第5話 Life is Beautiful⑦
「ここがねぇ」
ライアンがお世辞にも綺麗とは言い難いボロボロの小屋の前で、頭をガリガリと掻きながら呟いた。
「そそっ。建物はぼろぼろだけど、すっごい美人で優しい先生なんだから」
「いや、それは別に関係なくねぇか?」
どこかウキウキとした口調で言う彼女と反比例するように、ライアンの気持ちはずっしりと沈んでいく。
「どうしたの? そんな変な顔して」
「してねえよ」
ライアンはそう言って大きく溜め息を吐き出すと、フィーの腕の中がすっかり定位置になったイニに視線を向ける。
「なあ、本当に行かないとダメか?」
「ダメだよ! だってお医者さんに診てもらえるなんてとっても贅沢なことなんだよ?」
フィーの言葉に、思わず言葉に詰まってしまう。
彼女の言葉に間違いはない。実際それは彼女の経験からの言葉であるわけだし。ただ、ライアンにだってどうしても苦手なものがある。
「ライはね、お医者さんが苦手なのよ」
「あっおいイニ!」
アッサリとバラされてしまったことに、ライアンは思わず声を荒らげる。
「えっそうなの!?」
フィーは意外だとでも言うように声を上げると、そのままニタァと楽しそうな笑みを浮かべた。
「……何だよ」
「別にぃ? ライアンにも苦手なものってあるんだーと思って」
「そりゃ一つや二つぐらいあるだろ。フィーだって幽霊が苦手じゃねぇか」
「んなっ! それ今関係なくない!?」
「はいはい二人とも騒がないのー。ライもそんな嫌そうな顔しないでさっさと入ったら?」
「わーってるよ」
ライアンはもう一度だけ入り口を見て大きな溜め息を吐き出すと、重い足取りで玄関代わりの木製のビーズで出来た暖簾を掻き上げる。
「あぁ、やっと来たか」
部屋に入るなり、ジャラジャラと鳴る音を聞き付けたであろうアルフレードが奥の部屋から顔を出す。
「お、おお……遅くなった」
「ん? どうしたんだい? そんな微妙そうな顔して」
「……してねぇって」
そう言ったライアンにいつもの覇気はなく、オロオロと待合室らしい一室をしきりに見渡してばかりいる。そんなライアンの様子が面白かったのか、フィーがにやぁと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ライアンはどうしてお医者さんが苦手なのぉー?」
「バッ! に、苦手じゃねぇって言ってんだろうが!」
「なんだ、ライアンくんは医者が苦手なのか」
「だから苦手じゃねぇって――ツッ!」
右肩を押さえて痛そうに顔を歪めるライアンに、フィーとアルフレードは顔を見合わせて楽しそうに笑う。
「……んだよその微笑ましそうな顔は」
「元気そうで安心しただけだよ。ねっ、フィーちゃん」
「うん!」
ライアンがフィーの腕の中のイニに目を向けると、彼女もニヤニヤとした笑みを浮かべてこちらを見ている。
「……俺に味方はいねぇのか」
「ん? ライアン今何か言ったぁ?」
「何でもねぇよ!」
ライアンがガシガシと金色にカールした髪を掻きながら答えると、アルフレードがふふっと小さく笑った。
「それだけ元気なら大丈夫だね。そしたら、ライアンくん。嫌かもしれないけど診察の時間だよ。さっ入って」
アルフレードはそう楽しそうに言うと、そのまま奥の部屋にライアン達を誘う。正直、本当に行きたくない。
「もーライアン! そんな嫌そうな顔しちゃダメだよ。ほら、行った行った」
「だからんな顔してねぇから! っつーか押すんじゃねえ!」
フィーに背中を押されて奥の部屋へ脚を踏み入れると、消毒液のツンとした臭いとともに、一番最初に目に飛び込んできたのは何かの書き物に励む茶髪の女性の姿だった。彼女はライアン達が部屋に入って来たことを認めると、顔を上げるなり眼鏡を外してニコリと微笑んだ。
「ようこそ。レクター診療所へ」
「レクター?」
「そう。彼女はレクター先生。このスラムで唯一の医者だよ」
ライアンの問い掛けに、アルフレードが何処か誇らしそうな顔を浮かべて言った。その言葉に、そう言えばバッカスが最近弟分が医者に弟子入りしたと話していたことを思い出す。どうやら彼女――レクター先生とやらがその師匠なのだろう。
「なるほどね。俺はライアン・カーライル。よろしく、レクター先生」
「えぇ。よろしくカーライルくん」
彼女が差し出した手を、ライアンは少しだけ躊躇って左手で握る。
「左手で悪いね」
「ハハハッ! そんな些細なこと、構いやしないわよ」
「そう言って貰えると。俺の故郷だと左手で握手することはあんまりよく思われないんでね」
「なるほどね。だが、流石に君の故郷でも折れてる腕で握手しろとは言わないんじゃないかしら?」
ふふっと笑う彼女には大人の余裕があって、ライアンの中の緊張感が少しだけ和らいだ気がした。
「ねぇ、なんかライアン鼻の下伸びてない?」
そんなライアンの気持ちを他所に、背後からフィーのそんな不満気な声が聞こえてくる。
「レクター先生は綺麗な人だからね。しょうがないんじゃないかな?」
「うぐっ……なんか腹立つんだけど」
「おい、聞こえてるからな。後、伸びてねえよ」
ライアンが背後を睨みながら言うと、フィーとアルフレードは仲よくそっぽを向いてしまう。
「お前らは何なんだ……」
「何でもないでーす」
ふーんとそっぽを向いたまま、フィーが言う。その事にライアンのこめかみがピクピクと痙攣したけれど、なんとか怒りを抑えてレクターに向き直る。
「それで? 俺は何でここに連れて来られたんだ?」
「あぁそうだったそうだった。ライアンくんがここに連れて来られた時、レクター先生が治療してくれたんだ。でも、その後は基本的に僕が診ていたんだけど、せっかく目を覚ましたからね。再診してもらった方がいいかなと思ってさ」
「……なるほどね」
ライアンの頭の中には数々の嫌な思い出が蘇るも、それをぐっと我慢して代わりに大きな溜め息を吐き出した。




