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星のアンブロシア  作者: 榑井タキ
第二章 黒鉄の馬車
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3. 初めての冒険

 教会で暮らす子供たちには毎日規則正しい生活を送るための日課として、毎朝のお祈りと掃除の時間、それから神父様に読み書きを教わる読書の時間が与えられている。それ以外は自由だ。聖堂で特別なお祈りをする今日のような日の午後も休息の時間で、それぞれ思い思いの場所で自由に過ごすことが許されていた。


 ただし、トランバニア王国では子供が十二歳になると一人前の大人として認められるため、教会の子供たちも十二歳になれば自分の人生を選択することになる。セレームの町の職人街や農場で働くか、それともほかの町の修道院に移って本格的な信仰生活に入るのか。しかし神父様のように正式な司祭の資格を得るには王都の神学校で勉強をする必要があり、そのうえ王侯貴族の子弟でないとなれない暗黙上の決まりがあるので、ほとんどの子供は十二歳になると同時に町で働くことを選ぶらしい。

 つまりシエルはあくまでも一時的に教会で保護されている身であって、いつまでもここにいられるわけではない。フィニアンはあのように言っていたけれど、はたして自分は祝祭に参加していいのかどうか。


(……あとで、神父様にきいてみないと)


 午後は孤児院のニ階に与えられた自分の部屋で静かに本を読んで過ごそうとしていたシエルだったが、さっきからずっとそればかり考えている。

 窓際の机に向かって本を開いてはいるものの、ページはちっとも進んでいない。

 そこに、思わぬ闖入者(ちんにゅうしゃ)がやってきた。

 一体どこからどのようにしてきたのか、なんと屋根伝いに窓からシエルの部屋を訪れたアルドは、仰天するシエルに「よっ」と満面の笑顔を見せる。


「ど、どうしたのアルド」

「喜べよシエル。相変わらず引きこもりのおまえに、面白い話を持ってきてやったんだ」


 言いながらいつもの身軽さで、ひょいと窓枠を超えて部屋の中に入ってくるアルド。シエルは思わず椅子から腰を浮かせ、慌てて頭巾をかぶりながらおろおろと視線を迷わせた。

 机の上には読み止しの本。それにふと気づいて、アルドは茶色の目を真ん丸くする。


「なんだお前、一人で本なんか読んでんのか?」

「うん。神父様が貸してくれたから……」


 動揺する胸を押さえつつ、シエルは遠慮がちに答えた。

 机の上には三冊の本がある。一冊は神様の教えや天使様の物語が記された聖典の書。もう一冊は子供たちのための童話集。いま机の上に開かれているのは『世界物語詩歌集』で、様々な異国の物語や詩を共通語に翻訳したものがたくさん載っている。 


 どれどれ、とシエルが止める間もなく『世界物語詩歌集』を手に取ってぱらぱらとページをめくったアルドは、そこに書かれている文章を読むどころか、びっしりと連なる文字のインクのにおいを嗅いだだけで気分が悪くなったらしい。


「……お前、こんなの読んで面白いのかよ?」

「まだあんまり読んでなくて……アルドが読んで面白いかはわからないけど、面白いよ」


 とびきり不味いものを誤って食べてしまったような顔のアルドに、シエルは苦笑する。

 本を読むことは好きだ。

 もちろんその記憶はないのだが、きっと元いた場所かどこかで読み書きを教わったことがあるのだろう。大人でも難しいという聖典の書さえシエルはすらすらと読むことができ、神父様はたいそう驚いていた。アルドは感心したように言った。

「頭いいんだなあお前。こんなの読めるなんてすげえじゃん」

「そ、そんなことないよ」

 ぽっと頬が紅潮するのを感じて頭巾を引き下げつつ、そういえばまだ肝心の話を聞いていないことを思い出す。アルドも自分の用事を忘れかけていたようで、「おっと、そんなこと言ってる場合じゃねえや」と改まって本題に入った。


「おまえ、聞いたか? もうすぐ天使様のお祭りがあるんだってさ」

「あ、うん。さっき聞いたよ」

「……なんだよ、聞いたのかよ」


 どうやら拍子抜けさせてしまったらしい。

 アルドは途端につまらなさそうな顔をした。キラキラ輝いていた目の光が消沈してしまったかと思いきや、またパッと明るくなる。

「じゃあさ、おれたちが祭りで何するかは聞いたか? 今年は特別なんだよ。北の山に天使様の青い花がほんとに咲いて、おれたちみんなで取りにいくんだ」

「そうなんだ」

 とシエルは言ったが、本当は知っているのにとぼけたふりをしたことは一目でバレてしまったらしい。


 少しむっとしたアルドは、「じゃあこれは?」「これなら?」とまくしたてるように次々と祝祭のことをきいてきた。そのどれもこれも、シエルは既に知ってしまっていた。きっとアルドは何も知らないシエルを驚かせたくてやってきたに違いなく、よほど悔しそうにして、

「でもこれは絶対知らないだろ? 昨日、時計塔広場にでっかい機械の家が馬車みたいに走ってきた話!」

 だんだんとムキになって顔を迫らせてきたアルドの剣幕に、シエルは思わず首と両手をぶんぶん横に振った。


「し、知らない。それはほんとに知らないよ。機械の家……?」

「だろっ」

 アルドはようやくニカっと笑い、得意げに腕組みした。


「ついさっき、お祈りにきてた大人同士が喋ってんのを聞いたんだ。広場は見物客でいっぱいらしいぜ」

「どういうこと? 建物が動くの? どうやって?」

「さあ? おれだって話聞いただけで、見たことねえもん」


 そのとき、何か思いついたらしいアルドの目が猫のようにキラリと光る。その目と目があった瞬間、シエルは何やら嫌な予感がした。

 予感は当たった。


「なあシエル、今から見に行ってみようぜ」

「えっ」

「こっそり行って、すぐ帰ってくればバレないからさ。よしっ、行くぞ」


 言うが早いか、アルドは有無を言わさずシエルの手を引っ張って部屋の外へ連れ出した。

 体つきはシエルよりもずっと小柄なのに、男の子の力は思いのほか強い。シエルは本気で狼狽した。


「だっ、だめだよアルド。勝手に外に行ったら……」

「だからバレないように行くんだって。見つかったら怒られんぞっ」


 足音を立てないようにこっそりと孤児院の廊下を抜けて階段を降り、外に出る。アルドはこの秘密の冒険が初めてではないようで、人目を盗んで物陰から物陰へと移動することにもずいぶん慣れている様子だった。シエルは必死にその手を引っ張り返して訴える。


「ねえ、やめよう? 危ないよ。それにわたし、教会の外に出るなんて」

「安心しろって。おれがちゃんと案内してやるよ」


 アルドはそう言うが、シエルは心配でたまらない。知らない場所に行くことも怖いし、何より――町にはたくさんの人がいる。

 けれど、強く拒絶してこの子を傷つけてしまうことも怖かった。

 どうしようどうしようとパニックになりながらも、シエルは半ばアルドに引きずられるようにして教会の正門へと駆けていく。


 そんな二人の後ろ姿を、離れた場所からじっと見ている少年がいることには気づかずに。


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