癒える傷跡
アレクシスの家は、車がそこに着陸するまで家だとわからなかった。公共の建物かと思うほどの巨大さと敷地面積があり、ヴァイオレットは頬の痛みも忘れて高い建物を見上げた。
車が自動で車庫――ヴァイオレットの実家よりも大きい――へ収まり、アレクシスはぼんやり突っ立っていたヴァイオレットの手を引いて家の中へと入った。
玄関の扉がぼやけて霧に変わり、さっと消えた。アレクシスとヴァイオレットが中に入ると再び扉の形へ戻った。ヴァイオレットは扉をつついてみたが、しっかりと硬かった。
「ここがご自宅なの?」
「ここは別荘だ。本邸は地球にある」
ヴァイオレットがエントランスの本物の青空そっくりの疑似蒼穹天上を見上げていると、浮遊している家事ロボットが近づいてきて、まろい楕円形の体からアームを伸ばして上着を預かった。
「君はそのロボットについて行くんだ、落ち着いたら話をしよう」
ヴァイオレットは言われたままロボットの後についていった。連れてこられたのは病院に似た清潔な匂いのする部屋で、ロボットがヴァイオレットの頬に薬を塗ってくれた。家事用に調整されているだけでなく、治療までこなす汎用性の高いロボットだった。
数分で痛みは引き、切れた皮膚は塞がり、内出血も治った。
「外傷の治療は終了いたしました。著しい精神的動揺も検知しています。治療を開始しますので、ゆっくりと呼吸をしてください」
ロボットのアームがヴァイオレットのこめかみに触れた。むにゅむにゅと柔らかい先端がゆっくりと温かくなっていく。電気刺激によって脳が負ったダメージを軽減しているのだ。ヴァイオレットは呼吸をするたびに恐怖心が和らいでいくのを感じた。
アームが離れた時には、殴られた時のことを思い出しても体がすくむことはなかった。
治療が終わると、続いて風呂場へと連れてこられた。服を脱いで中に入るが、洗い場は見当たらなかった。ヴァイオレットが戸惑っていると、にわかに霧が発生し、ヴァイオレットの体についていた血や汚れが見る見るうちに消えていった。霧が消えた頃には、ヴァイオレットは全身ぴかぴかになっていた。
風呂場から出ようとすると、ロボットが「湯舟にお浸かりください、疲労回復に効果があり、精神安定にもつながります」と通せんぼしてきたので、ヴァイオレットは大人しく湯舟に浸かった。
惑星エンナは年中暖かかったので湯船に浸かる習慣はなかったが、柔らかい湯に体を浸しているのは案外心地よかった。
体が十分に温まってから湯舟から上がり、ロボットが用意してくれた服を着た。その服はヴァイオレットが襲われた時に着ていたものだったが、汚れは一切見当たらず、新品同然だった。
ヴァイオレットは、何度目になるかわからない感動を覚えた。それは未知の技術に触れた時に発生する感動だった。
惑星や国によって文明水準には大きな差があり、エンナは惑星全体で言えば中の下あたりの技術レベルで、地球でいえば二千百年代ごろまでしか発展が進んでいない。一方、ヴレードルは上の上で、人類が生み出した最先端の技術の結晶がこの惑星そのものと言っても過言ではなかった。
着替えを済ませたヴァイオレットは、アレクシスの元へ向かった。
アレクシスは何もない空間の中央に置かれた椅子に座って目を瞑っていた。彼の顔に血は付着しておらず、服も綺麗になっていた。
ヴァイオレットが声をかけようとすると、ロボットがにゅっとアームを伸ばして口をふさいできた。ロボットのフェイスディスプレイに文字が浮かぶ。
「アレクシス様は会議中につき、少々お待ちください」
数分後、アレクシスが目を開いた。ヴァイオレットからすると眠っているようにしか見えなかったが、会議が終わったらしかった。
「待たせてすまなかった。気分はどうだ?」
「おかげさまで良くなりました、何から何までありがとうございます」
「礼は不要だ。俺が勝手に君を連れてきたんだ」
「素直に受け取ってくださればいいのに、不思議な方だわ」
アレクシスが座っている椅子の向かいあたりに濃い霧が発生し、それが晴れた時には椅子が一脚現れていた。ヴァイオレットがその椅子に座ると、今度は周囲の壁が霧散してガラスに変化し、広大な庭が一望できるようになった。
「どうして物が消えたり現れたりするんですの?」
「家を構成する素材のほとんどが極小のキューブでできていて、それらは特殊な信号によって自在に結合したり分離したりできるんだ。家の中の物や壁の形を変えるのは、敵が事前に家の間取りを把握できないようにするためだ」
ヴァイオレットが絶句していると、ロボットがお茶を運んできた。霧の中から現れたテーブルにロボットがアームを使って上手にカップを置いた。
「そういえば、さきほどからロボットしか見かけませんが、誰もいないんですの?」
「ああ、俺一人だけだ。……そろそろ俺のことも恐ろしくなってきたか?」
「いいえ。どうしてそんなことをお尋ねになるの?」
アレクシスが怪訝な顔をしながら茶を飲んだ。
「君は警戒心を持たないのか? 君だけでなく、エンナ人すべてが?」
「おっしゃる意味がわかりませんわ。他の惑星の方は助けてくださった人を警戒するのですか?」
「そうではないが、君はすべてが俺の自作自演という可能性を考慮しないのか?」
釈然としないものの警戒すべきな気がしてきて、ヴァイオレットはとりあえずカップを置いた。アレクシスの様子を窺うが、溜息をつかれた。そうしてヴァイオレットはようやくすでに二口も飲んだことを思い出した。
「まあいい、本題に入ろう」




