薔薇の花束を
陽光は、とうの昔に沈みきり、白を追い越し、赤を抜き去り、今や黒が支配する時刻であった。
大聖堂の自室にて、マリアは深く深く溜め息をついた。
今年は散々な誕生日だった、と。
散々どころではない。神都に住まう沢山の人々の命が危険に晒された。
誰に文句をつければ良いのかと悩んだ。
悩んだマリアの頭の中に、魔王スノーディアの憎たらしい顔が浮かび上がる。
八つ当たりの相手ならコレしかいまい。
助けて貰ったという念もあるが、確か貸し借りは無しの筈だ。ふっふっふっ、さてどう苛めてやろうか、と考えた時に、胸に何かがつっかえた。
なんだろうかとマリアが思案する。
何か聞きたい事があった?
ん~、讚美歌について、は確かにちょっと気になるけれど、それではない。
言いたい事とか?
――あ、そうか。お礼を言ってない。
なるほどコレかと喜びかけたマリアであったが、ふと、待てよ? と首を捻る。
いや、でもどうなのでしょう? 貸し借りは無しなのだからお礼を言うのは変なのかな? 私も言われてないし……。でもやっぱり人としてちゃんとお礼は言うべきだよね?
お礼を言うのが正しい事だと、マリアは思いつつも――
――でも、アレだし……。
と、件の魔王の性格を考慮し、悩む。
悩んで、マリアは結局、
――アレだし。という結論を導き出した。ようするに、魔王への対応など雑な位で丁度良いとマリアは考えたのである。
ん~、お礼は言うとしても、このつっかえている物とは少し違う気がする。なんでしょうか?
そうやって、しばらく胸のモヤモヤの正体を頭の中で探索するマリアだが、結局、すぐに答えは出て来なかった。
忘れてしまうくらいならば、大した事でもなかったのだろう。顔を見たら思い出すだろう。
そうマリアは考え、つっかえたまま放って置く事にした。
放置する事で、思考の中に多少の違和感が残ったままになるものの、何か別の事でもしていれば紛れて気にもならなくなるだろうと、マリアは、魔王へのお礼の言葉についてに思考を持って行く事にした。
「ありがとう」
声に出してお礼の言葉を述べてみるマリア。
――普通です。
うん。普通で良いのだろうけど、人の生死がかかった出来事のお礼としては軽過ぎる。
やっぱり、もう少し言葉を足すべきでしょうね。
しばらくの間、マリアはベッドの上で座り込み、どういう言葉を足すべきかを思案した。
「ありがとう。助かりました」
思いついたものをとりあえず口にする。
――普通だ。単純に事実を述べているだけの様な気がする。
もう少し真剣味のある言葉が良いのかも?
また少しだけ考える。
「本当にありがとう。本当に助かりました」
――何かしつこくないかな? 本当に本当に、で逆になんだか嘘っぽい。何故?
もしかして、少し偉そうなのがいけないのでは無いのでしょうか?
偉そうだし、語呂が気にいらないと、マリアは再度考える。
「本当にありがとうございます」
――うんうん。中々に良くなった気がします。
だけど、これだけだと何に対してのありがとうございますなのか分からないかもしれない。
――うん? そんな事も無い? でもあの魔王の事だから、しらばっくれる可能性もある。そういう面倒臭い性格だもの、あの魔王は。
頭の中で魔王の姿を描き、頭の中の魔王を動かしてみるマリア。
納得がいったのか、小さく二度、首を縦に振る。
――例えばこうだ。
「おいおい、聖女ちゃん。僕はお礼を言われる事をした覚えはないぜ?」
――言いそうだ。あの魔王なら言いそうだ。
やっぱり、こう来る可能性がある以上は、何に対してのお礼なのか言葉の中に混ぜるべきですね。
「孤児院を救ってくれて、本当にありがとうございます」
――うん。簡潔で中々良いと思いますね。
あれ? でもちょっと待って……。
これではまるで孤児院の人だけを助けて貰った様に聞こえます?
実際は、孤児院だけでなく、神都ネウロを救ったのだからこれではおかしいんじゃないかな?
