花肉
ヴァイオレットはイニョンの真っ赤な車に乗せられ、高級ブティックに連れて行かれた。黒いシルクのセットアップにレザーのウエストベルト、それから羽のように軽いピンヒールに着替えさせられた。ヴァイオレットの持つ唯一の通信機器である腕輪は、ださい、の一言で没収された。
再び車に乗ったところで、イニョンがこれ見よがしにため息を吐いた。
「あなた、プレゼントに礼の一つも言わないの?」
「あら、いつ私がこの服を欲しいと申しました?」
今度はヴァイオレットがため息を零した。本当に仕方がない、という風に。
溢れんばかりの贈り物を贈ってきた見合い相手たちに対しては必ず礼を伝えていたが、一度たりとも相手から礼を要求されたことはなかった。
「そもそもどうして着替えなければならないんですの?」
イニョンは無言で車を発進させた。すさまじい怒りを全身から発していたが、ヴァイオレットは機嫌を取ることもしなかった。
苦しいほど重い沈黙を互いに破らぬまま、車は街を離れて郊外の別荘地へと向かった。そのうちの一つの邸宅に車が降り立ったが、ヴァイオレットはまるで気後れしなかった。アレクシスの別荘と比べれば、見ただけで家だと分かる大きさであるだけ常識的だ。
その家にはイニョンの車以外にも数台の車があり、何かの集まりが行われるようだった。
イニョンの後について家の中に入ると、黒い服に身を包んだ数人の男女がホールで談笑していた。彼らの中にバーベナの姿はなかった。
彼らはイニョンを見ると、耳をつんざく歓声を上げ、手が千切れんばかりに拍手を贈った。イニョンが軽く微笑んで手を上げると、彼らはぴたりとそれをやめた。ヴァイオレットは場の異様な空気に飲まれ、息さえ止めていた。
「皆様、どうもありがとう。どうぞご歓談の続きを」
イニョンの言葉で、彼らはわざとらしく会話を再開した。ヴァイオレットは、異星の文化への理解がない自分が失礼だと思いながらも、彼らが不気味だと感じた。
「どこにバーベナがいるの?」
ヴァイオレットは声を潜めてイニョンに尋ねた。
「焦らないで、すぐに会えるわ」
イニョンは冷たい声で言いながらも、ヴァイオレットに腕を絡めてきた。ひんやりとしたその体温が不快ではないことにぞっとさせられた。
しばらく待っていると、黒い服に身を包んだ男が現れた。イェンジェイだった。夜の街ですれ違ったときとは別人のように憔悴した顔をしており、何かにびくびくしていた。
イェンジェイが持っていた鈴を鳴らすと、集まった男女は一斉に黙った。
「皆様お集りいただきありがとうございます。この度は我らが救い主がヴレードルにお見えになり、それを祝うための宴席を私イェンジェイが設けるお役目を賜りました。さやかながらお食事をご用意しております、どうぞこちらへ」
集まった人々がイェンジェイの誘導で別室へと移動していく。イニョンもヴァイオレットと腕を組んだまま一番後ろについていく。
「これが宴席? 救い主ってどなた?」
イニョンが人差し指をヴァイオレットの唇に当てた。指先からは甘くスパイシーな香りがして、ヴァイオレットはくらっとさせられた。
「鈴の音を聞いたでしょう。口を利いてはだめよ、彼が入信している宗教でのしきたりなんだから」
宗教やしきたりなどという概念を出されては、ヴァイオレットはもう黙るしかなかった。エンナでは厳格な戒律を持つ宗教は少ないうえ、宗教的軋轢の少ない環境だった。だが、天の川銀河では信じる神の違いで殺し合いまで起こるほどだ。下手に口出しはできない。
異様な広さの別室の中央には、長方形のテーブルが用意されていた。列席者たちは長辺の席に座り、イニョンが主賓の席に座った。ヴァイオレットはその隣の角の席に着き、その向かいにはイェンジェイが座っていた。
全員が席に着くと、旧式のロボットたちがウィールの音を響かせながら料理を運んできた。金色に輝く皿が列席者たちの前に置かれた。皿の上には冷めた一切れの肉だけが乗っているだけだったが、列席者たちは一様に色めき立った。
ヴァイオレットはイェンジェイが何を話すか固唾を飲んで待っていたが、果たして口を開いたのはイニョンだった。
「皆様、私のためにお集りいただきどうもありがとう。急な訪問だったけれど、楽しい滞在になりそうで嬉しいわ。今日は素敵なゲストも連れてきたの。こちらはヴァイオレット・ヴァーノン。私たちの理想郷エンナからの御客人よ」
恐怖と驚きに硬直しているヴァイオレットに、一同からの拍手と嫌に熱っぽい視線が送られた。だが、イニョンが再び口を開いた瞬間、一気に静まり返った。
「約束の時まであと少し。私たちの理想郷へ辿り着くまで、皆様どうかたゆまぬ協力をお願いね。それではイェンジェイからの贈り物を受け取りましょう。宇宙に永遠の光あれ」
宇宙に永遠の光あれ、と全員が唱和した。
イニョンがナイフとフォークを手に取り、ひと切れの肉を小さく切った。誰もがそれをじっと見つめている。イニョンが肉をほおばり、輝かんばかりの笑みを浮かべた。その笑みをイェンジェイへと向ける。イェンジェイは、滝のような冷や汗を流しており、汗の嫌な臭いがヴァイオレットの鼻をついた。
「イェンジェイ、皆様にも今日の贈り物のご説明をしてさしあげて?」
「はい、イニョン様……。本日イニョン様のためのご用意申し上げたこの肉は、惑星エンナの花肉でございます」
「ありがとう、イェンジェイ。宇宙でも珍しい物を食することも、私の美しさの秘訣なの。さあ、皆さんもどうぞ味わって」
方々から感嘆のため息が漏れた。一同は説明を聞きながらナイフとフォークを取り、あるものは一口で、あるものは一筋一筋切りながら食べ始めた。
ヴァイオレットだけは手を付けず、イェンジェイを凝視していた。
「惑星エンナの花肉、ですって? そんなもの、見たことも聞いたことないわ」
震える声でヴァイオレットは言った。エンナでは食肉の生産に非常に厳しい規制がかかっており、惑星上にある四つの小さな島でのみ生産が限定的に許可されているだけだ。とても惑星外に輸出できる量など生産されていないはずだった。
「花の名前を教えてあげなさい、イェンジェイ」
イニョンがささやいた。イェンジェイの顎から汗が滴った。
「バーベナでございます」
ヴァイオレットは目の前が真っ暗になった。指先は氷水に浸したように冷たく、喉は焼けた空気を吸い込んだように熱くなった。
「イェンジェイ。よく頑張ったわね。本当に偉いわ、命を奪われるよりも恐ろしい痛苦にあなたは耐え抜いた。罪の穢れは消え去った。私はあなたを許します。これでもうあなたは花泥棒ではないわ」
「ああ、ああ、イニョン様! ありがとうございます、ありがとうございます、我が救い主! 我らが宇宙の永遠の光よ! あなた様に永遠の美と永遠の時の栄光あれ!」
イェンジェイは椅子から転がるように降りてイニョンの足元に額をこすりつけた。滂沱の涙が床を濡らす。参列者たちもまたその様を見て涙を流した。
「友だちに会えてよかったわね、ヴァイオレット」
イニョンのくすくす笑う声が耳元でした。




