報い
アレクシスはヴァイオレットの腕を掴んで、宇宙船出航時刻を知らせる通知を読んだ。
「なぜ君が乗船券を?」
アレクシスが問うた。その表情は怒りに満ちていた。ヴァイオレットは声が出せず、ひたすらに震え、涙を流すばかりだった。
それでもヴァイオレットはここに残る気にはなれなかった。ここに残ればイニョンはさらにヴァイオレットを追い詰めるに違いなかった。また同じ思いをするよりも故郷に帰りたかった、すこしの間だと分かっていてもイニョンの手が届かない場所へ行きたかった。
「こんな状態で船に乗ってどこへ行くつもりなんだ? 頼むから答えてくれ、ヴァイオレット」
ヴァイオレットは首を振って、掴まれた腕を引っ張った。アレクシスはすぐに放したが、腕は赤くなっていた。赤くなった腕はロボットが治療し、ヴァイスが舌で舐めてくれた。
「……帰りたいのか? 俺の元ではなく、故郷へ?」
ヴァイオレットがうなずくと、ほどなくして車が方向転換した。
宇宙港に着いて車を降りると、アレクシスもついてきた。ヴァイス、ロボットも一緒だった。
ヴァイオレットが真っすぐ保安検査場へ向かおうとすると、アレクシスに止められた。
「そんな服のまま行くつもりか?」
ヴァイオレットは涙を拭って自分の恰好を確認した。アレクシスの上着の下の服は、イニョンに引き裂かれてぼろぼろだった。
アレクシスはヴァイオレットに服を買い、それから靴、鞄、下着類、日用品と旅行に必要なものを一通り買い与えた。
保安検査ゲートの前で、アレクシスは足を止めた。ヴァイオレットは声が出なくて別れの言葉も言えなかったが、代わりにアレクシスの手をぎゅっと握った。そうして初めて彼の拳に乾いて黒くなった血が付いていることに気づいた。それは返り血ではなく彼自身の血だった。
アレクシスの靴は擦り傷だらけで、服はところどころ破れていて、血が付着していた。視線を上げて行くと、唇も切れて血がにじんでいることに気づいた。
自分のことで手一杯で、周りのことなど何も見えていなかった。アレクシスもおそらくイニョンの手の者に襲われていたのだ。それらを退けてヴァイオレットの元へ駆け付けたのだ。
激しい後悔に襲われたヴァイオレットは、瞳に涙をにじませた。
「なぜ泣くんだ、こんなもの傷の内にも入らないというのに」
アレクシスは困り果てた声で言って、躊躇いがちにヴァイオレットの眦に滲んだ涙を拭った。その優しい手つきに、翻ってイニョンにどれほどぞんざいに扱われたかをはっきりと自覚させられた。
肌に突き立てられた爪の鋭さに、舌のざらつきに、視線のねばつきに、全てが現れていた。愛してもいないのにただ傷つけるためだけに、欲望をぶつけられた。こちらの気持ちもお構いなしに受け皿にされた。
穢されたわね、とイニョンが耳元で囁いた気がした。ヴァイオレットはめまいを覚えた。急激に、崖から突き落とされたかのように、自分の体が気持ち悪いものに感じられた。
ヴァイオレットは一歩後ずさって、アレクシスと距離を取った。穢れというものを帯びた自分に気づかれたくなかった。
「本当に行くのか?」
灰色の瞳は身を切るような切なさを映していた。それを見て、ヴァイオレットは、全ては罰だったと思った。
故郷を助けたいという名目で人を騙し心を弄んで、その財を掠め取ろうとした。だからその報いを受けた、周囲の人まで巻き添えにして。
ヴァイオレットは荷物を抱え、踵を返して保安ゲートへと向かった。その後ろに、ヴァイスとロボットがついてきた。ヴァイオレットは足を止めて主人の元へ帰るよう指差したが、一匹と一機は無視した。
結局、ヴァイオレットは彼らに押し負けて、一人と一匹と一機で保安ゲートを通過した。イニョンが与えた席は一等席だったので重い荷物も含めてつつがなく乗船を認められた。
ヴァイオレットは最後にもう一度後ろを振り返った。アレクシスはまだそこに居て、一人佇んでいた。だが、顔はしっかりと見られなかった、その表情を確認する勇気がなかった。
乗船案内アナウンスが聞こえてきて、ヴァイオレットは後ろ髪を引かれる思いで乗船口へと向かった。
宇宙船に乗り、与えられた番号の席へ向かうと、そこは広い個室になっていた。
ヴァイオレットはヴァイスとロボットにシートベルトをしてから、自分も席に着いてベルトを締めた。そして目を閉じて、ベルトの上から強く自分を抱きしめた。ぎゅうぎゅうと、自分自身を自分の奥底に追いやるように。辛いことを思い出すたびに腕の力を強めた、涙が零れるたびに奥歯を噛み締めた。
ふと気づくと宇宙船は大気圏を超えて宇宙に出ており、船内は無重力状態になっていた。一等席の大きな窓からは、真っ暗な宇宙に浮かぶ青いヴレードルが輝いて見えていた。感じたのは寸毫ほどの安堵と、心臓を剣の如くに貫く自責の念だった。