という事は――
「ネウロを救って頂き、本当にありがとうございます」
――よし。これなら簡潔だし、しっかりありがとうが伝わるんじゃないだろうか?
うんうん。これで決まりですね。
後は本人にちゃんと伝えるだけです。
マリアは満足そうに深く頷いて、次の思考に移った。
そうするとですね――そうするとどうなる?
私がお礼を言ったのだから、当然向こうも歌った事へのお礼を言ってくる――のか?
んん~? あれが素直にお礼を言うところが想像出来ない。
そもそも、今までにあれがお礼を言って事があっただろうか? それ以前に、私は何かお礼言われる様な事をした事があっただろうか?
ベッドに座ったまま、枕を両腕に抱えたマリアが困惑する様に唸りながらも思考を継続する。
――無い……気がする。分からない。
ありがとう。ありがとう! ありがとう?
「ありがとう聖女ちゃん」
――ん~、音にすると言ってた様な気がしないでもないけどぉ……。ん~~。
そもそも私が、魔王に感謝される様な事をしたのかが疑問だぁ。
あったかな~。無い様な気がするんだな~これが。
ん~。まず、薔薇の花束を床に叩きつけたでしょ。それから、熱々の紅茶を顔にかけた事もあったよね?
紅茶を飲んで~……。 ――ごちそうさま?
違うね? それは私の台詞だね?
そう言えば、ひっぱたいた事もあったっけ?
でもあれは、突然隣に現れた向こうが悪いよね?
あ、良く考えたら二回だ。二回もひっぱたいた。初対面の時に。
でもあれも、向こうが悪いよね? ――うん。一回目は絶対向こうが悪いけど…………、二回目は微妙~かな~?
あれは部屋に入れないという意地悪をした私にも非があるような~……。
―――いや、そもそもは、魔王が勝手に部屋に入って来るから注意したんだった。そうです。私は悪くないんです。
あ~、でもその後ちゃんとドアをノックして入室の許可を取ってたよね~。それを私が意地悪して入れなかったんだ~。あ~、やっぱり私にも非がありますよね~。
そう言えば、孤児院でも魔王を怒鳴りつけた事がありましたっけ~。しかも、理不尽な事で。
あの時は、別に何をした訳でも無いのに、かなりキツイ事を言った覚えがあります。
なんなら、殺そうと聖騎士に襲わせた事すらありましたね。嫌な思い出です。
嫌な記憶を思い出し、それを振り払う様に抱えた枕に顔を埋めたマリアだが、数秒後、何かを思ったのかハッとした表情で顔を上げた。
――あれ? 私ってもしかしてかなり嫌な奴なのでは?
プレゼントを無下にするわ、紅茶ぶっかけるわ、頬をひっぱたくわ、大声で怒鳴るわ、挙げ句殺そうとするわで、もしかしなくてもかなり嫌な奴なのでは?
仮にも聖女が、性悪過ぎる態度で接し過ぎている気がします。と言うか確実に接し過ぎです。駄目です。駄目駄目です。
ぶんぶんと顔を振る様は犬のようであった。
変更! さっきの言葉変更です!
お礼よりも先に謝るのが筋です。絶対そうです。
と、なると……。どう謝るべきか……。
「ごめんなさい」
――うん。絶対、何が? ってなるよね。
「辛く当たり過ぎました。ごめんなさい」
――うん……。やっぱり、何が? ってなる気がします。
そもそもです。謝るタイミングが遅過ぎるんですよね。
いつの話だって話ですよ。
でもですよ?
今まで特に何も言って来なかったし、むしろ、恥ずかしげもなく好意を寄せて来るところを鑑みるに、もしかしてあまり気にしていないのでは?
案外その線は有り得るかも?
だとするど、――こうです。
「聖女ちゃんが構ってくれるなら、僕としてもやぶさかではないし、そう気にする必要はないぜ?」
頭の中の魔王をそのまま引っ張り出すかの様に魔王の真似をするマリア。
声こそ全く違うが、口調は魔王そのものであった。
それゆえか、マリアは満足げに微笑み、首を大きく縦に振った。
――うんうん。言いそうです。
やぶさかと使うのがポイントですね。一気に本人に似てきます。
アレの口癖を網羅するならば、あとは、語尾に付けるたまえ言葉でしょうか?
