王都では② ~sideエルヴィン 現在~
「母上が?」
書類から顔を上げると目の前の侍従がうなずいた。
「至急とのことです」
ペンの動きを止めて、ため息を一つこぼす。きっとアイリーンの件だろうとあたりを付ける。
正直、今はその話題を出されるのは面倒だった。
陛下も宰相も陛下の側近たちだって、あれはもう終わる話だと思っているのに。
母上だけがアイリーンを手放したくなくて策を練っているのはわかっていた。
「エルヴィン、よく来てくれたわ」
柔らかな笑みで迎え入れられる、が、母がこういう顔をするときは決まって“自分に都合の良い対応をさせたがる”ときだ。
「至急およびと聞きましたので。して、何の御用でしょうか」
形式的な礼を済ませ、王妃の向かいにあるソファへ深く腰を下ろした。
「アイリーン嬢のことよ」
やはりな、と内心で毒づく。
「療養中と聞いています。医師がそう判断したのならゆっくり休ませてやればいいかと存じます」
淡々と返すと王妃の眉がわずかに寄ったが、気付かぬふりをしてやりすごす。
ここは無関心を貫かねば、話が長くなるだけだ。
「あなたってば随分と冷たいのね」
「事実を言ったまでです。母上こそ、なぜそこまで気にされるのです? 婚約者候補は他にもおりますし、もともとアイリーンとは血が近しいので結婚は難しいのはわかっていたではないですか」
正論を突きつけたつもりだったが、母上は諦めるどころか、冷ややかに扇を広げた。
「でも…アイリーン嬢は優秀だわ。あなただって学園でもいろいろと助けられていたでしょう?」
否定はできない。
確かに、彼女が手掛けた書類は処理も早く、細部まで整っていたけれど…だがそれだけだ。別に彼女でなければいけないわけじゃない。
「それはあくまで生徒会の話としてです。王太子妃として、私の妻として必要な資質とは別でしょう」
「では、あなたは誰を妻に望んでいるの?グーズラ公爵令嬢?それともロマーノ侯爵令嬢かしら」
きっとわかっていて言っているのだろう。
婚約者候補の残り二人の令嬢とも違う。
脳裏に浮かぶのは無邪気で、素直で、陽だまりのような笑顔の彼女。
柔らかく笑うピンクブロンドの髪をなびかせて私の心を癒してくれる…そう、一緒にいて心が休まるのはエリーゼだけ。
「少なくとも、義務だけで選ぶ気はありません」
その言葉に母上の目が細まった。すべてお見通しだと訴えている。
「…エリーゼ嬢?」
結局はその話をしたかっただけだろう。名を出されても動じずに母上の目を見据えた。
そうして黙ってそれを肯定の代わりとすると、彼女は深い溜息をついた。
まるで理解できないというように。
「だめよ、エリーゼ嬢は身分が足りないわ。資質もね」
…我が母ながら、自分が元子爵令嬢だったことを忘れたのだろうか。
「彼女は光属性を持つ稀有な存在です。陛下も了承しておりますよ」
そう、エリーゼは光属性を持つ貴重な存在だ。この先、浄化の手腕が認められれば王太子妃、ひいては王妃としても問題なくなる。
陛下も宰相もそれを望んでいるはずなのに、母上一人が納得できないと抗っているのだ。
そのことは母上自身わかっているのだろう。口元がわずかに引きつっていた。
「エルヴィン、王太子妃は飾りではないのよ。王太子妃の仕事は外交と内政、複雑な貴族調整など多岐にわたるのよ。エリーゼ嬢にそれができるの?」
自分ができていないことを棚に上げて、よく言う。
喉まで出かかった言葉を飲みこんだ。
「できるように支えます」
「あなたが?あなたは国王になるのよ。誰かを支える余裕など、どこにあるというの」
鼻で笑うような言葉に、思わず声を張りあげてしまう。
「だからこそです!私は…隣にいるのは、信じられる者がいい!」
母上はまたしてもため息をついて、いかにもお前は甘いと態度で示してくる。
「……では、アイリーン嬢はどうするの?」
前振りが長かったが、それが本当の質問だろう。
「どうするも何も…候補を降りるなら何かする必要はないと存じます。王宮に無理に縛る必要はないでしょう」
「エルヴィン、あなたが王になるなら感情だけでは国は回らないわ。アイリーン嬢は有能よ。それは事実だわ。その力を発揮させるのはあなたの隣がふさわしいのよ」
アイリーンは確かに勉強はできる。
だけど彼女は公爵令嬢で、たとえ王族に嫁がなくても高位貴族に準じた嫁ぎ先が用意されるだろう。
ましてや、あの公爵夫妻の娘への愛情は疑いようがない。
