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見つけたのは形の良い意思

 マリアは、ネウロの街を一心不乱にただ駆けた。

 ひたすらに足を動かした。

 何度も転びそうになり、何度も街の中で立ち止まって空を見上げる人々とぶつかった。誕生祭の為、いつもよりも多く街に並ぶ大小様々な物がマリアの行く手を遮った。

 それでもマリアは走り続けた。


 幸か不幸か、汗と涙でぐしゃぐしゃになったその顔を人々に見られる事はなかった。

 みな、それどころではなかったからだ。


 鐘はとうに鳴り止んでいたが、代わりに空に浮かぶ光りの膜が何度も悲鳴を上げた。

 それで何か異常が起きていると人々も感じ取ってはいたが、街中にあってその正体までには気付いていない。

 現在、ネウロの街には、避難勧告の為に伝令が走り回っている筈ではあるが、広いネウロにおいて、短い時間でそれが何処まで、どの位の人々の耳まで届くのか分からなかった。

 誕生祭という祝いの筈の非日常がそれに輪を掛けて難しくする。

 中には、これも祭りの一環かと、笑って雑談する者達までいる始末。


 街の端に近付くに連れて、反対から逃げて来る人々とマリアがすれ違う事が多くなってくる。

 敬虔(けいけん)な者達は、逃げる自分達と真逆に走るマリアに気付き、その走りを止め様と声を上げるが、マリアの耳には届かない。


 孤児院への道を真っ直ぐ走り続けたマリアであったが、いまだ孤児院の子供達とすれ違う事はなかった。

 だからマリアは走り続けた。

 街の端にあるせいで孤児院にまで避難の指示が届くかは難しい。すれ違っていない事を鑑みるに、孤児院の者達はいまだあそこに留まっている可能性が高い。

 マリアは止まる事なく走り続けた。


 もはや足は、いまや全力のそれとは程遠い。歩くのとそう変わらない程に弱い。

 それでもマリアの足が止める事はなかったのだが――


 建物の角から飛び出して来た男とぶつかり、反動でマリアは横に飛ばされた。ぶつかった男はマリアを一瞥する事もなく、走り去っていった。

 そうして、そこで始めてマリアの足が止まった。

 倒れたまま動けなくなった。


 荒く肩で息をして、立ち上がろうと体に力を入れても上手くいかない。

 何度も何度も力を込める。


 そんなマリアの耳に、今までで一番大きな悲鳴が届く。

 慌てて顔を上に向けたマリアの視界に、大きく穴の空いた大結界の姿が映り込んだ。


「あ……ま、待って――駄目……」

 意味など無いとは頭で理解しつつも、パラパラとガラスの様に崩れ広がっていく穴に向けて、マリアが懇願する様に呟く。


 もう一度腕に力を込めて、立ち上がる。

 そうやって、やっとの思いで立ち上がり、走り出そうとするが、すぐに転びそうになった。気力はあれど、体がそれについてこれていない。


 ここでマリアは走り始めてから初めて神に祈った。

 深く強く。両手を握りしめ祈りを捧げた。

 静かな祈りの中、マリアの乱れた呼吸と心音だけが広がる時間が続く。それと同じだけの長さの祈り時間。


 静かな時間が流れる中。目を瞑り祈るマリアの頭上で、一際大きな音が響いた。

 それはマリアにとって無慈悲なまでに高く、深い、絶望の音であった。

 その絶望の音を耳にした時、ふと頭をよぎった者の名をマリアは思わず口にした。


「魔王! 魔王スノーディア! 見ているのでしょう! 魔王!」

 マリアは祈る様に叫んだ。

 敬愛する神ではなく、忌むべき魔王に向けて声を張り上げた。

 形無き意思ではなく、形ある意思に救いを求めた。


「そう叫ばずとも聖女ちゃんの声は聞こえているよ」

 いつもの調子でヘラヘラと笑った魔王が、何処からともなくマリアの前に現れる。


「あれはあなたの仕業ですか!? すぐに止めさせて下さい!」

 きつく魔王を睨んだマリアが叫び問う。


「生憎だけど、僕が呼び出した代物じゃないね」


「どちらでも構いません! あれを止めて下さい! あなたならば出来るのでしょう!?」


「出来るけど、――聖女ちゃんならともかく、僕が他の豚共を助ける理由はない。どうせ今日から丁度一年後にはみんな死ぬんだ。放っておいても――」


「お願いします! あなたの助けが必要なのです! お願いします!

