王都では③ ~sideエリーゼ 現在~
(……おかしい。何かが、決定的に狂ってるわ)
王立学園の柔らかな陽光が差し込む回廊で、私は手にした魔術書を強く握りしめた。
友人たちは「エリーゼ様、光魔術の調子はいかが?」と親しげに声をかけてくるけれど、私の心はそれに応える余裕なんて一ミリもなかった。
この世界は、私が前世で何回も読み込んだ漫画『光と闇の輪舞曲』の世界。
学園に入学する直前、突然この世界へ転移した。
漫画で何度も見た見覚えのある景色、聞き覚えのある名前。
闇落ち令嬢のアイリーン、王太子のエルヴィン 側近フェリクス、それぞれ漫画の通り容姿と性格、立ち位置に加え、何より私はピンクブロンドの愛されヒロイン、エリーゼ・ハイデンだった。
最初は何が起きたか、わからなくて戸惑ったけど、自分が物語の真っ只中に放り出されたのだと理解した瞬間、私は運命の悪戯に狂喜乱舞したものだ。
ヒロインに転移するだなんて、なんて最高な人生なんだろうって心が躍った。
よくある乙女ゲーム転生と違って原作通りに物語は進む。それは数々の逆境を乗り越え、最後にはエルヴィン殿下と結ばれることが決まっているのだ。
そう、信じて疑わなかったのに。
(なのに、どうしてアイリーンがいないのよ!?)
原作通りなら、今頃アイリーンは嫉妬に狂って私に嫌がらせを連発しているはず。
それをエルヴィンが庇い、側近のフェリクスが冷徹に彼女を追い詰める。
その過程で私と彼らの絆が深まっていくのが原作のシナリオなのに。
当のアイリーンは事故で学園を長期休暇となり、一向に姿を見せない。
それどころか、エルヴィンの隣で常に私見守ってくれているはずのフェリクスまでもが行方不明だなんて、嫌な予感が背筋を駆け抜ける。
アイリーン・フォン・ベルモット。
彼女は本来、殿下への執着ゆえに自滅していく悲劇の悪役令嬢。
最後は闇落ちの末、魔王となって聖女であるこの私に討たれる役目なのに。
そうじゃないと聖女として覚醒できないし、ドラマチックな王妃にもなれやしない。
アイリーンが事故にあったのは、本当の話。
学園側は隠しているけど、魔法訓練場で倒れていた彼女が発見されて大騒ぎになったのを知らない人はいない。だから嘘ではないのだけれど…。
そんなエピソード、原作にはなかった。
それまでは順調に漫画通りに進んでいたのに…、
だいたい、悪役が事故にあうなんてありえないし、まだヒーローとの仲を深め切っていない状況で脱落なんて許されないわ。一体どういうことなの?
いなくなった初めはそれこそいじめみたいなものが続いていてアイリーンが休んでいても気にならなかった。
だけど、いつしかそれもなくなって、今は平凡な日常をすごしている。
それだけじゃなく、エルヴィンは王太子の公務に追われてなかなか会えず、私は神殿から光魔術の特訓を課せられ、原作にあったデートやいちゃラブシーンは軒並み消滅。
その上、フェリクスまで行方不明だなんて……。
「……っ、とにかく情報を掴まないと」
焦る私の視界に、回廊の先を歩くアイリーンの妹であるシャーロッテの姿が入った。
ハイデン家はベルモット家の寄り子なので、彼女とも幼馴染といってもいい間柄だ。
「シャーロッテ様、お久しぶりです」
「ああ、ハイデン令嬢、お久しぶりですね。光魔術の方は使いこなせるようになりましたか?」
アイリーンに似た、それでいてアイリーンより少したれ目の彼女はにこやかに返してくれた。
「まぁ、シャーロッテ様、私とシャーロッテ様の間柄ですから、エリーゼとお呼びくださいな。光魔術はなかなか難しくて…でも頑張っておりますの」
私はこれ見よがしに、抱えていた魔術書をアピールした。
「そういえば、アイリーン様のお加減はいかがですの?長くお休みされているので、心配で……」
「ええ、お姉さまは、まだ体調がよろしくなくて、お医者様より少しゆっくりさせた方がいいとの診断をいただきましたの。今は静かな療養地で過ごしておりますわ」
「えっ、それほどお悪いのですか? それに療養地ってことは、その間学園はお休みするってことよね、いつ頃までかかるのかしら?」
学園に戻ってこられないと言われ、私は思わず素のトーンで問い詰めてしまった。
「……まだ分かりませんわ。今期分までの履修は既に終えておりますので、しばらく休学しても問題はないのです。今はただ、ゆっくり休んでほしいというのが家族の願いですので」
(しばらく休学ですって? そんなのダメよ。断罪シーンまでは這ってでも出てきなさいよ!)
つい、心の声が漏れそうになった。
このままだとエピソードの肝である断罪イベントがなくなってしまう。
そんなの、絶対に阻止しなきゃ!
