第十二話『エクリプス』
シティ迷彩を施したハンヴィーは簡易住宅が並んでいるエリアに向かっていた。運転席と助手席には米軍兵士が座っており、後部座席にはイヴァンが窓に手をつけて外の景色を眺めている。
ハンヴィーは家を失った難民が集まるキャンプへと向かっていた。あの晩、家と街を失ったイヴァンの街の住民もここでテントを張って暮らしていた。街を燃やされてレジスタンス活動に懲りた元反政府軍兵士も、ここを拠点に職探しをはじめている。フリストもその一人だったが、イヴァンが悪霊となってからは彼とのコンタクトを取ることができずにいた。
車が停まった。
「着いたぜ、ガキ。ほら、さっさと降りろ。なんで俺らがてめぇのタクシーにまでならにゃいかんのだ」
イヴァンが車に乗ってから明らかに不機嫌そうな態度をとっていたドライバーがバックミラー越しにイヴァンを睨みつつ言った。
「わざわざごめんなさい。ありがとうございました」
イヴァンが素直に礼を言うと車を降りた。ドアを閉めた途端ハンヴィーは急発進して、イヴァンは土と砂埃塗れになる羽目となった。
「野郎どもが!」
イヴァンは声を張り上げたが、ハンヴィーの車の音とそれを転がしていく米兵の馬鹿笑いにかき消された。
「何事かね?」
すぐ手前にあるテントから中年さしかかりの男が出てくる。イヴァンの知らない男だった。
「あ、いえ……」
イヴァンは返答に詰まった。今まで、政府軍と共謀したアメリカの諜報員に投薬され情報を聞き出されたとは口が裂けても言えなかった。
もっとも、イヴァンが与えた情報は大したものでもなかったが。
「あんまり騒ぎは起こさんようにな」
中年の男はそう言うと、テントに引っ込んだ。
イヴァンは溜息をひとつつくと、フリストが居るという地域に向かった。
キャンプはひどい有様であった。あちこちツギハギだらけの服を着てる者が殆どで、ドラム缶で火をおこして暖を取る者や、べちょべちょな粥を食べてる者もいた。
イヴァンはフリストが住んでいるという地域にたどり着いた。フリストはテントの外で初老の男ともめていた。
「なぜです!? 僕だってあれくらいの仕事くらい出来ますよ!」
「駄目だな、お前は未熟者の役立たずだ。そんな奴を雇う理由も意味もこちらにはない」
「貴様……」
イヴァンは声をかけようかどうか迷ったが、意を決してフリストの名を呼んだ。
「イヴァン……?」
フリストはバツが悪そうに視線を逸らすと、初老の男に向き直った。
「もういいですよ。そっちはそっちで勝手にやっていて下さい」
初老の男はふん、と嘲笑するとキャンプを出て行った。
フリストは改めてイヴァンの方に向き直った。
「イヴァン、おっ死んじまったかと思ってたぜ!」
「うん、今の今まで死にかけてたよ。大変そうだね、就活」
イヴァンは普段通りにフリストに接することが出来た。
「ああ、まぁな。俺は頭が良くねぇからな。……イヴァン、今時間あるか?」
「いいよ、僕も今は何もしてないから」
イヴァンは微笑しながら言う。
「ん、ありがとう。と言っても車は売っちまったから遠くへは行けないけれどな。今まで何をしていたかじっくり話したい」
※
イヴァンとフリストはキャンプから遠く離れた森の方に向かっていた。
昔はあの森の中でイリーナと一緒に隠れんぼをしてたな、とイヴァンは感慨にふけた。そしてもうイリーナと隠れんぼする日は二度と来ない。
「それで実際問題何があったんだ?」
森に入った所でフリストはそう尋ねた。
「捕まってたよ。よくわからない薬が入った注射器を首にぶっ刺されて、尋問されていた」
「捕まったって……、まさか政府軍にか?」
フリストはぎょっとした様子で聞いた。
「もっとタチの悪い連中にだよ。何だと思う? CIAさ」
「CIAだぁ? なんでアメリカが絡んでくるんだよ?」
フリストは素っ頓狂な声をあげた。
「僕を人間兵器と勘違いしたらしい」
「人間……兵器……? なんだよそれ」
イヴァンは顔をしかめた。余計なことを言ってしまったようだ。
「まぁそれについてはお前は知らなくていいよ。問題はこれからだ」
フリストは固唾を呑んだ。