 ――お願いだからあの子達を助けて……」

 弱々しくなっていくマリアの悲痛な懇願を前に、魔王が小さく笑う。


「良いだろう。他ならぬ聖女ちゃんの頼みだし、僕としてはそれを聞くのはやぶさかではないさ。――ただし、貸しひとつだぜ?」

 魔王はそう言うと、マリアの続く言葉を待たず、瞬きする間にマリアの前から消え去った。


 マリアが、魔王が消えたと認識した直後、鈍く巨大な衝撃音がネウロに響き渡った。





「愛の戦士スノーマンだ。よろしくしてね馬糞野郎」

 100メートルはゆうに超える巨体を蹴飛ばし、ネウロから遥か遠くへと吹き飛ばした怪物に向けて、魔王がヘラヘラと笑って挨拶する。


(スノー、ディア……)

 怪物が頭に直接語りかけてくる。

 その声に、愉快そうに耳を傾ける魔王スノーディア。


「馬糞が気安く僕の名を口にするなよ。見た感じ口は無いみたいだけど、口があったらあったで大変だったぜ? 君、息臭そうだし。少しは聖女ちゃんを見習いたまえ。

 知ってるかい? 聖女ちゃんは春の爽やかな花の様なにおいがするんだぜ? あれは流石に参ったね。ほら? 僕って爽やかだけど、立場的に爽やかとは縁遠いだろ? 君程じゃないけどね。

 自覚が無いなら自覚を持ってもらいたいと願わずにいられないけども、君は精々聖女ちゃんという名の花の肥料としての利用価値しかないんだよね。もっとも、君なんかを肥料にしたら逆に枯れてしまいそうだけど。

 そう考えると、全く、君って奴はつくづく役に立たないゴミだね? 聖女ちゃんの爪の垢でも飲ませてやりたいところだけど、残念ながら聖女ちゃんの頭の先から爪の先までまるっと全部僕が予約済なので、君には髪の毛一本たりともあげるつもりはないんだよね」

 ペラペラと口軽く怪物を小馬鹿にする魔王。締めとばかりに気だるげに片手を上げてヘラっと笑う。


(邪魔を……するな)


「別に邪魔をするつもりはなかったんだけど、愛しの姫君と約束してしまったからね。約束は守る為にあるらしいぜ? って言うかさぁ――

 ――聖女ちゃん泣かしてんじゃねぇぞ汚物野郎」

 殺意をふんだんに込めた冷たい声で魔王が薄く笑う。

 しかし、それは一瞬で、すぐにいつものヘラヘラとした表情へと戻る。


「とまぁ、脅してすかしてみたものの、汚物に通じるわきゃねぇな。一人言みたいで何だか寂しいぜ?」


(邪魔を……するな)


「別に聞こえてない訳じゃないから、リピートしなくて結構だぜ? 大事な事なのでリピートするが、リピートしなくて結構だぜ?」

 ドヤっと笑う魔王。

 怪物は沈黙を守った。


「愛想笑い位しろよ。――まぁ、滑った話は水に流して忘れるとして、ついでに君という汚物も流したいのでちょっと考えさせてくれる? ああ、その前に質問だけど、君の目的はなんだい? まぁ、答えは分かってるけど、一応ね。違って後から文句言われるのも嫌だろ?」


(聖女を……我が手に)


「素直に答えるのは良い事だけど、そいつはちょっと聞き捨てならねぇなぁ。けど、喜びたまえよ馬糞野郎。今この時、この時点をもって、君は僕にとって踏み潰すべき敵となったわけだ。糞を踏んづけるのはかなり嫌だけど、それでもまぁ仕方無い。歓迎するよ?

 まぁ、それはともかくだ。――さて、どうしたものかな」

 魔王が、怪物を見つめながら顎に手を当て思案する。

 その間にも、怪物から黒い線が放たれ、いくつもの触手が魔王に向けられるが、それらは全て魔王に触れる直前でかき消えて、そうして、魔王は何事もないかの様に思案を続けた。


 しばらく、その状態が続いた後、魔王が「よし、決めた」と誰に言うでもなく呟き、小さく頷いた。





(聖女ちゃん、聞こえる?)

