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誕生祭と異形の黒

 それはマリアとマルクスの二度目の謁見が行われた8日後の事であった。

 ソレは突然にやって来た。


 この日、神都ネウロは朝から賑やかな空気に包まれていた。

 それもそのはずで、この日は聖女マリアの19歳を祝う誕生祭当日であったからだ。

 前々日から、各所では聖女を祝う様々な催しが行われ、誕生祭に向けて都に華を添えていた。

 魔王の出現と共に神都ネウロには多くの人々(若い男性ばかり)がやって来ていたが、それに加えて、誕生祭を迎えるに辺り、更に多くの人々でネウロの街はごった返している。


 街の装飾が人々の目を惹き付けた。

 何処からともなく耳に届く音楽が人々の耳を楽しませた。

 ネウロに漂う芳ばしい香りが人々の鼻を賑わわせた。


「聖女様乾杯!」

「聖女マリア様おめでとう!」

 街の至るところからそんな声が聞こえてくる。老若男女問わず、(みな)が聖女の誕生日を笑顔でもって口々に祝った。

 本音を言えば、祝う気持ち半分。それに託つけて騒ぎたい気持ち半分。と言ったところではあるだろうけれど。

 たとえそんな気持ちがあったとて、祝う気持ちがあるのも本当の事。無粋な事は誰も口にする事はない。

 とにもかくにも、この数日。

 普段の、厳粛に、といった空気とは程遠い、騒がしい街並みが神都ネウロに広がっていたのである。


 このらんちき騒ぎだが、実はこれ程に異様な熱気を持って騒がしいのは今回が初めての事である。

 例年ならば、神の膝元ネウロらしく、聖女の誕生祭は気品ある豪華さの中にあって静かに粛々と行われるのが常であった。


 ところがだ。

 今回は今までとは真逆と言ってもいい程の賑やかなものである。

 これは、教会の意向に他ならなかった。

 その為に教会は四方八方に手を尽くした。大量の食材、酒を教会名義で取り寄せる事を皮切りに、各地への誕生祭の喧伝、主要国の要人招待、果ては吟遊詩人や大道芸一座、音楽家までをもかき集めたのだ。


 今までが神聖な儀式の様な誕生祭であっただけに、最初こそ人々は教会の意向におおいに困惑したが、教会の本気度合を知り、ならばと盛大に乗っかった。

 そうして、住民総出の熱気溢れる働きにより、神都ネウロ中が盛大な祭り一色に染まったのである。

 

