守ったり破ったり、そういう約束
やっとの思いで孤児院に辿り着いたマリアの視界の少し遠く、子供達の後ろ姿が映り込む。
子供達はシスター達に囲まれる様にして、ネウロの外側を見上げて立ち尽くしていた。
その視線の先に、異形の姿はない。
疲労により、悲鳴を上げていた筈のマリアの体だったのだが、子供達やシスター達の姿を目にした途端、マリアは不思議と痛みが和らいだ気がした。
「マリア様!」
マリアの姿に気付いた子供が聖女の名を呼ぶ。
それでようやく他の者達もマリアの訪れに気がついた。
どれもみな、うっすらと目に涙を湛えた跡があった。
「良かった。みんな無事で……。本当に良かった……」
感極まったマリアは、人目も憚らずその場で膝をつき、歓喜の涙を流した。人目も憚らず声を出して泣いた。
マリアの姿に笑顔を見せていた子供達だったが、マリアが泣き始めると引き摺られる様に、抑えて消えた筈の不安が零れ出し、一人、また一人と泣き始め、年少組は四方からマリアの体にしがみついた。マリアも負けじと、傍にいた子供達を力強く抱き寄せる。
そうやって、孤児院の庭に泣き虫の団子が出来上がった。
「へ、へへへっ。なんか恥ずかしくなってきました」
しばらくの間そうやって子供達を抱き締めたまま泣いていたマリアが、少しばつが悪そうな口調と涙、ちょっとだけ鼻を垂らした顔をして、照れ臭そうに笑って言った。
つられて子供達も、へへへっと笑う。
そんな風にして、マリアと子供達が一様に涙を湛えて、鼻を垂らして笑うという異様な光景が出来上がる。
それが何だか無性に可笑しくて、ちょっとだけ恥ずかしくて、みんなで声を出して笑った。
☆
孤児院は建物の屋根が半分崩れ落ちていた。
シスター曰く。讚美歌の練習をしていた為に、非常事態に気付かなかったそうだ。
気付いたのは、屋根が崩れる直前。
子供達の歌声に重ねる様に聞こえてきたマリアの声に気がついたお陰なのだという。
何処からともなく聞こえて来たマリアの声。それに気が付いた一部の子供が、マリア様が近くにいるのかと建物を飛び出し、追い掛ける様に他の者が続いたその直後に屋根が崩れた。
そうして、孤児院の全員があの怪物を間近で見た。
魔王を除けば、もっとも近くで怪物の姿を見たのは孤児院の人々であろう。
気付いた時には、孤児院周辺の大結界は既に破られた後であり、大きく見開かれた巨大な目で自分達を見る異形の怪物に、まともな状況判断もままならないまま、子供達は悲鳴を上げる事も忘れてただ茫然と立ち尽くした。
現実味を伴わないまま、徐々にこちらに近付く怪物の姿にようやく恐怖が追いつき始めた直後――
「あのね! 魔王が蹴っ飛ばしたの!」
興奮した様子のミーヤが、マリアにその時の様子を説明した。
あの衝撃音はおそらくその音だったのかとマリアは納得する。
「本当に危ないところでした」
若いシスター。シスターベリーがミーヤに追随する様に口を開く。
「魔王凄かったの!」
「カッコ良かった!」
口々に魔王を誉める子供達に複雑な心境になるマリア。
魔王に助けられて素直に喜んで良いのだろうか……。
助けを求めた自分自身がこう思うのもどうか、という思いはマリアの中にもあったが、長年に渡る魔王という存在への疑念、思い込みはそう簡単に払拭出来るはずもなかった。
「流石魔王のアニキだぜ!」
ウィルが腕を組んだまま、何処か誇らしげな顔で何度か深く頷く。
魔王との勝負を経て、魔王の家来となったウィル。
魔王の事をアニキと形容したのはそのせいだろうとマリアは思ったが、同時に、それは家来という舎弟ではないだろうか? と苦笑した。
同じ様なモノだとは思うけれど、マリアが想像していたモノとは少し違う関係が魔王とウィルの間に出来上がっていた。
「その少し後です。マリア様の歌が聞こえて来たのは」
シスターリーチェが微笑みを湛えて、そう口にする。
「私達の耳にもはっきりと聞こえました。まるで目の前で歌っているようで、思わずマリア様のお姿を探した位です」
シスターベリーの言葉にマリアが少し不思議そうな顔を見せる。
たしかに、怪物に届く様にと、空に向けて精一杯の声を張り上げた。
けれど、歌ったあの場所から孤児院までは距離があるし、建物も隔たり建っている。そういう事もあって、目の前で、というのは少し誇張が過ぎる様な気もするけど……。
危機的状況で五感が鋭くなったからとか、そういう理由だろうか?