 孤児院に向けてゆっくりとだが足を進めていると、突然頭の中に声が響く。

 慌てて立ち止まり周囲を見渡すが、件の魔王の姿は見当たらなかった。


(聖女ちゃん、聞こえてるなら心の中で、魔王大好きって強く思ってくれない?)


 ……何か用ですか? 怪物はどうなりました?

 マリアは、心の中で強く魔王に問い掛けた。


(あれれ? 聞こえないみたいだな? おかしいな?)

 芝居がかった魔王の声がマリアの頭の中で反響する。


 ……用が無いなら、怪物をどうにかする事に集中してください。


(つれないなぁ。まぁ、そんな冷たいところも魅力的ではあるのだけれど)

 マリアは小さく溜め息を吐き出した。


 どうしてこの魔王は人の必死さとか緊張感をこうも軽々しく踏み砕くのだろう?


(余裕ぶりたい年頃なのさ。特に好きな子の前ではね)


 はいはい。


(それはそうと、聖女ちゃん)


 なんですか?


(格好つけた手前とても言いにくいのだけど、さっきの貸しを早速返して貰いたいんだ)


 ……何をすれば言いのです?


(聖女ちゃんは気付いてる様だから正直に言うけど、どうやら僕達悪魔には讚美歌なるものが少なからず効くらしい)


 その様ですね。


 言ってマリアは孤児院で見た魔王の姿を思い出す。

 青い顔をして冷や汗を流す魔王の姿を。

 正確にどういった効果があるのかは不明であるが、あの様子を見るに嘘では無いのだろう。


(うん。それでね? ちょっとこの馬糞――、失礼。怪物くんは僕でも手子摺りそうなんで、聖女ちゃんの力を借りたいのさ)


 それは、――私に歌えと言いたいのですね?


(話が早くて助かるよ。子供であれだからね。聖女ちゃんならきっと凄まじく効果がある筈だよ)


 歌うのは構いませんが……。魔王、あなたは大丈夫なのですか?


(折角の聖女ちゃんの歌声だから聞きたい気持ちはおおいにあるのだが、状況が状況だし、今回は我慢して耳でも塞ぐよ。その行為に効果があるか知らないけど。――まぁ、とにかく、そういう事なのでお願いするよ?)


 分かりました。――ところで、何を歌えば?


(ハハハ、聖女ちゃんはおかしな事を聞くね。それは勿論、当然、僕へのラヴソングに決まってるじゃないか)


 ……祝福の歌を歌います。


(…………別に良いけどね。なんでもさ)


 残念そうな口調の魔王のその言葉を最後に、マリアの頭の中の声は聞こえなくなった。


 そうして、魔王との会話を終えたマリアは、真っ直ぐ進んでいた孤児院への道を脇に逸れ、近くにあった小さな広場へと足を伸ばした。

 開けたこの場所からは、異形の怪物の姿が良く見える。


 ――ここならば届くだろう。


 マリアは数度、深く呼吸する。


 そして、澄み渡る朝の空気に負けない位に、清らかで澄んだ声で歌い始めた。

 不思議な事に、その歌声は風に舞い、魔王や怪物のみならず、ネウロの街じゅうへと響き渡り、ネウロに居た全ての生ある者の耳に届いた。





 マリアの歌声が聞こえ始めたと同時に、魔王はその歌声に静かに耳を傾けた。


 凄いな。美しいとは聞いていたがここまでとは――。

 マリアの歌声を聞きながら感嘆する。

 ついで、ラヴソングじゃないのが残念でならない、と小さく落胆した。


 目を瞑り、しばらくマリアの歌に耳を傾けた後、名残惜しそうに目を開いて、魔王は怪物へと目を向けた。


 そうして、先程から何やら無駄の努力を頑張っている怪物の姿に嘆息する。

 ――ただの一発も当てられないくせによくやるよ。

 魔王が馬鹿を見る目をして笑う。


 それにしても、と魔王。

 分かってはいたけど、――歌には何の効果も無いらしい。

 それはそうだと魔王がまた笑う。


 だって歌は歌だもの。

 美しいそれや楽しいそれで、感情が揺さぶられるという事はあっても、何か特別な効果なんてものがある訳はない。まして、歌で悪魔が弱るなど――。

 むしろ僕なんかは聖女ちゃんの歌声が聞けて嬉しいくらいだ。流石聖女ちゃん、逆にちょっと元気になった気がするぜ?

