素直さ故に
「まず、君を襲ったベルボーイの話をしようか。ベルボーイは脳を機械化していた、そのせいで脳をハックされた。エスペラント企業連合傘下の企業が生産している低価格帯の機械脳には極秘のバックドアがあり、本人の意思とは関係なく脳に別の意識が出入りできる。ヴレードルへは銃火器はもちろん刃物や鈍器の類は持ち込むことも惑星内で生産することも禁じられている。公共の場から私的な場まで、機械類には最高レベルのセキュリティが要求され、基準をクリアできないものは全て鉄くずに戻される。そのため、この星でもっとも入り込みやすいのは人間だ、だから機械脳ハックが行われた」
ヴァイオレットは様子がおかしかったベルボーイの様子を思い出して、またぞっとした。殴られても痛がる様子を見せなかったのは、体を乗っ取られていたせいなのだろう。
「ベルボーイは、亡くなったのですか……?」
「命は奪っていないが、無力化した。治療が間に合えば生きているだろう」
ヴァイオレットは何も返事ができなかった。広すぎる部屋には沈黙がゆっくりと広がっていった。アレクシスはヴァイオレットをじっと見つめていた。その眼差しはヴァイオレットの中にある感情を検分するかのようだった。
「ヴレードルは人の出入りが激しい、脳を完全に機械に置き換えた人間の数は把握不能だ。傍目にはそうとわからない。企業連合は君に見合いを諦めさせるか、もしくは都合の良い相手と結婚させるか、いずれにせよ君に言うことを聞かせるつもりだ。外を出歩く限りは突然襲われる可能性がある。君に護衛を付けよう、機械と生物、どちらがいい?」
アレクシスが指笛を吹くと、壁が霧散して向こうから機械犬とウルフドッグが現れた。二匹はアレクシスの椅子の脇に控えた。
「では……生きている方がいいですわ」
真っ白な毛並みのウルフドッグがヴァイオレットの脇へと移動してきて座った。頭の上に手を置くと、ふかふかの毛がやわらかくヴァイオレットの手を包んだ。故郷の実家で昔飼っていた犬を思い出す。ヴァイオレットが十歳の時に亡くなってしまったが、黒い毛並みのころころした犬だった。
「名前はヴァイス、人間でいう十二歳ほどの知能があり、肉体や牙、爪が強化されている」
ヴァイスが前足をヴァイオレットの膝に置いて硬い爪を見せてくれた。
「まあ、本当におりこうさん。可愛いわ……。お散歩はどうすればよろしいでしょう?」
「世話は不要だ、可愛がらせる為に君に付ける訳ではない」
残念、とヴァイオレットは呟いて、ヴァイスの頭をわしゃわしゃ撫でた。ヴァイスがつぶらな瞳でヴァイオレットを見上げた。もっと撫でてほしそうな目だった。あとで満足するまで撫でてあげようと決めた。
「下がれ」
アレクシスの冷たい一言で、ヴァイスと機械犬は部屋から出て行った。
「それから宿泊場所だが、この家の西フロアを自由に使ってほしい。ハックされた機械脳人間はおろか、宇宙からの攻撃にも耐えるから安心して眠るといい。食事もロボットに言いつければ大抵のものは用意できる。生活上の要望は何かあるか?」
「そうですわね……。故郷を出てから一人で食事をすることが多くて、故郷では食事は誰かと一緒にするものでしたから、よければ一緒にお食事をとっていただけませんか?」
アレクシスはゆっくりと瞬きをした。何か重大な事実を今まさに聞いたかのような動作だった。
「もしかして、地球の方は一人で食事をとるのが普通なんですの?」
「一人でとる人もいるし、大勢でとる場合もあるな。……ところで君、たとえばだが、ベルボーイが自分の意思で物を盗むつもりで君を殴ったとしよう。そのベルボーイが謝ってきたとして、友人になりたいと言われたら、どうする?」
「どうするって、とっても痛かったですし、きっと怒ります。でも、まずは話を聞きますわ。きっと人から物を盗まざるを得なかった理由があるのでしょう。それが解消されたら、友だちになれるかもしれませんわ」
アレクシスは耐えきれなくなったように腕を組んで、足で床を蹴って椅子を回した。ヴァイオレットに向き直った時には眉根を寄せて困った顔をしていた。
「君の遺伝子情報を調べたいと言ったら?」
「はあ、いいですけれど……」
ヴァイオレットは髪の毛を一本抜いてアレクシスに渡した。アレクシスは、自分で言い出したことだというのに受け取りたくなさそうにした。
「遺伝子情報をあっさり他人に調べさせるなんて正気か? 君のその異常な警戒心の無さ、やはり遺伝的形質なのか?」
