灰色の日々
アレクシスはアクラシエル商会の経営会議に参加し、三十もの議題に対し判断を下した。時々アレクシスが上の空になったせいで若干の遅れが発生したものの、概ね予定通りの時刻に終了した。
仮想空間内に構築された会議室では、会議が終わるなり商会の役員たちがアレクシスに声を掛けてきたが、アレクシスは仕事を理由に早々に空間から離脱した。
彼らはアレクシスがヴァイオレットとの婚約を決めた当初には、思い通りにならなかったアレクシスに嫌がらせをしていたが、それはすっかり収まり、正式な婚約発表もしないアレクシスに再び自らの血縁者と婚約させようと躍起になっていた。
会議空間を脱して目を開けると、真っ白な天井が視界を埋めた。
ヴレードルにあるアレクシスの別荘は、揺らぐことのない静寂に包まれていた。人もおらず、ロボットも業務がなく待機状態であったので、音を立てるものは何一つなかった。
「役員どもは相も変わらず食えない奴らばかりだな。あいつらの息がかかった奴と結婚なんてしてみろ、時代錯誤の婿いびりが始まるぜ」
アレクシスは瞬きをしたが、目の前にいる先代会長の姿は消えなかった。それは脳が見せる自立した幻だった。数日前からそれは頻繁に現れており、消し方も不明だった。寝不足とストレスが原因だと推測されたが、どちらも解消される見込みがなかった。
「奴らの親戚と結婚する気は毛頭ないが、いつまでも縁談を申し込まれるのは鬱陶しいな。面倒な相手を殺せないというのも困りものだ」
言って、アレクシスはため息を吐いた。
暴力で他人を従わせる環境から離れて久しいが、厄介ごとに頭を悩ませる度にその選択肢が魅力的に思えた。
「誰の事も贔屓しないと態度で示しすぎるのは危険だ。人間は他人が贔屓されるのを喜ばないくせに、自分は贔屓されたくてたまらないんだ。天秤が傾く可能性がありそうだとは思わせておけよ」
「覚えておこう」
アレクシスは幻を追い出すために目を閉じた。コンタクトレンズ型のデバイスが暗い視界の中に様々な情報を浮かべる。
気もそぞろに明日の予定や銀河中のニュースを脳に入れ、それから遥か遠いエンナの地から地球を経由して送られてきた治療記録を確認した。徐々にだが確かに精神的安定性を取り戻していることを示す曲線を見て、アレクシスは我知らず安堵感を覚えた。
シシィ――ヴァイオレットがシシィと名付けてロボットが勝手に自分の個体識別名称を変更した――が撮影した写真や映像も次々に映し出された。ヴァイオレットはエンナの地で常に顔を覆い隠すレースのヴェールをかけているが、表情は透けて見えた。彼女の表情はやや硬いが、それでもヴァイスと草原を駆けまわっている姿は楽しそうに見えた。
「あの狼に花を愛でる心が芽生えるとは思いもしなかったよ」
アレクシスは瞼を開いた。先代はまだそこにいた、真っ白な壁を背にかつての姿のままで立っている。
目が合うと先代はにやっと笑った。その笑みは、かつて惑星ソドムで初めて出会ったアレクシスに何が欲しいかを尋ねたときのものと似ていて、アレクシスを苛つかせた。
「俺は二度と誰とも結婚しないために結婚した。彼女に死なれては困るだけだ」
言う必要のないことを口走った自分にさらに苛立ちを覚えた。原因を疲労に求めたが、身体状態は良好であるとすぐに視界の中でデバイスから答えが返された。
アレクシスは執務室を出てヴァイオレットに与えた部屋へ向かった。枯れた白いバラの花びらが床に落ちている以外、何も変わっていなかった。壁紙や家具もそのままだ。
あの晩、ほんの短い時間しかヴァイオレットはこの部屋で過ごさなかったはずだが、アレクシスの中ではここは彼女の部屋という認識で固定されてしまい、手を付けられていなかった。彼女がヴレードルを去って三か月、別荘に帰ってくる度にこのエリアをフラットに戻そうと立ち寄るが、できないでいた。
空しい日々を過ごしている自覚はあった。涙に濡れたあの瞳が忘れられなかった。あの時、彼女を見送るのではなく、無理やり連れ帰ればよかったと夜ごと考えていた。たとえ恨まれて嫌われたとしても、離れるよりずっと良かった。
彼女が隠し事をしていたのは明らかだった。金が必要と言いながらも見合い相手たちからの贈り物には手を付けていなかった。贅沢をするためでなく、別の目的があって金を必要としていた。しかし、彼女の口を割らせることは赤子の手をひねるよりもずっと容易だったのに、後回しにしている間にいなくなってしまった。
別の女の顔が頭に浮かび、アレクシスは眉根を寄せた。
イニョン、あの女のせいで全て台無しにされてしまった。もう二度と誰にも指一本も触れさせたくなかったのに、よりにもよってあの女の暴力に晒してしまった。ヴァイオレットが警戒心を持たず恐ろしく騙されやすいと知っていたというのに。あんな目に遭わせるくらいなら適当な理由を付けて監禁しておくべきだった。
爪が壁紙に食い込んだ時、アレクシスは強烈な甘い香りを感じた。
「運命の前触れか」
いつの間にか部屋の中にいた先代が言った。アレクシスが瞼を閉じるのと、一つの調査結果が届いたのはほとんど同時だった。
惑星エンナ及びヴァイオレット・ヴァーノンに関する調査は、ヴァイオレットとの見合いに臨む前から開始されていたが、エンナが情報通信協定を結んでいるのが地球のみという情報的にも閉ざされた星であること、さらにはエスペラント企業連合の妨害により難航していた。
報告は、アレクシスの脳に直接読み込まれた。十秒ほどかけて事態を把握したアレクシスは、瞼を開いて天を仰いだ。
「まさか惑星を買う金を求めて俺と結婚しようとしていたのか?」




