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君に捧ぐ花の星  作者: 水底 眠
第1部
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道理を外れた獣

 ヴァイオレットはほとんど引きずられながら泊まっていた部屋に連れてこられた。アレクシスに助けられた後そのまま彼の別荘に行ったので、ヴァイオレットの部屋はほとんどそのままになっていた。


 イニョンはヴァイオレットの体を入り口付近で手放した。そして、その場に倒れこんだヴァイオレットには見向きもせず、つかつかと部屋を進んで優雅にソファーに座った。ヴァイオレットはまだ体が自由に動かず、立ち上がることもできなかった。


「なんで箱だらけなの? ひょっとして見合い相手からあなたへのプレゼント? センスないものばかりね。こんなつまらないものを贈る連中とあなたが結婚しなくてよかったわ」


 ぶつくさ文句を言いながら、手近な箱を空けてはそこらに捨てていくので、部屋はますます散らかっていった。


「これも、これも、全部だめね。服なんてもっと最悪、布への冒涜だわ。宝石もこれならイミテーションの方がまだいいわ。こんなものあなたには似合わない。全部捨てていきなさい、わかったわね?」


 ヴァイオレットは辛うじて動かせるようになった手で指輪を外し、イニョンに気づかれないように服のポケットの中に隠した。


 それから数分後、ヴァイオレットは自力で立ち上がり、よろめきながらもイニョンの方へ近づいた。立ち上がったヴァイオレットを見たイニョンは、邪悪な笑みを浮かべていた。


「バーベナが何をしたというの? どうしてあんな、あんなにもむごいことをされなければならなかったの?」


 イニョンは想像を絶する残虐性を有しており、下手に刺激するべきではないと理解していた。だが、問わずにいられなかった。バーベナは、決してあのような最期を迎えるべき人ではなかった。


 きょとんとした顔で、イニョンは言った。


「因果を問うてるの? 原因は、強いて言えばイェンジェイの妻だったことかしら。別に、あの宴は彼女への罰ではないわよ、ただ都合がよかったから彼女を選んだだけ。私の物に手を出したイェンジェイには罰が必要だった。私の教団では苦痛だけが救いへの道を作ることになっているから、妻を献上させることも修行の一環でもあるわ。ついでにエンナの不文律を破った悪い子のあなたも苦しめることができた」


 ヴァイオレットは頭が真っ白になった。


 何も、本当に何も理解できなかった。一言一句、全てが、現実に発せられたことさえも、受け止めることもできなかった。


「それで、あなたはいつまで突っ立ってるつもり? さっさと荷造りをしなさいよ、この私の気遣いを無駄にするなら丸裸にして宇宙に捨てるわよ」


 言って、イニョンはヴァイオレットの鳩尾をピンヒールで蹴りつけた。ヴァイオレットは呆気なく床に倒れた。痛む腹を押さえて震えていると、鼻先をピンヒールの靴裏がかすめ、必死で痛みをこらえて立ち上がった。


 ヴァイオレットは寝室へ向かい、故郷から持ってきた数少ない荷物をまとめた。手が震えて何度も物を落とし、そのたびにイニョンの気に障ったらと気が気ではなかった。


 鞄を持ってリビングルームへ戻ると、イニョンが没収していた腕輪を嵌めてきた。つけた途端、腕輪が光った。イニョンから宇宙船の乗船券が送られてきていた。一般的な労働者が半生をかけて稼いでようやく手に入れられる金額のチケットのはずだが、イニョンは観劇のチケットよろしく送ってきた。


「これでエルドラドまで行きなさい、そこにエンナ行きの貿易船があるわ。さあ、行きましょうか」


 イニョンに腕を組まれてヴァイオレットがびくつくと、イニョンはぞっとする笑みを浮かべた。その笑みは残虐性を増していて、今にも破裂しそうな暗い欲望が瞳の奥に蠢いていた。


「ああ、堪らないわね、その顔」


 イニョンはヴァイオレットから鞄をひったくって捨てると、ヴァイオレットをテーブルの上に突き飛ばした。


「何をするの!?」


 大声を上げたヴァイオレットの唇を、覆いかぶさったイニョンが強く噛んだ。ヴァイオレットは押しのけようとしたが、イニョンは細い体のどこに秘められているのか不思議なほどの力でねじ伏せてきた。イニョンはヴァイオレットの粘膜を舐め、血と唾液をすすった。


 混乱するヴァイオレットの瞳を、イニョンはうっとりとした瞳で見返してきた。そのせいでヴァイオレットはますます混乱した。


 噛まれはしたものの、今のはほとんどキスだった。だが、なぜキスされたのか、それが微塵も理解できなかった。イニョンは当然ヴァイオレットを愛していないし、ヴァイオレットも同じだった。


 堪え切れなくなったようにイニョンの唇が歪んだ。


「あはは! ねえ、どうしてそんなに怯えた顔が可愛いの? あなたも今すぐ食べちゃいたい。こんな生き物がエンナにはいくらでもいるんだから、愉しみで仕方がないわ。ねえ、あなた家族がいたわよね?」


 ヴァイオレットは心臓を鷲掴みにされたような気分になった。脳裡に両親の顔が浮かび、彼らが同じ目に遭わされる様を想像しかけて意識が飛びそうになった。


「お願いやめて、もうやめて……。どうしてひどいことをなさるの?」

「あら、女には暴力的であることにも理由が必要? 私は残忍に生まれついたの。人を痛めつけるのが大好きなの。特にあなたみたいな清らかな人を穢すのが大好きよ。やり方が古風であればあるほど楽しいの、人間がもっと野蛮だった頃に立ち戻れるから」