「私を馬鹿にしてらっしゃる?」
「違う、気に障ったなら謝る。ただ俺は……言うなれば、心配なんだ。俺の言葉を疑いもせず全て鵜呑みにして、勝手に家に連れてこられたというのに不安にもならない」
今度はヴァイオレットが腕を組んだ。
「いいえ、やっぱり馬鹿にしていらっしゃるわ。人を疑わないのはそんなにおかしいかしら? 危ないところを助けてくださったうえに、私を心配して色々と忠告してくださったというのに?」
アレクシスも酷いことをするのではと疑ったこともあったが、それはヴァイオレットの勝手な被害妄想であり、助けてもらった今そんなことはあり得ないという結論に至っていた。
アレクシスはとうとう天を仰いだ。彼は言葉を探した後、諦めたようにヴァイオレットの方へ手を差し伸べた。ヴァイオレットはその手を握った。ぐいと引っ張られ、アレクシスの膝の上に乗せられた。灰色の目が至近距離でヴァイオレットを見つめてきた。
「どうしてこんなことをされるんですの?」
「君を試した、抵抗するか否か。抵抗してくれなくて、困ったよ。こんなに流されやすくて騙されやすくて……。このまま俺の元で保護し続けるべきなのではないかと、そう思うくらいに」
さすがのヴァイオレットも話の雲行きが怪しいのを感じ始めていた。アレクシスはヴァイオレットが怪訝な目を見て、満足げな顔をした。
「懸念点についても話し合っておかなくてはいけなかったな。企業連合側も君がここに居るのを当然知っているはずだ。俺と君が手を組み、婚約を決めたと見做してもおかしくない。君はこれを誤解だと表明するために、俺の家を出てこれまで通りお見合いを続けてもいい。お見合いをやめて故郷に逃げ帰るのもいいだろう、そうなれば企業連合側も攻撃はしないはず。……このまま俺と婚約してくれてもいいが」
「もし、もしもアレクシス様と結婚したら、私はどうなりますか?」
「故郷へ帰り、惑星エンナとアクラシエル商会との取引をまとめてもらう」
「その後は? その後、私はどこに居て、何をすればいいんですの?」
他の見合い相手たちはヴァイオレットに対して結婚後の理想を語っていた。ユエは一緒に地球に来てほしいと言っており、ダシャはヴァイオレットに手術をさせた上で惑星ラリッソスで暮らそうと提案してきた。他二名の婚約者も似たり寄ったりで、自らの故郷へ連れて行き、そこで自らが望むように過ごすことをヴァイオレットに望んでいた。
「そのまま故郷に居ればいいんじゃないか? 故郷が嫌いなら、地球の俺の家に住んでもいいし、この別荘に住んでもいい。どこか住みたい惑星があるなら家を建ててもいい。もちろん俺についてきても構わない」
「一緒に暮らせと言わないのですか、結婚するのに?」
「俺は仕事の都合で銀河中を旅している、この別荘に滞在しているのも、見合いのためのほんの偶の休暇だ。他人と一緒に暮らすのは難しいだろう。それに法的な結婚相手であり続けてくれるなら、君がどこで何をしていようと構わない」
「私と会う気さえないんですの?」
ヴァイオレットはついと顔を背けた。しかし、すぐに自分の態度を後悔した。これは普通の結婚ではなく、互いの利益のための契約だ。結婚相手が自分へ興味を持たなかったとしても、責めるべきではなかった。
「アレクシス様、ごめんなさい――」
肩にアレクシスの額が押し当てられ、ヴァイオレットは息を飲んだ。
「つまり君は、愛がほしいのか?」
「だって、結婚するのにお互いまるで他人同士だなんて、寂しいではありませんか」
「……金さえあれば結婚してくれるんじゃなかったのか?」
アレクシスは拗ねたように言った。ヴァイオレットが目を瞬いていると、アレクシスは顔を上げた。彼は無表情で、何を考えているかを完全に隠していた。
「それは約束できない。だが、代わりに金と自由を君に約束する。話は以上だ。これからどうするか、今度こそ落ち着いて考えるといい」
「あの、アレクシス様、最後に一つ教えてください。どうして私に決めさせようとするんですの?」
「君が意志ある人間だ。ならば自分の決断に責任を負うことができる。俺がそれを肩代わりすることはない」
それは捉え方によっては冷たく突き放すものであったが、一方でヴァイオレットを自立した人間と認めているということでもあった。
話が終わると、アレクシスは食事をしようと言った。




