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君に捧ぐ花の星  作者: 水底 眠
第1部
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残酷で醜悪な世界でただ一つ

 イニョンの唇が耳を這う。柔らかく湿った形の良い唇が、振動する。


「私に逆らうとどうなるか、よくわかったわね?」


 ヴァイオレットは勢いよく立ち上がった。テーブルの上にずらりと並んだ皿を見た。どれも真っ赤なソースを残して空だった。


 それから列席者たちの顔を一人一人眺めた。誰も嘘だとは言わず、誰も弁明もしなかった。眺めているうちに彼らの顔が顔だと認識できなくなっていった。人ではない何かに見えるようになった。人の肉を口にして恍惚の表情を浮かべていた彼らを、どうして自らと同じ人間だと思えようか。


 ヴァイオレットは隣の席の女の空になった皿を床に叩きつけた。皿はけたたましい音を立てて粉々に割れた。


「返して、私の友だちを返して!」


 イニョンの笑い声だけが響く中、ヴァイオレットは目の前の皿に乗せられた肉を両手ですくおうとした。それはソースでぬるぬるしていて、うまく掬い取れず、何度もソースの中に落ちた。


「ヴァイオレット、異星の文化を尊重することができないのね。地球に閉じ込められていたときでさえ人々は無数の文化を持っていたのよ? 人間たちが宇宙へ飛び出して以後、それがどれだけ増えて多様化したか、想像に難くない筈よ。自分のパートナーをこの私に献上することもまた愛、亡くなったパートナーの体を食べて自分の一部にすることも同じ。彼が自分のパートナーの肉体を改造したのも、彼なりの愛だったのよ。彼女はそれに応えていただけ。知らないことを気持ち悪がらないで」

「もう黙って!」


 ヴァイオレットは絶叫した。両手でバーベナの肉片を抱え、部屋を飛び出した。廊下で佇んでいた配膳用のロボットに掴みかかる。


「バーベナの体はどこ、連れて行きなさい!」


 命令を受けたロボットはウィールの音を響かせながら移動し始めた。ヴァイオレットはその後を追いかけた。雲の上を歩いているような、泥の上を歩いているような、不確かな感覚があった。


 巨大な厨房では、数台のロボットが絶え間なく動いていた。


 厨房内を進み、調理台の横に置かれた巨大な箱を見つけて蓋を開けた。


 ヴァイオレットは悲鳴も上げられなかった。全身の筋肉が硬直して、息もできなかった。


 箱の中には、解体されたバーベナの体が入っていた。喉のところですっぱり切られた首が中央に座していて、安らかな顔をしていた。腕が一本見当たらない以外は、体は全て入っていた。だが宝石が抜き取られた体は穴だらけだった。


 ヴァイオレットはその場にへたり込み、箱を抱えて泣いた。箱が抱えられるほど小さいという事実にもまた、胸が張り裂けそうなほどの悲しみを覚えた。悲しみはそのまま痛みとなり、喉や胸が焼けるようだった。


「離れなさい、ヴァイオレット」


 イニョンの声が上から降ってきたが、ヴァイオレットは首を振った。服の襟を掴まれ、無理やり引きはがされた。


 床に倒れたヴァイオレットを参加者の一人が拘束し、その腕に注射針を刺した。その途端、ヴァイオレットは体から力が抜け、床に倒れこんだ。床の冷たさが容赦なくヴァイオレットの肌から温度を奪っていく。


「ただの鎮静剤よ。あなたが暴れないよう落ち着かせただけ」


 ヴァイオレットの目と鼻の先にイニョンのピンヒールが突き立てられた。


「バーベナを弔うことができるのはイェンジェイだけよ。当然よね、彼が結婚相手なんだもの。結婚に反対していた故郷の家族とも法的な縁は切れている。ましてやあなたは単なる故郷の友人、何の権利もないわ」


 二体のロボットがアームを伸ばし、ヴァイオレットの体を持ち上げた。ヴァイオレットはそのまま厨房から運び出され、外へ出され、真っ赤なイニョンの車に乗せられた。イニョンも車に乗った。


「楽しい歓迎の宴だったわね、あなたの反応も最高だったわ」


 車はまっすぐに上空へ浮上し、平行移動を始めると一気に加速した。


 イニョンがヴァイオレットの頭を自分の肩に乗せ、優しく撫でた。親から子へ与えられる慈しみに似た何かが、その手にはあった。


「外の世界は残酷で、醜悪なのよ。人間なんてどれだけ努力したって所詮動物に過ぎない。肉体を捨てても結局再び体を得ようとするほど愚かしい存在なの」


 そう言ってため息するイニョンの悩ましげな面差しは、心の底から人間を哀れむ神のようだった。


「この銀河で美しいのは唯一エンナだけ。エンナ人は惑星造形師だった私の母が品種改良した人間たちなのよ。だからみんな心優しくて、勤勉で、美しいの。殴られたって殴り返えそうとは考えないし、何度騙されたって人を疑うこともできない。そういう形質になるよう遺伝子改良して、発現するように環境を整備した。あの惑星は私のために作られた、エンナ人も同じ。銀河連盟の生殖関連法や人権保障法のせいで阻まれたけど、あと十年足らずで合法的に私のものになるわ」


 イニョンの車はヴァイオレットが宿泊していたホテルに降り立った。


「あなたみたいな子は外ではやっていけないってわかったでしょう? あなたに合うのは故郷の土だけ、そこで咲いていればいいの。故郷へ帰りなさい。荷物をまとめる時間くらいはあげる、宇宙港まで送るわ」


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