イヴァンは息をひとつ吸うと、
「そのCIAの男にクーデターに協力すると言われたよ」
それを聞いた途端フリストは笑い出した。
「おいおい、その投与された薬は危ない薬じゃなかったのか? イヴァン」
イヴァンもつられて笑い出し、
「うん、そうだと思う。ぶっちゃけ言って僕にも何が何だか……」
「ま、何にしろ、あんまり深く考えずに直感に従ったほうがいいぜ。俺にとっちゃあ、もうレジスタンスだとか石油問題だとかどうでもいいんだから」
イヴァンは意外に思った。フリストも故郷の街をなくした。母親が生きてるとはいえ、過酷で壮絶な生活を強いられたのだ。なのに、政府への執着をあっさり捨てたのはなぜだろう。
「フリストはさ、政府軍が憎くないの?」
「それはそうだよ。腐るほど馴染んだ街を突然燃やされたら、誰だって『政府軍の奴ら! 惨たらしく殺してやる!』って思うだろうさ。俺だって同じさ。でも今はお袋を養うのに精一杯だ。そして俺はこうして生きている。ただでさえ貧しい生活が更に貧しくなったが、今、こうして生きているんだ。もうそれでいいじゃないか。過去や未来のことなんて、もうどうでも良くなったよ。ただし、今を全力で生きる。その過程で誰かが、例えば死んだりしても、それはそれで『今』を生きるのに生じた必然なんだろうよ」
「ふぅん」
イヴァンは相槌を打ったものの、フリストの言ってる意味がよくわからなかった。きっとフリストにはフリストにしか見えない世界があるんだろう、と思った。
どこかで野生の犬が遠吠えしていた。
「そう言えばヴェルーチェの奴、どこに行ったんだろうな?」
イヴァンは飼い犬の事を口にした。街が燃やされたあの晩、火屋と化した家にヴェルの死体はなかった。家族の一員だった犬のことを復讐心のあまり忘れていた自分を、イヴァンは呪った。
「さぁ? でもアイツの事だからきっと残飯でも食べて上手くやっていってるさ」
イヴァンは沈黙を返事にした。フリストは横目でチラッとイヴァンを一瞥しつつ、
「心配なのはわかるが、大丈夫さイヴァン。犬の生命力を舐めちゃいけないぜ。知ってるか? 南極で犬が遭難した話」
「なんだよ、それ」
「昔のノンフィクションの日本映画さ。南極に遭難したタロとジロっつー二匹の犬が――」
イヴァンはフリストの映画の話を聞き流しつつ、正面を見据えた。
その時、黒い影がイヴァンとフリストの目の前を通り過ぎた。
イヴァンにははっきりわかった。あれはヴェルだと。
「今の見たか?」
イヴァンがフリストに問う。
「ん? 今のって?」
フリストはイヴァンの方を見て話していたため、今の影を見逃してしまったらしい。
イヴァンは影の消えた方へ走りだした。
「おいイヴァン! お前まで遭難する気か?」
背後からフリストが叫ぶ声が聞こえたが、イヴァンは無視して走り続けた。
※
「ヴェル! おい、ヴェルーチェ!」
イヴァンはヴェルーチェの名を呼びながら森の中を走っていた。先刻のフリストの叫びが脳内を過ぎりもしたが、この森の中は昔、イヴァンとイリーナが隠れんぼによく使った場所でもあったのだ。
イヴァンの視線の先、遠くに黒い影が見える。
「ヴェル! 食べ物ならあるぞ! だから戻ってこい!」
言った瞬間、その黒い影が犬の形をしていないことに気がついた。
それは霧のように、遠くでモヤモヤと蠢いている。
その影は不意に立ち止まり、刹那、イヴァンのいる方向に猛烈な勢いで迫って来た。イヴァンの身体は瞬く間にその黒い影に包み込まれる。
「うわぁぁぁぁ!!」
イヴァンは悲鳴を上げて、影を振り落とそうとした。しかしその黒い影は、何度振り落としてもタールのようにイヴァンに張り付く。
「落ちろよ! この!」
イヴァンは必死に両手をジタバタさせるが、影は瞬く間に指、手の甲、腕、肩、喉元、そして口の中、イヴァンの全身はその影に呑まれた。
※
ここはどこだろう。
イヴァンは、愛おしく、そしてどこか懐かしさを感じる街の一角にいた。
先までの影に呑まれていた記憶は全て消し飛んでいる。
向かい側の肉屋からは肉を叩き切る小気味良い音が聞こえ、後ろのパン屋からはパンを焼く香ばしい匂いが漂っていた。
