第4話 Devilcry⑨
「――――――ッ」
もし、あのまま立っていたら。そう考えただけで、ライアンの背筋を冷たいものが垂れていくのが分かる。
「どいつもこいつも……邪魔すんじゃねぇマモン!!」
ライアンが顔を上げた瞬間、サタンが空に向かって叫んだ。
つられてそちらへ視線を向けると、【ガーネット宝石店】の屋根に立ち、こちらを見下ろす細身の女性と目が合った。その整った涼やかな東洋人顔は、ルーバックへ向かう汽車の中でサタンの横に座っていた女性で間違いない。それでも、あの時はこれ程までの殺気を纏ってはいなかった。
マモンと呼ばれたその女性の黒い瞳から注がれる視線は、氷よりも遥かに冷たく、まるで全てを見下しているような底の知れない殺気。ビリビリと肌を刺す感覚に、ライアンは思わず後退りしてしまう。
そんなライアンの様子にマモンは薄く笑ってパッと鉄扇を開くと、それを合図にしたかのように先程まで辺りに色濃く漂っていた殺気が嘘のように掻き消えてしまう。
「あんた――」
ようやく絞り出した声は情けない程に震えていたけれど、それでもマモンの耳には届いたらしく、彼女はどこか嬉しそうに鉄扇をひらひらとさせた。
「あらァ、覚えててくれはったん? くるくる頭の坊。お姉さん嬉しいわァ」
「だ、誰がくるくる頭だ! 人が気にしてること見下ろしながら言ってんじゃねぇ!」
ビシッと指を差してライアンが怒鳴ると、マモンはまあまあとでも言うようにふふっと小さく笑って見せる。
「そない傷だらけやのに坊は元気やねェ。それはそうと……」
マモンはライアンに向けてそう微笑んだかと思うと、その視線をすぐ近くに立つサタンへと向ける。
「サタンにリヴァイアサン、えらい楽しそうにしてはるなァ。こんな街のど真ん中でお祭り騒ぎしよってからに……悪目立ちって言葉、知っとる?」
「あぁ!? これから面白くなるところ――」
「サタン。ちょっと口閉じよか。……それがアホや言うとるんよ。せっかくそんな上等な頭持ってはるんやから、ちゃーんと考えて動かななァ。まあ……それができへんからリヴァイアサンを付けたんやけどなァ」
有無を言わせぬその圧に、サタンはただ悔しそうに奥歯を噛む。あのサタンがたったそれだけで押し黙ってしまったことに、フィーは驚きに目を見開いてしまう。
マモンはそんなサタンの様子に興味を無くしてしまうと、今度はリヴァイアサンへ美しく微笑んだ。
「リヴァイアサン、あんさんもその子離したり。何も関係ないみたいやさかい」
「だから命令しないでって言ってるでしょ、マモン」
「二度は言わんで」
まるで氷の手で心臓を強く握られたかのような感覚に、自分に言われた訳でないはずなのに恐怖のあまりライアンの口の中はカラカラに乾いていく。しかしそれはどうやらライアンに限った話ではないらしく、この場にいる誰もが、その圧倒的な威圧感の前に言葉を発することができなくなる。
目に見えないはずの実力差だけが、マモンを中心に横たわっているかのような、そんな緊張感がこの辺り一帯を支配しているようだった。
「……バケモノが」
そんな中でリヴァイアサンは憎らしそうにそう呟くと、苛立たしげにフィーの首元から手を離す。瞬間、フィーはまるで力を吸い取られてしまったかの様にへなへなとその場に座り込んでしまう。
「フィー、大丈夫?」
「……うん、なんとか」
顔面を蒼白にさせて答えるフィーに、イニが大丈夫だよとでも言うようにギュッと彼女の腕を握る。
「で、マモン。それだけ偉そうに言うってことは、目的は果たしたの?」
リヴァイアサンはそんな会話を横目に、マモンを紫色の瞳で睨みながらそう訊ねると、マモンは鉄扇をバッと勢いよく閉じて、馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「そらもう。紡がなく、や」
マモンの言葉に、リヴァイアサンの口元が布で隠れているにもかかわらずハッキリと苛立ちで歪んだのが分かる。しかし、マモンはそんなことを少しも気にした様子もなく、胸元から一つの宝石を取り出したのが遠目からでもハッキリと見えた。
遠目からでも分かる程に強い存在感を放つそれは、ライアンの耳に垂れ下がる物とは異なっている。でも、それから放たれる輝きは間違いなく白の魔女のラクリマ。そのカケラであることが、本物を見たことがないフィーでも分かってしまう。
「それ――」
フィーの呟きは小さく、聞こえていないはずなのにマモンはハッキリとした動作で頷く。
「せや、これが白の魔女のラクリマや。まあ、どっかの誰かさんはこれを“悪魔の宝石”とかなんとか呼んどるそうやけど」
そう言った彼女の視線を辿ると、いつの間にか彼の孫娘を必死に護るかのように覆い被さるガーネットの姿があった。彼は、せめてもの抵抗としてその眼差しを鋭く尖らせてマモンを睨んでいた。
「貴様……それは確かに隠していたはずだ! 俺しか知らない、誰にも分からないような場所に!!」
ガーネットがそう叫ぶと、マモンは笑うのを隠そうともせず口元を歪ませた。
「あらァそうやったん? 確かにちょっとは手間取ったけど、それでも分かりやす過ぎるんとちゃう?」
「……何?」
「可哀想にちぃさい箱の中で、大事そーに握ってはったわ。あんさんの奥さんが」
まさかとライアンとフィーが顔を見合わせるのと、ガーネットが「貴様ッ!!」と叫ぶのは同時だった。
「そんな怖い顔で睨まんといてぇなァ。まっ、もう会うこともないやろうけど」
マモンは吐き捨てるように言うと、そのままその細く長い指先を空中に差し出した。
「ほな、そろそろ幕引きや」