まずはアイリーンに会って復学をさせなきゃだよね。
私は瞳を潤ませ、慈愛を込めた表情を作る。
「シャーロッテ様、そんな状況だったなんてつゆ知らず…。私、大切な幼馴染がそんなに苦しんでいるのに、ただ待っているなんてできませんわ。少しでもお元気になられるよう是非お見舞いに行かせてください。どうか、アイリーン様のいらっしゃる場所を教えていただけませんか?」
努めて友人を案じる健気な少女を演じたけれど、なぜかシャーロッテは、貴族令嬢らしい微笑みを絶やさぬまま、射抜くような鋭い視線で私を見つめた。
「……別に隠しておりませんよ、有名な温泉地で療養しておりますわ。王宮もご存じですし。けれど、公爵家としてはゆっくりしていただきたいのでお見舞いは一切受け付けておりませんの。それに、お姉様はつい最近まで公爵家で療養しておりましたけれど、その間、殿下もハイデン令嬢も一度もお見舞いにはお見えになりませんでしたわよね?」
「それは、その、神殿から光魔術の特訓を課せられて忙しくて…」
「そうですの。それでしたらお姉様のためにハイデン令嬢の貴重なお時間を奪うわけには参りませんわ。神殿から特訓の邪魔をしたとお叱りを受けては、我が家も責任が持てませんもの」
有無を言わせぬ正論。
シャーロッテは、私が反論する隙を与える前に、流麗なカーテシーで「お気持ちだけ頂いておきますわ。それでは、ご機嫌よう」と一度も振り返ることなく、颯爽とその場を立ち去ってしまった。
(…なによ、モブのくせに!あんたなんて漫画ではアイリーンの家族シーンでちょろっと出たくらいのわき役キャラだったじゃない!)
静まり返った回廊で、私は屈辱に顔を歪めた。
アイリーンがいないせいで、端役のキャラまでが生意気な意思を持ち始めている。
このままじゃ私のための物語が、ただの凡庸な日常に書き換えられてしまう。
「こうなったら、エルヴィンに泣きつくしかないわ」
私は制服の裾を翻しエルヴィンのいる生徒会室へと向かった。
彼を味方につけて王太子直々の見舞いという形にすれば、いくら公爵家も無視はできないはずだ。
私は潤んだ瞳と儚げな顔で生徒会室に駆け込んだ。
「エルヴィン様っ!」
そこには…机に向かい、山のような書類に囲まれていたエルヴィンが、疲れ切った様子でサインをしていた。その目の下にはうっすらとクマがあり、漫画で見ていた、優雅な王子様とは程遠い姿に一瞬言葉を失う。
「……エリーゼか。悪いが、今は見ての通り手が離せないんだ」
「エルヴィン様、申し訳ありません。ですが先ほどシャーロッテ様とお会いして、アイリーン様の近況を知りましたの。なんでも、まだ体調が思わしくなく療養のため公爵家から離れていると教えていただきました。シャーロッテ様によると、お見舞いも拒否されているほどお悪いとおっしゃるのです。わ、私、アイリーン様のことが心配で…、不安で胸が張り裂けそうです。どうか、エルヴィン様からもお見舞いに行けるよう公爵家に働きかけていただけませんか?」
私はエルヴィンのデスクに縋り付き、溢れんばかりの涙を瞳に溜めて見上げた。
(さあ、ここで「君はなんて優しいんだ、エリーゼ。一緒に行こう」って言うのよ。早く私の手を握って!)
しかし、返ってきたのは、期待とは正反対の重い溜息だった。
「アイリーンのことは、公爵から静養が必要と正式な書状が届いている。婚約者候補とはいえ、公爵家が拒絶している以上無理強いはできない」
「そんなっ! エルヴィン様が行けば、きっとアイリーン様だって喜んで…」
「エリーゼ。いい加減にしてくれ」
エルヴィンの冷ややかな声が室内に響き、私の心臓がドクリと跳ねた。
「今、この国がどれほど混乱しているか分かっているのか?フェリクスと、その妹のクリスティナまでもが行方不明なんだ。私は彼らの捜索と、滞った公務の処理で、もう数日寝てないんだよ。この書類にサインし終わったらすぐ王宮にいかなくてはならないんだ。アイリーンのことよりも優先すべことがあるんだ」
「確かに、フェリクス様のことも心配ではありますが…、捜索は騎士団に任せればよろしいのでは?」
「だが彼は私の片腕なんだぞ! 騎士団だけに任せておけないんだ。頼むからわかってくれないか」
殿下の鋭い眼差しに、私は思わず数歩後退った。
(なによ。なんなのよ、その目は!)
漫画でのエルヴィンは、どんな時も私を最優先して、優しく微笑んでくれたのに。
今は私を邪魔者を見るような目で見ている。
フェリクスがいなくなったことも気になるけど彼は主要キャラだから生きてるに違いない。
そして、これはアイリーンがいなくなったことの弊害に違いないから、まずはアイリーンを戻さなくちゃいけないのに!
「フェリクスの行方が掴めるまでは、王都を離れるわけにはいかないんだ。それに君も光魔術の訓練があるだろう? 神殿を待たせないほうがいい」
そういうとエルヴィンは私から目を背けて再び書類の束に向き直る。
(嘘……。アイリーンがいないだけで、エルヴィンまでこんなに変わっちゃうの!?)
私はたまらず、込み上げる惨めさと怒りを押し殺すように深く一礼した。
「申し訳…ありませんでした。失礼します」
静まり返った生徒会室を後にすると、私は唇をかみ屈辱と焦燥に震えた。
アイリーンがいないせいで、ヒーローが、ただの仕事に追われる不機嫌な男に成り下がり、物語のヒロインを冷遇している。
許せない、けどエルヴィンが動かなければ。私も何もできない。
今後、物語がどう改変されていくのか、それだけが私の心を黒く締めていた。
シャーロッテは結構シスコンでなんだかんだでお姉ちゃんっ子。
にじみ出るエリーゼの姉を馬鹿にする態度にムカついてます。
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