「あれは何らかの意図がおありに?」
シスターリーチェの問い掛け。
「……ええ、まぁ」
マリアが曖昧に返す。
実のところ、マリア自身にも歌の用途は良く分かっていなかった。
讚美歌は悪魔の弱体に効果がある。という漠然とした答えはあるものの、それがどの程度なのかまではマリアも分からない。そもそも、そんな話は今まで聞いた事がない。
なにより、とマリアは思案する。
歌いながら怪物の様子を遠目に見ていたが、傍から見た限り怪物に特に変わった様子は無かった。遠目ゆえ分からなかっただけだろうか?
考えたところで答えは出ないかと思い直し、結局マリアはこの事を思考の隅へ追いやった。
それから始まったのは、疲れが色濃いマリアを残し、シスターベリーの主導の元で行われた屋根の瓦礫掃除。
手伝いを買って出たが強く断られ、やる事もなく椅子に座ったままぼんやりとその様子を眺めていたマリア。
そんなマリアにシスターリーチェが話し掛ける。密談でもするかの様に小さな声で。
「こんな事を言うと、またクロハに怒られてしまうかもしれませんが……、彼には感謝しています」
マリアはリーチェの言葉を静かに聞いた。
彼女の言う、彼、とは魔王の事だろう。
「彼が居なければ、あそこにいる全員が、今もこうしてあの場に立っては居なかった事でしょう。彼にどの様な意図があったにせよ、助けられたのは事実です。本当に、彼には感謝の念しかありません。 ――マリア様」
「はい」
「マリア様がどの様にお考えかは、一介のシスターである私などには分かりませんが……。もし、万が一に、彼が私に助けを求めたならば、例え教会の意に反する事になろうとも、それで私が後ろ指を指される事になろうとも、私は、彼に、今日の恩返しをしようと思っております。シスターとしてではなく、一人の人間として」
マリアは何も応えず子供達を眺め続けた。
しばらくそうした後、やがてマリアが口を開く。
「何故、私にその話を?」
「何故でしょう? 自分でも良く分かりません。本来ならば、聖女様にお話する様な事では無い筈であるのに……。
――そうですね。ただ、知って欲しかっただけなのかもしれません。彼の事を、彼の何かを、誰かと共有したかったのかもしれませんね」
そう言って、シスターリーチェが小さく笑う。
それからしばらく間を空けた後、マリアに問い掛ける。
「彼はまたここに来てくれるでしょうか?」
「……嫌でも来ると思います」
――子供達と、そう約束を交わしたから。
「ふふっ。それは良かった。彼が来たら、その時は、今日のお礼も兼ねて歓迎しなければなりませんね。出来るなら、その時に、何故助けてくれたのかも聞いてみたい」
マリアは少しだけ思案する素振りを見せてから言う。
「私の勝手な見解ですが……、助けた事にあまり深い意味は無いと思います」
「……理由を伺っても?」
「……シスターリーチェや、子供達と約束したからです」
「約束?」
「はい。――子供達は傷つけないと。そういう約束の筈です」
――アレは約束は守るから。
そういう意味では、魔王はマリアとも、子供達を助けて、と約束を交わしたが、マリアはその事については触れなかった。
聖女という立場を考え、言うか迷った結果、結局マリアは口には出さなかった。
マリアの言葉を受け、リーチェが小さな声を出して笑う。
「随分と律儀な魔王がいるものですね」
そう言って、リーチェはしばらくの間、愉快そうに笑い続けた。
その後。
マリアとリーチェは、もう一度互いの無事を喜びあう言葉を交わし、壊れた建物の事、修繕の事、完了までの生活の事などを話した。
それが終わり迎えた丁度その頃。
マリアを探してネウロの方々を駆けずり回っていた聖騎士の一人がやって来たところで、聖騎士に連れられマリアは孤児院を後にした。