 イニョンの爪がヴァイオレットの腕に食い込んだ。ヴァイオレットは悲鳴を上げてその手を掴むが、びくともしない。


「私の母は、私の性質を矯正しようと試みた。そのために穏やかで優しいエンナ人を作った。彼らの中でなら私の暴力性も治まるだろうと考えたの、それが母が唯一信じた神話だった。凄まじい頭脳の持ち主だったのに、娘のことは何一つわからなかった。遺伝子治療もしなかった、記憶洗浄も、洗脳も、私の中身だけは神聖なものみたいに扱って触れもしなかった。本当に可哀そうな人、とんだ見込み違いよね。私にとってあなたたちは羊の群れにしか見えないんだから!」


 イニョンの爪がヴァイオレットの皮膚と血管を裂いて、噴き出た血が二人の顔を濡らす。ヴァイオレットは絶叫したが、それさえイニョンは目を閉じて楽しんでいた。恍惚とした顔は、ぞっとするほどの美しさを湛えていた。


「放して……!」


 ヴァイオレットが振り回した手がイニョンの頬を打った。イニョンは一瞬だけ動きを止めたが、次の瞬間には笑い声を上げながらヴァイオレットの服を引き裂いた。ボタンがはじけ飛び、シルクの裂ける音が響いた。


「優しくしてあげようと思ったのに、煽ったあなたが悪いのよ」


 イニョンの血濡れた爪が、露わになったヴァイオレットの柔肌に突き立てられた。ヴァイオレットは必死で唇を噛んで悲鳴をこらえた。痛みと恐怖で全身ががたがた震えた。


 ベルボーイに殴られた時とは種類の違う恐怖に支配されていた。肉体だけではなく、精神そのものに爪を立てられているような、そんな暴力だと感じた。


 血がにじむ傷跡の上をイニョンの舌が這い、こじ開けるように舐る。


「大理石の彫刻みたいに綺麗ね、それでいて柔らかくて良い匂いがして果物のよう……。イェンジェイ、こんな体を何年も私に隠れて味わってきたなんて、やっぱり殺しておこうかしら」


 ヴァイオレットのウエストベルトを外しながらイニョンが言った。彼女は熱っぽい目でヴァイオレットの肌をじっくりと観察していた。


 ベルトが床に落ちた時、部屋にけたたましい音が響いた。部屋の中に人影が飛び込んできて、イニョンの体が霧に包まれた。人影が放った痛烈な蹴りは白い霧の盾に阻まれたが、盾にも亀裂が走った。


 部屋に飛び込んできたのはアレクシスだった。イニョンの視界が盾で遮られている隙にヴァイオレットの腕を掴み、イニョンの体の下から引きずり出した。


 アレクシスはヴァイオレットを抱えたまま窓ガラスに突進した。ガラスはアレクシスが衝突する寸前に粉々に割れて落ち、アレクシスは窓から飛び降りた。真下で浮遊していた車の上に着地し、首だけで後ろを振り向いてイニョンをねめつけた。イニョンもまた窓辺に立ってすさまじい形相でアレクシスを睨んでいた。


 二人が睨み合ったのは一瞬のことで、アレクシスはすぐに車の中に入ってその場を離脱した。


 車の中には治療用のロボットとヴァイスの姿があった。


 ロボットはヴァイオレットにアームを伸ばし、すぐさま治療を開始した。塗り薬が傷を塞ぎ始めると、アレクシスは自分の着ていた上着をヴァイオレットの肩にかけた。


「遅くなった」


 アレクシスはヴァイオレットの口に付着していた血と口紅を指の腹で拭い取ると、ロボットに治療を再開させた。アームの先端がヴァイオレットのこめかみに触れて、電気刺激で著しい精神的動揺を落ち着かせ始める。足元で座っていたヴァイスは、待ち構えていたかのようにヴァイオレットの手と膝の間に鼻面をねじ込んできた。


 治療を受け、ヴァイスを撫でているうちに、ヴァイオレットの震えはようやく収まった。だが、涙は止まらなかった、泣いている自覚さえもほとんどなかった。


「ヴァイオレット、なぜあの女についていった?」


 冷たい声で問われて、ヴァイオレットは再び震えあがった。ヴァイスが唸り声を上げたが、アレクシスは視線で黙らせた。


「あの女は自らを救い主とするカルト宗教の教祖だ、この銀河中に夥しい数の信者がいる。君を傷つけたエスペラント企業連合のトップでもある。危険だとわからなかったか? ……それともあの女についたか?」


 アレクシスの視線はヴァイオレットの手に注がれていた。薬指に指輪は嵌められていなかった。しかし、ヴァイオレットはショックのせいで口がきけず、首を振ることさえできなかった。


「あの女のことだ、どうせ俺のことも聞いたんだろう。君はそれを信じたのか? 婚約者の俺の言葉より、あの女の言葉をか? ふざけるな。君が誰の言葉でも信じてしまうというなら、これからは他の誰の声にも耳を貸すな、二度と誰の事も信じるな。俺の言葉だけを聞き、俺だけを信じろ」


 灰の目は煮えたぎる怒りに燃えていた。ヴァイオレットは心が冷えて岩のように固くなっていくのを感じた。


「誰の事も信じない人を、どうして信じられるというの?」


 ヴァイオレットはロボットとヴァイスの頭を抱えこんですすり泣いた。


 押しつぶされそうな沈黙は、ヴァイオレットの腕輪の音で破られた。あと二時間で宇宙船が出航すると知らせた。


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