「聖女ちゃん、そう堅くならず楽にしたまえよ?」
気だるげな表情と、これまた気だるげに掲げた右手の仕草。魔王ならばこうするだろうていう動き。
――こんな感じですね。思ったのですが、やたらと疑問系なのもポイントのひとつかもしれませんね。
そう言えば、歓迎するよ? も疑問符付きでしたね。これはあまり使わない言葉なのでちょっとレアですね。
レアと言えば、最近は使わなくなりましたね。例のアレ。
「教会は頭のおかしな奴らばっかりだぜ?」
小馬鹿にする様な口調で吐き出した。
――これ、使わなくなりましたね。私がからかったせいでしょうか? ちょっと残念ですね。
枕を抱え、口を半開きにしたまま、マリアは後ろに倒れる様にしてベッドへと仰向けに寝転がった。
そうして、寝転がったまま壁に取り付けた時計に顔を向ける。
――あ、もうすぐ日付が変わりそう。変わってしまう。今日はただでさえ疲れましたし、早く寝ないと明日に疲れが残りそう。
そんな事を考えながら、マリアが大きく息を吐く。
そうして、そのまま枕を顔まで引き寄せて、柔らかい感触を味わいながら顔を枕へと埋めた。
誕生日もおしまいですね。改めてよろしく、19歳の私。
それにしても――は~。あと一年か~……。
何だか、ちょっと不安になってきました。
来年の今日、世界はどうなっているのでしょう?
あの魔王は、本当に世界を破滅させるつもりなのでしょうか?
私が知っている魔王は、実を言えば、そんな事をする様には見えない。けれど、彼は約束を守る。そこに妙なこだわりがある様に見える。
実際のところ、彼はどうするつもりなのだろうか……。
明日、会った時にでも、聞いてみたら答えてくれるでしょうか?
いや――その前に謝罪? ――あとお礼も。 ――駄目だ。まぶたが重くなって来た――。
あれ? このにおい……どこから――。
ああ――分かった。紅茶だ。今日は紅茶を飲んでないんだった。なんかスッキリしたけど、口寂しい気もする。
今日は魔王も大変だったし――忘れてたかな――。
良いにおい。
埋めていた枕が顔から力なくポテッと転がり、剥がれる。
そうして、マリアは眠りについた。
部屋の中には、ほのかに甘い紅茶の香りと、マリアの小さな寝息がやけに大きく広かった。
☆
紅茶の入ったカップを傾けながら、部屋の奥、窓際にある椅子へと腰かけるスノーディア。
スノーディアは、不思議な物でも見た気がして、小さく息をつき、眠りについた少女の寝顔を静かに眺めた。
この子は一人で何をやっていたんだろう?
お茶に誘おうかと静かに部屋へとやって来たら、聖女ちゃんが、ベッドの上にちょこんと座り、何やらうんうんと唸っていた。
初めて見る種類の聖女ちゃんの様子に、僕の胸中には興味の波が押し寄せた。押し寄せまくった。
位置的に、僕は聖女ちゃんの背後に居た訳だが、彼女は思考に没頭しているせいか、僕がやって来た事に気付いた様子ではなかった。
聖女ちゃんの部屋が無駄に広過ぎるというのも原因のひとつだろう。この部屋と、孤児院のメインフロアはほぼ同じ位の広さだと思う。
そんな訳で、広過ぎる聖女ちゃんの部屋の片隅にて、面白そうだからと気付かれるまで静かに見ていたのだが、一人言に、物真似にと、見ていて何度吹き出しそうになったか分からない。
聖女ちゃんからの怒涛のボディーブローを、とにかくひたすらに耐え凌いだ。油断すると一撃必中の致命傷になりかねない技の数々。笑いは勿論、うんうんと唸りながら1人でぶつぶつと呟いたり、笑ったり、怒ったりする聖女ちゃんがとてつもなく可愛いらしかった。
思わず我慢出来ずに抱き締めに行こうかと思った程に。
そんな死物狂いの頑張りもあって、とりあえず分かったのは、どうやら聖女ちゃんが僕にお礼を言おうとしている事と、謝罪をしようとしている事。後半は僕の物真似大会だったので、意図が不明。誕生日の隠し芸かもしれない。だとしたら大成功だと思うぜ?
