尊い笑顔とある少女の悲しい記憶
ハンナが宰相閣下の部屋を整えるために離れると、廊下にはアベルと二人きりになった。
不意に、アベルが胸元から真っ白なハンカチを取り出し、私の手元に差し出した。
どうやらもらい泣きしそう、ではなく、もらい泣きしていたようだ。
「……ありがとう、アベル」
ハンカチを目に当てて、ついでに鼻まで噛んでしまった。
そんな私をアベルはどこまでも優しい慈しむような瞳で見つめていた。
きれいな青い瞳。
あまりに熱を帯びたその眼差しに吸い込まれそう…。
「アベル、鼻かんじゃった…ごめんね、洗って返すね…」
その瞳から逃れたくてそんなことを口走った。
「ふっ」
珍しい笑い声に驚いて顔を上げると、そこには、見たこともないほど甘く慈しむような笑顔があった。
(…っ、アベルの笑顔、初めて見た)
いつも無表情な男の笑顔の破壊力といったら!
これがほんとのギャップ萌えってやつね。
私の心臓にダイレクトアタックしてきて別な意味で殺傷力が高い。
胸の奥が締め付けられるように熱くなり、キュンどころかギュンッ!ですよ。
めったに笑わないキャラのその笑顔は尊い。
そして…ぱねぇ…
あまりの尊さに、拝み倒したくなる。
と同時に、頭の芯が痺れて、鼻の奥から温かい何かがツルリと流れ落ちる感覚があった。
笑顔から一転慌てたアベルが面白いと思ったが最後、そこから記憶がない。
あまりのダイレクトアタックにどうやら鼻血を出して尊死した模様…。
****
~ ? side ~
「……ああ、また。わたくしを、そんな目で見るのね」
王都の広場。
愛しくて、愛しくて、愛を請うたエルヴィン様が忌々しげに剣を構えている。
その背後には、彼に守られながら怯えた瞳で私を見つめるエリーゼ。
(違うの。わたくしは、ただ―)
叫びたい言葉は闇の衝動に飲み込まれて邪悪な笑声へと変換される。
誰かの手引きで得た魔王の力は、絶望を糧に膨れ上がり、自分の意思とは無関係に破壊の嵐を巻き起こした。
「アイリーン、お前はどこまで堕ちれば気が済むんだ! この化け物め!」
エルヴィン様の罵声がナイフのように胸を抉る。
愛していた彼からの冷酷な拒絶が引き金となり内側に潜む闇が暴発した。
振り下ろした黒い爪は一振りで城壁が崩れ、二振りで街並みが炎に包まれる。
「逃がさないよ、魔王。今、ここで終わらせてあげる」
「貴族としての矜持まで捨てて闇に取り込まれるなんて、みっともないな」
次に現れたのは、隣国の皇子リカルド様
そして幼馴染のフェリクスまでもが次々と攻撃を仕掛けてくる。
彼らまでもが殺意を隠そうともせずに私を追い詰めていく。
(やめて……フェリクス様、リカルド様。お願い、わたくしをそんな憎々しげな目で見ないで……!)
逃げようとすればするほど、私の魔力は周囲を破壊し逃げ惑う人々を焼き尽くしていく。
そこへ、静寂を切り裂くように清らかな光が降り注いだ。
「可哀想なアイリーン様。せめて最後は温かな光の中で眠ってください」
エリーゼだった。
彼女が祈りを捧げると、天空から目も眩むような黄金の輝きが降り注ぐ。
それは人々を癒やす慈愛の浄化魔術。
けれど、闇に染まったわたくしにとって、それは魂を焼き切る鋭い刃でしかなかった。
(ああ、皮肉ね……。貴女のその優しさが、わたくしを一番残酷に殺すのね)
エリーゼの慈悲深い微笑みと共に放たれた光の矢が私の胸を深く貫く。
エルヴィン様とリカルド様の魔法が逃げ場のないわたくしを四方から打ち据える。
フェリクス様の剣が容赦なく振り下ろされる。
わたくしの身体にまとわりついていた禍々しい闇が、聖なる光に焼かれて霧散していった。
痛みはない…。
ただ、圧倒的な拒絶が悲しい。
瓦礫の山に倒れ込み、わたくしは自分の手を見た。
そこには何千人もの命を奪った爛れた手だった。
(……ああ、そう。わたくし、誰にも愛してもらえなかったのね。…最後まで、独りぼっちだったんだわ)
魔王となったわたくしの身体は世界を恐怖で支配した。
けれど、その内側に閉じ込められた心はただ泣きじゃくる子供のように震えていた。
「……嫌われ……たくなかった……。ただ、みんなと一緒に、笑い合いたかっただけなのに……」
絶望の果てにわたくしの視界は真っ白な光の中に消えていく。
最期まで誰も手を差し伸べてはくれなかった。
わたくしは、世界から嫌われ、恐れられたまま、永遠の闇へと消えていった。
【作者からのお願い】
ここまでお読みいただきありがとうございます!
少しでも「面白い」「続きが気になる!」と思ってくださったら、ページ下部にある
【ブックマークに追加】と、その下にある【評価(★★★★★)】をぽちっと押して応援していただけると、執筆の物凄い励みになります!
どうぞよろしくお願いいたします!