 この騒ぎにもっとも困惑し、頭を悩ませる事になったのは当の主役である聖女マリアであった。

 人々が自分を祝ってくれるのは純粋に嬉しい。

 だがマリアは、教会の、法皇達の意図が透けて見える気がして、素直に喜びづらいという思いがあった。


 法皇達は、マリア参加の晩餐会が駄目ならば無理矢理巻き込んでしまおう、という腹積もりなのであろう。

 流石にこれを断る訳にも、誕生祭を中止にする訳にもいかない。何より、人々が楽しんでいるのにそれに水を差すなど出来る筈もない。


 そして、マリアが一番気に入らない事。

 それはこの誕生祭に魔王が一口噛んでいる事だ。

 表立って法皇達と結託しているというより、法皇達の思惑に魔王が乗っかった、というのが近いかもしれない。

 そんな証拠などは無いのだが、タイミングとしてはそうとしか考えられない。

 というのも、法皇達から街へ自由に行き来する許可を与えられた。まずそれがおかしい。

 今までは何処か、例えば孤児院に行くにも一応の伺いを法皇達に立ててから出掛けるのが通常であり、規則であった。


 だが、今回は必要ないとの事。

 神都ネウロ内ならば、何処でも好きな所に好きなだけ行くと良いと言われた。

 頭が痛くなった。

 間違いなく、確実に偶然を装った豚……じゃなかった男性達に囲まれる事だろう。考えただけで恐ろしい。


 法皇達曰く、護衛は付けるとの事だが、その護衛達が信用出来る筈もない。

 おかしいと思う理由はそこにもある。

 何故ならば、私がもっとも信頼し、実力的にも申し分ない筈の護衛。聖女の守護者たるクロハがその護衛達の中に居ないのである。

 彼女は先の竜騒動の件で、2日前から遠い北の地に調査という名目で駆り出されている。生き残りの調査である。

 タイミングとして、そこに魔王の関与を疑わざるを得ない。というかどう考えても魔王の仕業に決まっている。

 何をどうしたか知らないが、法皇達と魔王の利害が一致したのだろう。


 まぁ、それならそれで良いかとも思った。

 いくら無許可での外出が認められようが、守る気があるのかも疑わしい護衛がつこうが、ようは大聖堂の自室から出なければ良いのである。

 法皇様方も甘いな、などと思っていたら、各所の催しに参加するように言われた。ほぼ強制に。

 そう来たか。


 体調が悪い事にして不参加にしようかと画策してみたが、そんな私の元に大司教であられるフラン様がお見えになられた。

 大司教フラン様は、法皇様方に次ぐ階層を持つ方であり、次代の法皇様のお一人である。教会内では初の女性法皇になるのではと期待される人物だ。

 普段は、西の神都とも称されるアナヘイムという都に居られるのだが、誕生祭という事でネウロにお越しになられたそうだ。


 フラン様のお姿を見た瞬間に私は仮病を使う事を止めた。

 フラン様は癒しの御手をお持ちの方で、その御手で、どんな病すらも治してしまう偉大なお方である。

 と、同時に、私が15の時まで教育係だったという過去もお持ちの方であるからして、万が一にも仮病がバレようものなら、それはもう大変な事態に陥ってしまう。

 苦手意識というモノは恐ろしいモノで、私はフラン様の前では小さな仔犬と化してしまうのだ。そんな仔犬な私が、フラン様の前で仮病などという陳腐な嘘を突き通せるとは微塵も思えない。

 いや、そもそも嘘はいけない。まして私は聖女である。

 仮病もちょっと思ってみただけなのです。ええ、そうですとも。


 フラン様としっかりと挨拶を交わす。

 フラン様のまるで教科書の様な立ち振舞いと言葉に、相変わらずなぁと懐かしさが滲み出た。

 と、同時に、仮病作戦決行をフラン様に会う前に実行せずに良かったと心から安堵する。良く良く考えれば、フラン様は毎年誕生祭には来ておられるのだから今年も来ておられるのは当然なのです。


 いくつかのやり取りをしつつ、思っただけで実行してもいない仮病の件がバレるではと、内心ヒヤリとしていると、「どうかなさいましたか?」と尋ねられた。

 ドキリと心臓を羽上がらせつつも、問題ないといった言葉を返す。何故計画しただけの悪巧みにこんなに焦らなければいけないのかと自虐的な気持ちになった。


「……今年は例年と随分違った祝い方をされるのですね」

 大聖堂の外から聞こえる喧騒に耳を傾ける様な仕草をしたフラン様が、そう話す。


「……はい、まぁ」

 どう答えるべきか返答に困り、曖昧に返した。

 正直に、私狙いの猿………じゃなかった、男性方との出会い云々の話をする訳にもいくまい。


「まぁ、誕生日なのですから、どういう形であれ祝う気持ちがあれば細かくは問いませんが―――だからと言って、気を許す事なく、むしろこういう時だからこそ、マリア様におかれましては今まで以上に、気をしっかり持って頂きたく思います」


「はい。お心遣い感謝致しますフラン大司教」


「マリア様はこれからどちらかへ?」


「はい。これから聖カルロス通りにて誕生祭の催しがありますので、それに出席する様にと、法皇様方より承っております」


「クロハの姿が見えない様ですが?」


「はい。彼女は今、先日北の地で起きました例の竜騒動の調査の為に2日前からネウロを離れております」


「そうですか……。やけに護衛が少なく見えましたので、少々気になったのですが」

 冷や汗をかいた。

 わざと少ない護衛だなどとは言えず、気のせいだ、と笑ってやり過ごす。

 当然というか、納得していない様子のフラン様に向けて、「すぐ近くでございますから」と言葉を重ねる。

 そんな風にして、やや緊張した面持ちの私の目を真っ直ぐ見据えた後、視線を少し下に落としたフラン様が小さく息をつく。

 何か至らないところがあったかと、正した筈の背筋が思わず更に伸びる。


「これから大変でありましょうが……しっかり頑張りなさい。あなたが気に病む事は何ひとつとして無いのだから。―――法皇様方には私から少々小言を言わねばなりませんね」

 小言? 法皇様方に?

