第5話 Life is Beautiful②
「――揃ったか」
まるで水面一つない湖面に、小石を投げ込んだような微かな声であった。しかし、ここにいる全員の鼓膜をハッキリと揺さぶるような力強さがあった。
瞬間、ドゥを除く全員がその場で片膝を付く。
薄いベールの向こう。宝石が散りばめられたその玉座には、いつの間にか人影があった。
我らが陛下。唯一無二の絶対的な女王陛下。
「はい」
ビリビリと肌を刺す緊張感の中、ドゥが軽やかに、けれどハッキリと口を開く。それが合図だとでも言うように、陛下のその細い唇がゆっくりと開かれていく。
「そうか。皆の者、遠いところ苦労をかけた」
陛下の口から放たれた言葉そのものは労いのものであった。しかし、返事をする者は誰一人としていない。
誰も顔を上げることもなければ、息を吸うことすら最小限に止めようとする気配があった。
その様子に、ドゥはいい加減学べばいいものをと内心息を吐く。
「顔を上げよ」
陛下の言葉に、まるで錆びたブリキ人形のような動きで、サタン達が顔を上げていく。スコクスに至っては先程までの楽しそうな雰囲気が嘘のように、カタカタと哀れに身体を震わせているのだった。
「マモン。報告を」
「はい」
一つでも言葉を間違えば、命がないことはマモンだって分かっているはずだ。殊勝な態度ではあるものの、彼女のその表情はどこかこの場を楽しんでいるような雰囲気があった。その歪さが、ドゥにはどこか不気味に見えた。
「命令通り”悪魔の宝石”はちゃーんと持って来たで。ここに二つ」
マモンは言いながら胸元から二つの光輝くカケラを取り出すと、まるでわざと光に反射させるかのようにチラチラと動かして見せた。
「ふむ」
陛下はそれ以上何か言うわけでもなく、こっちへ来いとでも言うかのように指をくいくいっと動かした。すると、マモンの指先にあったその二つのカケラは、まるでそうあることが当然であるかのように、ゆっくりと宙を渡って陛下の元へと移動した。
「……確かに」
陛下は手元に届いたその二つのカケラを品定めするかのようにしばらく眺めると、短くそう呟いた。
「これで妾の手元にあるカケラも結構な数が揃ったか。全て集まる日も近い。のう、ドゥ」
「えぇ。私どもが抱えているものは全部で十三。所在が分かっているものが残り三つ。不明な物が八つです」
ドゥがスラスラ答えてみせると、陛下は満足したかのように「そうか」と薄く笑った。
「して、マモン。先程貴様の言うた”悪魔の宝石”とは何だ?」
「そんなん陛下も分かってはるやろ? そのカケラのことよ? まっ、言い始めたんはうちちゃうけど」
「……”悪魔の宝石”、か。なるほど。言い得て妙な呼び方をする輩もいたものだ」
陛下はクククッと喉奥で楽しそうに笑う。しかし、すぐにその口元を固く結び直す。
「マモン、サタン、リヴァイアサン。貴様ら、ハーネス・シティでは随分暴れてくれたようではないか」
その一言に、この場の緊張感が一気に高まる。なんならあのマモンでさえも、口元には笑みを浮かべてはいるが、額からは薄らと汗が浮かんでいる。
「妾は貴様らがどうなろうが知ったことではない。それは貴様らが一番よく分かっていることであろう」
誰も、何も答えなかった。いや、何も答えられなかったと言った方が正しいかもしれない。それほどまでの恐怖が、この部屋一面を満たしていた。
ごくりと、誰かが唾を飲んだ音が、やけに大きく部屋に響く。
「妾は確かに貴様らに申したはずだがな。あの子を見つけ次第、必ず連れて来いと」
陛下の言葉に合わせるかのように、部屋中がギシギシと軋み始める。陛下自身は何も身じろぎ一つしていない。表情を変えることもなければ、足を組み替えることも、指先一つ動かしてすらいない。ただ、じっとマモンを見ているだけだ。それなのに、恐ろしいまでの圧がこの部屋中に漂っている。
遠くで何かが割れる音がした。何かが破ける音がした。何かがぐしゃりと音を立てて潰れた音がした。
じりじりと肌を裂くような緊張感の中、ドゥは静かにその光景を眺めながら、マモンが次に口を開くのをただじっと待ち続ける。次の一言を少しでも間違えば、マモンだけではなく、彼女らの命はない。
それが分かっているのかいないのか。マモンはフッと小さく笑ってみせた。
「それは陛下が一番よく分かってはるんちゃいます?」
「ほう?」
この日、一番空気が張り詰めたのが分かった。それでも、マモンは不敵な笑みを絶やすことはない。
「今連れて来てもあの子は納得せーへんと思いましてなァ」
「納得しない、とな?」
ベール越しに、陛下がマモンを睨んだのが分かった。チラリとドゥが視線をリヴァイアサン達へ向けると、何かに祈るかのようにぎゅっと強く目をつむっている。
「せや。あの子は意思の強い子やさかい、きっと無理矢理陛下の元へ連れて来ても拒絶しはる。それは陛下の望んでることとは程遠いんやないかなと」
陛下はじっと、マモンを睨んでいたかと思うと、ややあってふぅと小さく息を吐き出した。
「マモン。主がそう判断したのならそれでよい。だが、」
陛下はそこで言葉を区切ると、スッと指を横に薙いだ。その瞬間、マモンの頬に一筋の赤い線が走り、ツッと血が垂れていく。
「次はないと思え」
「仰せのままに」
マモンは深々と頭を垂れると、「行くで」と短く言ってそのままサタン達を引き連れて部屋を出て行った。
残されたのは、陛下と、ドゥのみ。
陛下はゆっくりとその白く、長い足を組み替えると「のうドゥ」と、退屈そうな声音でソレの名を呼ぶ。
「はい」
「もしヤツが何か不穏な動きをしておったら、遠慮なく殺せ」
淡々と告げられた言葉に、ドゥは深々と頭を下げる。そのことを陛下が望むのであれば、彼女の刃はただ実行するのみ。
「陛下の命令とあらば」
周りに漂う重苦しい気配がスッとなくなった気がして、ドゥはゆっくりと顔を上げる。
視線の先には、誰もいなくなった玉座があるだけだ。
ドゥはその玉座から視線を切り、特別な感情を抱くこともなく、自らの責務を果たすために白い部屋を後にしたのだった。