 加えて、孤児院での小芝居を聖女ちゃんが真に受けたかと思うと、自然と口元がにやけてくる。

 本当に素直だぜ、聖女ちゃんは。


 まぁ、いつかはバレるだろうけども、ラヴソングを聞くまではしばらく黙っていようと思う。

 聖女ちゃんをからかうのは面白い。


 このままもう少し、聖女ちゃんの歌に浸っていたいけれど、疲れている様だし、あまり長く歌わせるのも忍びない。


「と、言う訳で、そろそろ君とはお別れだ。別に懺悔なんて糞の君以上に糞で役に立たない事はしなくて良いけれど、聖女ちゃんを泣かせた海よりも深い罪を精々後悔して消えたまえ」


(聖女を……渡せ)

 挑発する様に魔王が言うと、怪物はそう返して、ギョロリとした目玉と無数の触手を魔王へと向けた。


「なんだい? 僕と本気で戦うつもりかい?

 この世界において、ラスボス、ないし、希代の悪役である君と戦うのは、英雄願望が高く、上昇思考の強い僕としてもやぶさかではないし、君が消えてくれないと聖女ちゃんが困るので、君が消えるのはほぼ確定事項。と言うか、聖女ちゃんの口から紡ぎ出た賽は、既に投げられちゃった後なので、もう手元には戻せなかったりするんだぜ?

 なにより、君と僕とは多少ならず因縁のあるライバルでもあるので、君との戦いはノーカットに加えてダイジェストでお送りしたいところではあるのだが――

 ――戦う前にひとつ言っておくと、この物語は僕と聖女ちゃんの熱く純情なラブロマンスを主軸としたお話である。

 ゆえに。15歳未満が見るにふさわしくない表現、つまるところの過度の暴力、流血、性描写を含まないお話しだ。

 したがって。非行を助長するような暴力的で血生臭いバトルシーンは無慈悲なまでにバッサリとオールカットだぜ?

 分かったかい? 分かったら返事位しろよ、この馬糞魔王」


 かつて魔王と呼ばれた異形の怪物は、ただ静かに魔王を見ていた。

 既に失ってしまった肉体を、生贄によって無理矢理に形と成した古き魔王は、朧気な眼でただスノーディアを見ているだけだった。


「そう恨みがましく見るのはよしたまえ。――僕だって好きで魔王になった訳じゃないんだぜ?」

 かつて魔王であったソレに、愚痴でも溢す様に魔王が吐き出す。


「まぁ、君には少なからず同情するし、魔王の先輩様でもある訳だから、ちょっと位、ノミやダニ程度には君に敬意を持ってあげるのもやぶさかではないよ?」

 溜め息混じりにそう言って、魔王が自身の懐へと手を差し入れた。


「とまぁ、そんな殊勝な気持ちと誇りを埃程度には持ち合わせている僕なのだけれど。

 実はね? 君のところに来る前に、対君こと対馬糞魔王にうってつけの武器を前以て手に入れておいたんだよ。気になる? ねぇ気になる?」

 愉快そうに魔王が笑う。


「聖剣? 魔剣? ノンノン! もっと心惹かれる良い物さ。

 ――さぁさぁ馬糞魔王。そのひとつしかない目ん玉ひん剥いて刮目したまえ。ネチャついて気持ち悪そうな触手という名に文字化けした君の毛という毛が、驚きで逆立つ事受け合いだぜ?

 苦節はどれ位か忘れたが、僕がやっとの思いで手に入れた対馬糞魔王用の最高にして至高のアイテム!」

 叫び、懐のソレを取り出した魔王が、手の平を拡げてかつての魔王に見せつける。



「石」  

サブタイトルの意思と、ラストの石という台詞を掛けてみた。別にたいして上手くもないと書いてから思った。

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