 フラン様のそのお言葉にポカンとする。そんな私を見てフラン様が小さく微笑んだ。


 それからフラン様は、私の肩に手を添えて「19歳、おめでとう()()()」との言葉を残して去っていった。



 ――不覚にも涙が出そうになった。





 フラン様とのやり取りを経た後、聖カルロス通りへと向かう為、大聖堂を出た。

 私の周囲には数人の護衛。

 以前の10ぶんの1にも満たない護衛の数が、法皇様方のやる気のなさと別の意味でのやる気の姿を形として表している様であった。


 大聖堂の建物を出て、教会の敷地を抜けてすぐの事であった。


 周囲が一瞬だけ暗くなった気がした。

 足を止め、視界を鳥の影でも通ったかと思い、顔を正面やや上へと向ける。

 特に鳥の姿などは見えなかったが、妙な違和感を感じた。


 しかし、妙な違和感の正体は分からず、祭りの空気のせいかと思い直して歩を進め様とした時。


 大きな鐘の音が響き渡った。


 腹の底に響く様な、それでいて耳触りの良い美しい荘厳な鐘の音がネウロに広がる。

 祭日にしか鳴る事の無いその鐘に、これも誕生祭の一環かと納得し、その音に耳を傾ける。

 ひとつ――ふたつ――、とゆっくりと数を増していく鐘の音。いつしか周囲の雑多な喧騒も止み、鐘の音だけが私の耳に届いていた。


 しばらく静かに聞いていたが、――これで10回目。どう考えても鳴らし過ぎだと思った。


「マリア様!」

 鐘の音の響く中、名前を呼ばれて後ろを振り向く。

 教会の者が慌てた様子で教会の敷地をこちらに向けて走って来るのが目についた。


「急いで大聖堂へお戻り下さい!」

 何かあったのかと尋ねるより先に、慌てた様子の男性にそう告げられる。


 訳が分からないまま、しかし、男性の様子に大きな不安を覚えた為、すぐに来た道を足早に戻り、大聖堂へと赴いた。

 その間も、鐘の音は止む事なく響き続けていた。



「何事ですか!? 何故いつまでも鐘を鳴らしているのです!?」

 大聖堂へと戻りすぐに、誰に向ける訳でもなく、声を張り上げ尋ねる。鐘の音が邪魔をして自分の声がやけに小さく聞こえる。


「マリア様! 法皇様方が天楼の間にてお待ちです! お早く!」

 すぐ傍にいたシスターがそう声を上げて伝えてきた。

 首の振りだけで了承を返し、天楼の間に向けて大聖堂内を進む。


 天楼の間は、ここ大聖堂内にて最も高い場所に位置する間で、そこからはネウロを一望する事が出来る。

 ただ、如何せん高い場所という事もあって、いくつもの階段を登らねばならず、普段はほとんど赴く事がない場所である。


 肩で息をしつつ、それでも速度を落とさない様に必死に階段を登っていると、見かねた護衛が腕を引き、背中を押して、補助を手助けしてくれた。

 日頃の運動不足が恨めしい。


 やっとの思いで辿り着いた天楼の間には、法皇様方とフラン様、それに数名の司教様や司祭様が集まっていらした。

 全員が天楼の間の先にあるバルコニーで、外に体を向けて何かを見ていた。


 息を整えつつ、(みな)の集まるバルコニーへと進む。


「来たかマリア」

 私に気付いた法皇様の1人が声を掛ける。


 何があったのかと尋ねようかと思ったが、乱れた呼吸で上手く言葉が口から出て来なかったが、「これを見てみよ」と携帯式の望遠鏡を手渡された。


 望遠鏡を受け取り、皆が顔を向ける方向へと自身も目を向ける。

 遠く、ネウロの街の外。うっすらとだが、広く煙が上がっているのが見えた。

 煙に向けて望遠鏡を覗き見る。


 まず煙が目に飛び込んできた。

 森林火災かと煙を下に辿ると、思った通り、森からチラホラと赤い火の手が上がっているのが確認出来た。


「火事、ですか?」

 望遠鏡を覗きながら、少し落ち着き始めた呼吸の中で、そう問う。


「もう少し上だ」

 法皇様は肯定せずに、上だと示す。

 それで煙を伝う様に望遠鏡をゆっくりと上へと上げてゆく。


 ある程度上げたところで、広がる煙の隙間に黒い物が映り込んだ。空の青と煙の白の中にあって不自然に映る黒色。大きい様だが煙が広がり過ぎて良く見えない。

 一度、目元から望遠鏡を外して肉眼で全体像を見てみる。

 うっすらと広がる煙の背後に霞む様に大きな黒い何かの輪郭か映った。


 もう一度望遠鏡を覗き、黒い何かに視線を滑らせるように観察する。


 不意に、煙の切れ間に映り込んだ目と、私の目が合った。


 驚き、慌てて望遠鏡を目元から離す。


「……目――があります」

 口にした自分でも信じられないといった口調で呟く。


「そうじゃ。何らかの意思ある生物が森を焼きながらネウロに近付いて来ておる」


「なっ……せい…………。――何が」

 法皇様の言葉がにわかには信じられず、頭の中で無意味に反響する。

 生物? ここから見た限りの目測でも100メートル近くありそうなあれが生物?