この街を自分は知っている。イヴァンは改めてそう直感した。何を隠そう、この街はイヴァンのホームグラウンドだった地域なのだ。
そこでようやくイヴァンは、その街は政府軍に焼き払われ今はない事に気がついた。
「そうか、僕はたしかヴェルを追っていて……」
「そして私に呑まれた」
聞き親しんだ声が後ろに響きイヴァンは振り向く。
「イリーナ……?」
そこには微笑みを浮かべているイヴァンの妹がいた。
前に見た夢とは違う、俗っぽい雰囲気を身に纏ってなく、その微笑みは聖母のような慈愛に満ちていた。
「違うな……お前もイリーナじゃない……」
イヴァンは皮肉めいた笑みを漏らしつつ言った。
「『お前も』と言うことは、もう一人の私に既に会ってるんだよね?」
「驚いたよ、妹の形をした何かにいきなりキスされたんだからサキュバスかなんかかと思ったぜ」
イヴァンは街の一角から北に歩きだした。イリーナもそれに続く。
イリーナはクスっと笑いつつ、
「あれは私の思念体みたいなものだね。知ってるでしょ? 人間には正と負の感情がある。私が死んだ時にそのふたつの感情が分離し、この街、この国、この世界を駆けた……」
「じゃあ君は……」
イヴァンは歩を止め、イリーナに向き直る。
「私はイリーナの正の部分の残留思念だよ。できれば負の部分の私に会う前に、私に会って欲しかったけど……叶わなかったみたいだね」
「何が望みなんだ?」
「私はね、兄さん。兄さんに戦争を止め、別の生き方を探すようにして欲しいの。でも私はただ導くだけ……」
イリーナはイヴァンの手を取り、街角の出口に向かって歩み始めた。
「お、おい……」
「選択するのは、イヴァン。あなただよ」
街角を出ると、
「兄さん!」
と左の方から声が響いた。その方に向くと額に穴を開けた……負のイリーナがイヴァンに向かって手を降っていた。
イヴァンは負のイリーナを見、そして性の正のイリーナを見た。
両方とも自分と同じ青い瞳をしている。
「選択するのは僕……か。なあ、一つ聞かせてくれないか?」
「なぁに?」
イリーナは小首を傾げる。
「もし、いずれかの方向に進み、挫折し、迷ったら……、その時も僕を案内してくれるかい?」
「もちろん!」
イリーナは即答した。
その返事に満足したイヴァンはイリーナの首に手を回し、強く抱きしめた。
「ありがとな」
抱擁が終わると、イヴァンは左側の通路に向かって歩いた。
「私の……私達の魂はずっとイヴァンと共にある。そのことを忘れないで、兄さん」
「うん……」
「イヴァン! おいイヴァン!」
※
「イヴァン、起きろ!」
目を開けると必死にイヴァンを呼び起こすフリストの顔が目に入った。
前にもこんなことがあった気がしないでもないが、記憶があやふやであまり思い出せない。
「イヴァン……! 無事か?」
「あぁ……」
喉からかすれた声を出し、イヴァンは起き上がった。
「なんだ、普通に立ち上がれるじゃねぇか! 心配させんじゃねぇよ……」
イヴァンはフリストに向き直った。まるでつい今まで起きてたかのように、自然な体の動作であった。
「ヴェルはどうした?」
フリストが聞く。
「それが……」
イヴァンのその言葉は「ワン!」と言う元気な鳴き声に遮られた。
二人は声の方に振り向くとそこには一匹の黒いラブラドール・レトリヴァーが元気にこちらに向かって駆けてくる。
「ヴェル! なんだいるじゃねぇか!」
フリストはヴェルを抱きとめようと、両手を広げ身構えた。ヴェルがその中に入りこむ。フリストはヴェルの勢いの良さに、姿勢を崩した。
「おっと、お前こんなに重くなって……今までなに食ってたんだ?」
イヴァンは戯れ合うフリストとヴェルを見て決意を新たにする。
「なぁフリスト、僕、CIAのクーデターに協力するよ」
「なんでまた急に?」
フリストはヴェルの頭を勢い良く撫でながら言う。
「これ以上、政府軍の好き勝手は許さないからさ。そして――」
「そして?」
フリストは先を促す。
イヴァンは息を吸い込み、そして吐き次の一言を言った。
「僕、ひょっとしたらアメリカに行くかもしれない」




