第十一話『ビヨンド』
イヴァンはデチャンスに続き、野営地を歩いていた。
野営地はとても慌ただしい様子だった。自分が逃げたせいなのか? 、とイヴァンは直感したが、それよりも飛び交う英語で鎮静剤の影響ではない軽い頭痛を覚えていた。
英語がわからないイヴァンがアメリカに憧れていた、というのも妙な話ではあるが、イヴァンがアメリカに向けている感情は手を伸ばしたって取れない憧れでもあったのだ。
野営地の米陸軍兵の装備は全て最新式のものだ。下手すれば政府軍兵以上にバッチリ決まっていた。行き来する米兵はM4カービンを手に持ち、格好いい迷彩服を着、防弾ジャケットを羽織り、脚部・ホルスターからはシグだのグロックだの、最新式のハンドガンが見えている。イヴァンはこんなにも最新式の装備は画像でしか見たことがなかった。
一番奇怪な光景といえば、時おり米兵に鳥が羽を広げたような形をした、人の半身くらいの大きさの機械が追従していることだ。あれもデチャンスの言う無人兵器とやらなのか。
「着いたぞ」
デチャンスの一言でイヴァンは我に返った。黒緑色のテントの前に二人はいる。テントの出入口についてあるタグには『De Chance』と書かれていた。
デチャンスがテントのファスナーを開け、中に入る。イヴァンもその後に続いた。
テントの中は意外にも散らかっていた。いや、物は整理されてはいたが、それが多くて、足の踏み場はあまりなかった。中にある物はどっさりと積まれたダンボール、テーブルに二人分のパイプ椅子、テーブルの上には歯ブラシと歯磨き粉、髭剃り、『American Spirit』と書かれた煙草のパッケージとジッポのオイルライター、そして何より目を引いたのは娘らしき四、五歳の少女を抱きかかえて笑っているデチャンスの写真だ。満面の笑顔だった。
イヴァンはその写真が収めてあるフォトスタンドを手に取り、見る。目の前に居るやつれた感じのデチャンスとは大違いの表情だ。
「勝手に触んなよ」
「すみません」
デチャンスが咎めると慌てて写真を机の上に置いた。
「さてと、飲み物だ。コーヒーか? 紅茶か? チョコレート? インスタントしかないが色々あるぞ」
「チョコレートで」
「はは、子供舌か?」
デチャンスは嬉しそうに笑うと、電子ケトルのスイッチを押し、お湯を沸かし始めた。
イヴァンは居心地が悪かった。自分はなんで、敵同士として戦った相手とお茶を飲もうとしているのだろうか。そもそも政府軍に協力したであろうアメリカの犬相手にこんなに落ち着いていられるのは妙な気分だった。
「あ、あの……」
「どうした?」
デチャンスが片眉を上げ先を促す。
「どうして僕の名を?」
イヴァンは一番疑問に思ってたことを聞いた。
「政府の国民データベースに君の名が登録されていたからさ。経歴も過去も全て知っている。辛い経験をしたな……」
デチャンスは同情のまなざしでそう言った。
イヴァンは街を燃やされたあの夜以来、そのことを思い出すだけで激しい怒りが全身を駆け巡るようになっていた。政府軍兵士を殺す時も、あえてその夜のことを思い出し、怒りを増幅させそれを戦いの原動力にするほどだ。
しかし今、デチャンスからそう言われても不思議と落ち着いていられた。
「奇妙だ。あの夜のことを思い出しても、怒れないなんて……。先ほど言っていた鎮静剤のせいですか?」
イヴァンは次にそう聞いた。
「ああ、CIAの特殊研究機関が製造している強力なやつな。怒りや憎しみと言った負の感情を抑え、回想による狂乱もできなくなっている」
「すごいんですね、アメリカは」
先刻のモナ・リザと言い、鳥型の追従マシンと言い、イヴァンの憧れていた国はとんでもない技術を持っていたらしい。
カチッと音がし、ケトルの湯が沸いた。デチャンスはケトルを持ち、二人分のマグカップに湯を注ぐ。
「すごいのは君の方だよイヴァン。ナイフ一本で敵陣に突っ込み、殲滅しているんだからな」
湯を注いだデチャンスは、マグカップとバタークッキーとなにかをトレイに乗せると、イヴァンの所に向かった。
「お茶をするのになんで突っ立ってんだ? 座れよ」
イヴァンは言われたとおりにテーブルの椅子を引き、腰を掛けた。
デチャンスはトレイをテーブルに置くと、自分も腰を下ろした。トレイの上にあったものは二人分のマグカップとお菓子と、それと――
「僕のナイフ……?」
「あぁ、そうさ」
刃を出してないカランビットナイフがそこにあった。
「返すよ、君のだ」
デチャンスは自分の分のコーヒーを啜りながら言った。