急いで大聖堂へと戻ったマリアだったが、案の定、突然に大聖堂を抜け出し、みなに多大な心配を掛けた事について、大司教フランにこっぴどく叱られたのであった。
☆
マリアが大司教フランに大目玉を食らっている丁度その頃。
魔王は、ネウロの一角にある宿、聖ポプラの一室にいた。
「君達ってさぁ、やる事がホント根倉だよね? だからそんなに黒いんだよ」
そう語り掛ける魔王の前に居るのは、頭から足下まで薄汚れたボロをまとった一人の人物
「ヒッヒッ、魔王様のお役に立てるかと思っておりましたが、どうやらお気に召さなかった様で」
「ハッハッハッー。君達根倉共の気遣いなんて、全然これっぽっちも嬉しくない上に、ありがた迷惑と来てる。
引きこもりがちな君達が、一生懸命、無い知恵搾って何をしてるのかと今回は観察するに留めたが、はっきり言って失敗だったぜ?
聖女ちゃんの笑顔は僕の自慢だったりもするので、人々に安らぎと幸せを届ける鑑賞用として万人に分け与える事もやぶさかではないが、聖女ちゃんから流れる涙は僕だけの物だったりするんだぜ?
――お前らが勝手に流してんじゃねぇよ」
殺意を込めて魔王が睨みを利かせる。
途端に部屋の中に広がる冷たい空気。
されど、目の前の悪魔は肩を上下させて笑う。
「ヒッヒッ、我らの王は随分手前勝手な言い分を吐きなさる。
そもそも、あなた様が約束を破るのがいけないのです。あなた様は我らに捧げられし器。きちんと器としての自覚を持って頂かないと困ります」
「知らないのかい? 約束ってのは破る為にあるんだぜ? 約束した時点で君達が愚か者だった。つまりは、そういう事なのさ。従わせたきゃ、首に縄でも付けて、檻にでも閉じ込めて置くべきだったね?」
魔王が鼻を鳴らし、片手でお手上げのポーズを作る。
「ヒッヒッ、今のあなた様を繋いでおける鎖や、閉じ込めておける檻が何処にありましょう」
「だったら諦めなよ? ――いい加減、君達の相手をしていると愛想が悪くなってきた気がするよ」
言いながら、魔王は部屋の壁に立て掛けられた姿見へと顔を向け、両手で自身の頬を数回上下させた。
「ヒッヒッ、例えどの様な表情であろうと、あなた様の顔は、そこらの雑多な者よりも十二分にお綺麗かと」
悪魔の言葉に、鏡から視線を外し、正面を向いた魔王が小さく笑う。
「君達におべっかが使えるとは思わなかったね。それともおべんちゃらの方かな?」
「ヒッヒッ、思ったままを口にしたまで」
「どうでもいいよ。――それより、この部屋の借り主が居なくなってしまったのが深刻だ。終わった事を蒸し返すのは好きじゃないから、それが誰のせいとは言わないけど、お前らが全面的に悪いとだけは言っておくよ」
「ヒッヒッ、弁明させて頂きますが、マルクスなる物は、あなた様のいうところの、あなた様の物を、あなた様から奪おうと画策しておりました。
元々、利用しようかと考えていたのは事実ですが、思いの外マルクスなる物は精神面が弱く、器とした際、壊れてしまったのでしょう。
出来損ないの魔王となってしまったのは、我らの見通しの甘さゆえ。どうぞお許しを。
――ただ、先も言いましたが、マルクスなる者があなた様の物を横取りしようとしていたのも事実でございます」
悪魔が、テーブルの上で横になった殻の瓶を、指先で軽くつついて弄ぶ。ヒッヒッと甲高い笑い声をあげながら。
赤い目が、フードの中で愉快を形作って輝いていた。
「なるほど。何故、馬糞野郎が聖女ちゃんを狙うのかと思ったが、皇子様は壊れちゃったか。 ――まぁ、聖女ちゃんを狙う汚ない豚がどうなろうと知ったこっちゃないし、その事について、君達は良くやったと誉めて欲しいのだろうけど、それがありがた迷惑だと言ってるんだぜ?