 しかも、それがネウロに向かっているなど……。


「既に聖騎士は向かわせておる。街にいる腕の立つ者にも声を掛けておるし、人民への避難勧告も為されておる状況じゃが……」

 別の法皇様が告げる。


「ですが、あれ程の巨大な物に、ましてあんな空高くにいる者をどうにか出来るのですか?」

 司祭様の1人が問う。


「有効かいなかなど悩んでいる暇はありますまい! 有効打を探すと言う意味でも、今はとにかく何でも試すべきです。このままではアレがネウロ上空に到達するのも時間の問題ですぞ!」


「ふむ。魔術師達にもアレの正体を調べ、対処法を探る様にして貰っておる。間に合えば良いのじゃが……。いや、間に合って貰わねば困る」


 法皇様方や司教様方がそんな話をしている時だった。


 黒い何かが煙を割って、その姿の全体像を映し出した。


「なんと異様な……」

 誰かがそう言った。


 黒い何かは、楕円形をした巨大な黒い塊であった。

 塊、その中央。血走った目が、ギョロギョロと小刻みに揺れており、楕円形の体の四方八方からは触手の様な物が無数に生えていた。

 見ているだけで嫌悪感を覚える異形。


 その異形の姿をした怪物に恐々としていると、目玉が赤く光り始めた。


「またアレが来るぞ!」

「気を付けよ!」

 バルコニーが騒がしくなる。


 それとほぼ同時、異形の怪物の目から黒い線の様が下から上へ。地上から空へと走る様に放たれた。


 黒い線は地上の森を大きく穿ち、その先にあるネウロの街をも穿とうとするが、ネウロを包む様に張り巡らされたドーム状の結界がそれを阻んだ。


「おお!」

 様子を見ていた内の数名が感嘆の声をあげる。

 今の、異形の怪物から放たれた攻撃は確かに結界により防ぐ事が出来た。

 しかし、今の一発で結界に僅かな亀裂を生じさせた。

 過去、竜の大群すらも退けたとされる神都ネウロ自慢の大結界。

 大聖堂の地下。幾重にも厳重に閉ざされた扉の奥に安置されている神から賜ったと謂れのある巨大な白水晶に、何十人もの魔術師が魔力を籠める事で神の御技を顕著出来るのだそうだ。

 

 だが、そんな神具でさえ、ただの一撃で亀裂が走り、いつまで持つのか分からない。

 これはつまり、あの異形の化け物が神にもその牙が届くだけの力を有しているという事に他ならないのではないか?


 背筋が冷えていくのを感じた。


 そうやって、こちらがなすすべなく呆然としている間にも、霞がかった怪物の体が徐々にその体の黒を増していく。ゆっくりと、しかし確実に近付いて来る。


 怪物が、私が来てから二発目となる黒い線を放つ。

 距離が近いせいか、僅かに森を燃やした線は、その大部分をもって結界を穿った。

 大結界が悲鳴を上げる。

 大きな亀裂が怪物と大聖堂を結ぶ様に真っ直ぐ伸びていた。


 二発の線を放った怪物が、ネウロに近付くと共に高度を落とし始めた。

 そうして、ネウロの目と鼻の先までやって来た怪物は、無数の触手をネウロに向けて伸ばし始めた。

 大結界がそれを阻む。

 怪物と大結界の持久戦が始まった。先の二回を見る限り、大結界の部が悪いと感じる。

 いつまで持つか……。

 地上に近付いた事で、先程よりは幾分か討伐しやすくはなった筈である。有効打があるかは分からない。しかし、それでも大結界が破壊される前に怪物を――


 ふと、街の方を見た。

 ネウロの一番端。怪物に最も近い場所。


 ――絶句する。

 この方角、は――。


 それを認識した途端、体中の毛が逆立ち、恐怖が心を蹂躙する。


 居ても立ってもいられなくなり、ほぼ無意識に私は駆け出し、天楼の間から地上へと続く階段を走った。


 うっすらと涙で視界が滲み始めた為か、何度か転びそうになった。

 それでも私は駆けていく。


 私を急かすかの様にいまだ鐘の音が鳴り続ける。

 うるさい筈の鐘の音が不思議と耳へと届かなくなった中で、私は孤児院に向けて走り続けた。

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