自分ではあまり気にした事がない自身の口調や口癖を、聖女ちゃんを通して見るのは面白かった。
後ろから見るに口調だけでなく仕草も真似ていたので、あの分だと表情も真似ているのだろう。見てみたかったが、流石に正面に回るとバレると思うので遠慮しておいた。
小さな寝息に耳を傾けながら、思考を切り替える。
聖女ちゃんも真似て言っていたが、僕はお礼も謝罪も特に求めてはいない。
と言うより、勝手につきまとっている僕の事をそんなに気にする必要もないだろうに。
損な性格なのではと心配になったスノーディアは、つい不快げに眉根を寄せた。口元だけは、しょうがないなと小さく笑って。
そうしてから、急に馬鹿らしくなったスノーディアが自傷気味に笑う。
心配か――。世界を破滅させようとする奴の考える事じゃないぜ?
大体、聖女ちゃんも聖女ちゃんだぜ。
理解しがたいと首を僅かに傾げて笑い、スノーディアは向けていたマリアの寝顔から視線を外す。
いつかの言葉が頭の中で反響する。細く、小さい、しゃがれた老婆の様な声。
――人は不幸になって初めて幸せの色を知るのです。
――人は幸せになって初めて不幸の重さに気付くのです。
――だから、あなたの幸せはこれからです。これから輝きを増すのです。
吟遊詩人すらも、その数奇な運命と、苛烈な生き様、底知れぬ空虚な結末に、詠う事を躊躇せざるを得なかった物語。
誰も知らない、忘れさられてしまった行方知れずの物語。
魔王が、自分の手で口元を覆い、僅かに視線をさ迷わせた。
それから、一度、深く長く息を吐き出す。
懐かしくて涙が出そうだよ。
顔は全然違うけど……漂う雰囲気はあの頃のままだ。
最早手の届かない、だけど手の届くところで悪戯っぽく笑う。
しっかりしてるけど、どこか子供っぽくて、少し怒りっぽくて、紅茶が好きで――。
「……ん」
不意に、眠るマリアが寝返りをうった。
そこで魔王は、自分が無意識の内に聖女のベッドに寄り掛かっているのに気がついた。寝返りをうったマリアの頬に知らず知らず指が触れていた。そんな距離。
おっとっと、危ない危ない。
猿じゃあるまいし。
――残念だね、健全健康優良児諸君。このお話に過度な描写は含まれてないんだぜ? 期待するだけ無駄と言うものだよ。
本当なら、紅茶を飲みながらゆっくり話をしたかったけど。しょうがない。面白いモノを見たいという好奇心に負けた僕の自業自得だ。
危ない狼君は、ここらで退散しておくとしよう。
――気付いていないので仕方ないとはいえ、ちょっと無防備過ぎるぜ聖女ちゃん。
考え事をしながら寝てしまった為か、まともに毛布も掛けずに眠るマリア。オマケに、先程変な寝相をうった為か、服がはだけていつもより露出が高く、目に眩しいけど、心臓に悪い。誓って言うが、僕の仕業ではない。
そんなマリアに、スノーディアが静かに毛布を掛け直した。
それからスノーディアは、棚に置かれていた仕事をしていない花瓶を手に取ると、それをテーブルの上に静かに置いて、サボりがちな花瓶に仕事を与えた。仕事内容は薔薇の花束を掲げておく事。スノーディアは賃金の代わりに水を与えたおいた。
「誕生日おめでとう、マリア」
お預けになってしまっていた祝いの言葉を発して、マリアを見る。
誰も知らない優しい眼差しの魔王がそこにいた。
来年も一緒に――
マリアを見ていて思わずそう言いかけ、僅かに動いた魔王の唇が、言葉を発する事なく堅く結ばれる。
出来ない約束はしない方がいい。
そうして、宝物を置いていく様な感情のまま、スノーディアはマリアの部屋を後にした。
置いていくだけ。見失った訳じゃない。
そう自分に言い聞かせながら。
これにて一章完結です。
二章開始はしばらく先になります。