仮にも一国の皇子が消えたんだ。この代償は高くつくぜ?」
「ヒッヒッ、人の世の俗世にまでは気が回りませんでした。以後、注意致します」
「注意も、気を回す必要もない。とにかく君達は鬱陶しいから、これ以上、僕の周りをチョロチョロしないでくれたまえ」
心底うんざりした様子で魔王。
そんな魔王の様子に悪魔がヒッヒッと笑う。
「ヒッヒッ、約束致します」
「言っただろ? 約束は破る為にあるんだぜ? 信用しかねるね、君達のその言葉は」
「ヒッヒッ、結局、あなた様は我らが約束しようと、なかろうと、我らを信用してはくださらない」
「良く分かってるじゃないか。誉めてあげるよ」
魔王がそう言うと、悪魔が笑い声を上げたまま目を細めた。
「ヒッヒッ、意地の悪い。我らはただ、あなた様が喜んでくださるならばとしているまで」
「意地の悪さは否定はしないけど、君達程に意地汚くはないぜ? そして、僕に喜んで欲しいというのなら、答えは至極簡単で明快なくらいに単純な事だぜ?」
「ヒッヒッ、と言いますと?」
悪魔の問い掛けに、魔王が面倒臭そうに頭を小さく掻いて、言葉を紡ぎ、答える。
「理解力がないのかい? 何度も言っただろ? 僕の周りをチョロチョロしない。これで僕はハッピー。聖女ちゃんもハッピー。君達もハッピー。やったね悪魔ちゃん。
――いいかい? 物覚えの悪い君達に、優しく、懇切丁寧に教えてあげるから、そのきったねぇ耳の穴をかっぽじって良く聞きたまえ。ちゃんと手は洗ってね?
今後、僕の周りをチョロチョロするのを見掛けたら即潰す。歩いているだけでも潰す。息をしているだけでも潰す。何をしなくても潰す。――いいね?」
「ヒッヒッ、おぉ怖い。精々気を付けるとしましょう」
悪魔の返事を認めたのち、魔王は部屋の窓へと歩みより、開ける。くすんだガラスで抑えられていた夕陽が部屋の中へと差し込み、床から壁に、長く伸びた魔王の影を作る。赤色の中に色濃く型どられる黒色。
魔王はそのまま窓枠へと手を掛け、ふと動きを止めて悪魔を振り返った。
「そう言えば少し気になったから聞いておきたいんだけど」
「ヒッヒッ、何でございましょう?」
「その笑い方って個性によるキャラ付けを狙ってるのかい?」
そう口にした後、魔王がヒッヒッと悪戯っぽく歯を見せて笑う。心底楽しそうに。
「……ヒッヒッ、ただの癖でございます」
少しの間、目を丸くしたあとで悪魔が笑った。
そうして、魔王はそれだけ聞くと、またヒッヒッと笑って窓から去っていった。
魔王が居なくなると、窓から差し込み夕陽の赤が強くなった。
真っ赤に染まる部屋をいとおしそうに細めた目で眺めた後、悪魔は、怖い怖い、あぁ怖い、と楽しそうに呟いて、またヒッヒッと笑った。




