子改変人間よりもずっと攻撃的であり、しばしば抑えが利かない時がある。
ぐっと拳を握りしめ、たかが幻の戯言だと考えて冷静さを取り戻す。
「考えただけだ、何も決めてはいない。そもそも俺があの惑星を買ってもそれに見合うリターンがない」
「彼女の調査も終わっていないのに婚約を決めたお前が、今更リスクだのリターンだのを気にするのか?」
アレクシスが押し黙ると、先代はさらに続けた。
「いい加減負けを認めたらどうだ。毎日言い訳がましく仕事ばかりしてうじうじしてるくらいならさっさと会いに行けよ、跪いて彼女に許しを請え。数百数千光年の距離さえお前にとっては障害にもならない、お前はどんな幼稚な我が儘も通すだけの力を持っているはずだ。そうでなければお前は一体何のために私の持つ全てを求めたんだ?」
「黙れ、勝手に出てきて説教をするな」
アレクシスが吠えると、先代はぽかんとしたあと、大声で笑った。心の底からおかしくてたまらない、という風に。アレクシスは先代がそうやって笑うのを初めて見た。不治の病に侵された後の姿しか見たことがなかった。
「私の幻影を呼び出したことがほとんどないから気付いていないのか。私を呼び出したのはお前だよ、ラジエルの書を持つ者が話し相手を欲するときに前所有者の幻影を脳が見せるんだ」
先代は自らの体が薄れて行くのに気づくと、またしても笑った。
「道中はくれぐれも気を付けろ、イニョンを見くびれば宇宙の塵にされるぞ」
アレクシスは幻影の言葉に返事もせず部屋を出た。もはや構っている余裕はなかった。エンナに辿り着くだけでも一筋縄ではいかず、さらには入星には厳格な審査が待っている。やるべきことは気が遠くなるほど多くあった。
廊下には甘い香りが細い糸のように漂っていて、行くべき道を示していた。