私の婚約者候補から外れたとしても無下にしていい令嬢ではないのに…何を考えているのやら。
これ以上は話しても無駄だろう。
私はため息をつきそうになるのを抑え、静かに立ち上がり、母に一礼して部屋を出た。
なにかわめいていたが気のせいだろう。
執務室へ戻ると、中断していた書類に目を通しふと傍らの机棚に視線を落とす。
そこには山のような外交報告や決裁待ち書類が積まれているのが目に入ってくる。
「殿下、この書簡ですが、修正箇所がいくつかございまして…」
申し訳なさそうに差し出された紙を受け取り、目を通すと資料の粗さが目立つ。
以前なら、ここまで上がってこなかった類のものだ。
「はぁ、間違いが多すぎる。これでは承認にできない。差し戻せ」
ため息とともに書類を突き返すと、文官は疲れた顔で縋るように声を絞り出してきた。
「あの……ベルモット公爵令嬢の体調はまだ戻られないのでしょうか?」
「なぜそんなことを聞く?」
私の声が冷たく響く。文官はびくりと肩を揺らし、言いづらそうに視線を彷徨わせた。
「いえ…、以前は令嬢が殿下に書類をお持ちする前にすべて目を通して不備を弾いてくださっておりましたので……」
言いづらそうに文官は答える。
それは…、文官がアイリーンに仕事をさせていたということなのか?
私の視線が鋭くなったことに気づいた文官は「失礼いたします」と逃げるように去っていった。
取り残された部屋で、じわじわと理解が追いついてくる。
あの文官の言葉から私に上がる書類はすべてアイリーンが事前に確認し、修正を終えたものだったのだろうか。
であれば、彼女がいなくなってからの不備の多さに納得がいく。
生徒会の仕事だって、最近は不備が多い。
今までできていたことが、彼女がいないだけで回らないことが多い。
「まさか、生徒会の仕事だけでなく公務の書類も…すべてに目を通していたということなのか…」
信じられない。
が、彼女がいなくなってからの執務の滞りを考えるとそれがきっと正しいのだろう。
私は彼女の有能さに改めて気づいてしまった。
(だが…それを認めてしまえば…)
椅子にもたれ、天井を見上げる。
学園での事故で重体と聞いたときも、正直そこまで深刻には受け止めなかった。
あの女は、妙にしぶとい。
計算高く傲慢にふるまい、いつもエルヴィン様、エルヴィン様とまとわりつき、さらに悋気で自分の側による令嬢に嫌がらせをしては何度も迷惑をこうむっていた。
そんな彼女を多少のことでは折れないと思っていた。
あいつなら、体を引きずってでも戻ってくるとどこかで思っていた。
だが、いまだに何の連絡もなく、復帰の兆しも見せない。
「……チッ」
いや、あの女のことを考えるのはやめよう。
最近はフェリクスも忙しいのか王宮に顔を出していない。
書類の山が多い感じるのはきっとそのせいだ。
気を取り直し、エリーゼのはにかんだ笑顔を思い出す。
とたん、緊張が解けふっと笑みがこぼれた。
彼女といる時間は穏やかだ。打算も、緊張もない。
王宮での息苦しさを忘れられる。
『エルヴィン、王太子妃は飾りではないのよ。王太子妃の仕事は外交と内政、複雑な貴族調整など多岐にわたるのよ。エリーゼ嬢にそれができるの?』
先ほどの母の言葉が頭に浮かぶ。
わかっている、王族の仕事はただそこにいるだけではない。
腹の内を読ませないための外交の場、重臣たちの言葉の裏の読みあいをアルカイックスマイルでやり過ごさなくてはいけない。
それに、書類の決裁一つにも大きな責任が伴う。
(それが彼女に務まるのか?)
エリーゼが王妃として隣に立つ姿を想像すると、なぜだか視界がぼやける。
王族は常に人目にさらされ、前に立ち続けなければならない。
その時、彼女は…あの無垢な笑顔をどれほど保てるだろうか?
光属性を持つ彼女を王太子妃として選ぶことは問題ないし、彼女とならこの国を導くことができるだろうと思っていた。
私がずっと、彼女の笑顔が曇らないよう守り切れると思っていた。
けれどアイリーンがいなくなっただけで、こんなにも自分のことで精いっぱいだ。
「私は彼女を守れるのか…?」
誰もいない執務室に響くその一言で私は初めて、自分の力に不安を覚えた…。
その後大事な親友が消息不明だと報告が入るのも知らずに。
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