イヴァンはおそるおそる、ナイフを手に取ると刃を出した。血はしっかりと拭われていて、新品同然に輝いている。
「なんでそんなエモノで政府軍を殺し回ってんだ?」
デチャンスはクッキーをつまみながら聞く。
「その方が奴らに苦痛を与えられると思ったからです。刃物は攻撃する所次第で、想像を絶する苦痛を与えることが出来ます。万能なんですよ」
なるほどな、とデチャンスは相槌を打った。イヴァンと出会ったあの晩、あえて急所を外していた戦法と合致する答えだ。
「政府軍が憎いか?」
「はい、今でも落ち着いていられません」
イヴァンはぎゅっと膝の上の両手を拳で固めながら言った。
デチャンスはテーブルの上にある煙草の紙箱を指差すと、二本の指を口元に持っていきそれから放す素振りを見せた。煙草を吸ってもいいか、と言うジャスチャーだと理解したイヴァンは頷く。
カシャン、とジッポの蓋をあける金属音がテントの中に響き、それから煙が上がる。
「……しかしそれは難しいと思うぞ」
「何がです?」
イヴァンはチョコレートを一口飲みながら聞いた。
「政府軍を一人残らず殲滅するって考えだ。奴らだって馬鹿ではない。いずれは対抗手段を見つけられ、君は戦場で殺されるか、あるいは捕らえられ処刑されるかだろう」
イヴァンは沈黙した。確かにそうかも知れない。
「それに、あの夜の惨事は政府軍だけが自発的にやったのではない」
「なんだって……」
イヴァンはぎょっとした。
デチャンスは懐から折りたたまれた紙を取り出し、イヴァンに差し出す。
そこには残忍な顔立ちをした三十代くらいの男の顔写真と、そいつのプロファイルが英語で載っていた。
「ロックフォード社の御曹司、スタンリー・ロックフォードだ。ロックフォード社のことは知ってるか?」
「えぇ、まぁ……」
ロックフォード社……。世界最大の軍需産業の一つで、兵器の開発から日常必需品の製造まで、様々な分野で名を轟かせている巨大企業だ。
「このロックフォードは結構なクセモノでな、色々な国の紛争に介入してきては好き勝手に引っ掻き回すのが趣味らしい」
イヴァンはふつふつと怒りの炎が足の爪先から頭にまで上がってくるのを感じた。なんだそれは? そんな下劣なお遊びの為に自分の家族を含む街の人々は犠牲になったとでも言うのか?
「元々政府軍上層部はロックフォード社の言いなりになっていたと言う情報もあった。あの街が……あんな事になったのもある意味必然的だったのかも知れんな」
デチャンスはそう言い、半分まで吸った紙巻煙草を灰皿で擦り消した。
「それでも……」
下を向いたイヴァンが震える声で言う。デチャンスはイヴァンをじっと見た。
「それでも、僕は政府軍を許しません。そのロックフォードとかいう奴も。誰一人として」
デチャンスはもう一度、コーヒーを口に運んだ。
暫しの沈黙が流れ、そして、
「よかろう、君もまだ普通の人間だったってことだな。人間兵器の検査も陰性だったわけだ」
デチャンスはカマをかけた。
「なんです? 人間兵器って……」
案の定イヴァンは食いついてくる。
「いや、知らないならいいんだ」
「濁さないで下さい」
イヴァンの目の色が変わった。
デチャンスはやれやれと頭を掻くと、
「ナチの呪われし研究の成果だ。強化手術や洗脳暗示、薬物投与などにより通常の人間にはありえない動きができたり、戦闘相手の動きを予知できたりする、文字通り人間の兵器だ。しかしその代償に人間としての理性を失ったり、感情が欠落したり、酷い場合は会話もかわせないほど精神が壊れたり、……まぁそういう副作用もあるってことだ」
デチャンスはコーヒーを一口呷った。
「人間兵器の造り方は闇市場に多く出回っている。私はその人間兵器を調査するためにここに来た。政府軍の協力を経て、な」
『政府軍の協力を』と言う言葉を聞いた途端、イヴァンが歯ぎしりをしたがデチャンスは無視して続けた。
「現在、国際法で禁止されている人間兵器は世界中の紛争地帯で投入されて問題となっている。正直、君がそうじゃなかったにしてもこの国で使われていてもおかしくないはずだ。……なにか知っていることは? イヴァン」
「ありません。レジスタンスでは僕は下っ端でしたので」
イヴァンは毅然とした態度で答えた。
「……そうか。では本題に入ろう」
本題? とイヴァンは聞き返した。今までの話よりも重要な事があるのか、とでも言いたげだ。
次の瞬間、デチャンスの口から飛び出した提案はイヴァンの予想を遥かに超えるものだった。




