38.彼女の願い
一つの秘密が明かされると、疑問がまた新たな疑問を呼ぶ。
その順番はあくまで彼女が考えて、おそらく最後にはすべての疑問が解き明かされることになるのだろう。
しかし、誰かがくるのをずっと待っていたという彼女は決してもったいぶっているわけではなさそうだった。それは秘密を知る者の特権というのではなく、彼女の性格として、物語りをするには順序が大切だと考えているらしい。
「ずいぶん顔色が悪いようだけど、大丈夫かい?」
彼女はわざと気がついたように言いながら、二人を別の部屋へと案内した。
立派なソファとテーブルが置かれたその部屋は、昔は来客用の応接室として使われていたようだ。
大きな柱時計があって、もはや誰が訪れることもなくなった部屋の中に残された何かを守るように、狂うことなく時を刻み続けている。
チッ、チッ、チッ、チッ…………と。
小刻みな秒針の音を聞きながら、シエルはフィンドールの隣に座らされていた。
「悪いけれどもてなしに期待はしないでくれ。お茶もお菓子も用意することはできないから」
「どうぞお構いなく。おかげさまでしばらくは水も喉を通りそうにありませんのでネ」
広々として火の気がない部屋の中は、吐く息が白くなるほどに冷え切っている。そもそもコートを着たまま邸内に入ることは本来なら礼儀に反するはずなのに、フィンドールは脱ぐ素振りも見せなかったし、シエルも黒いローブを着こんだままでいる。
シエルはそっと、肩の上の黒い鳥に手を差し出した。
おいで、と呼ぶつもりでそうしたのが伝わったのか、黒い鳥はトコトコと手の上に乗り移る。大人しくてかわいいその姿にシエルはほんの小さく笑い、そのまま両手で包んで胸に抱いた。
きっとわたしよりも、誰よりも、ひどい衝撃を受けたはずだから。
「ねえ。……」
ヴェルレーヌ、と呼びかけることはなぜかためらわれて、シエルは口から出かかったその名前を引っこめた。
こんなに寒いのに白い息すら吐かない彼女は、そのような些細なことには構わず「何だい?」と小首を傾げる。黒いヴェール越しにこちらを見つめるその目の色が紅茶色だったことを、シエルはもう思い出している。
「……わたしはあなたに会ったことがある。たぶん、たくさん話したことがあるよ。……そう、よね?」
「ああ。けれどきみの反応はまるで赤ん坊のようだったから、その頃は何もわからなかったのかもしれないね」
と、彼女は優しげに微笑した。
その顔を見ていると、先程の部屋で見た光景や彼女の唇から紡がれた言葉の数々が、すべて悪い夢だったかのように思える。
しかし、語るにもおぞましい自らの誕生経緯を二人に明かした彼女の姿形は相変わらず美しく、とてもそのようなものには思えない、というのが正直な気持ちだった。
シエルにとって、この人は出会ったときからずっと美しかったはずなのだ。
「それにしてもきみは見違えた。あの男に連れられてここにきた頃の、あの無口なお人形とは別人のようだ」
明らかに誰よりも〝人形のシエル〟を知っている口ぶりでそう言った彼女に、フィンドールが横から問いかけた。
「あの男とは?」
「もう会っただろう。陰気な白い男。王都からきたっていう魔術師だよ」
「魔術師、ですか? それはまた面妖な」
「ぼくから言わせればきみもね。まあ、それでも見ている限り、あの男よりはよっぽどマシな主人なんだろうさ」
「ウフフ。お褒めの言葉と取らせていただきましょう。それはそれといたしまして――」
ソファに浅く腰かけて頭の先まで真っ直ぐ背筋を伸ばしたフィンドールは、おそらく貴婦人に対する礼節だけはきちんと守って、やんわりと質問を続ける。
「――人造生命体についての仮説や伝説は私も耳にしたことがありますが、貴女のことをより詳しく教えていただいてもよろしいですか」
シエルはごくりと唾を飲んだ。
一瞬、吐き気を催すあの感覚がよみがえる。急いで頭を振ってあの光景と臭いを頭の中から追い払い、とにかく今は、目の前にいる美しい女性を見つめる。
「いいよ。というか、それを話さないことには始まらないからきみたちにあの部屋を見せたんだ」
彼女はあの嫣然とした笑みを浮かべてそう答え、何とも優雅に居住まいを正した。
「ちなみに、きみたちが見ているのはぼくの本来の姿ではないよ」
「え?」
「シエル。きみにはそんなことを知らせる必要もないから、ぼくはずっとそのことを隠したままきみに接していた。だからあの部屋のことも、ぼくがこれから話すことも、きみは何も知らない。この屋敷の中で、きみにだけは何の罪もなかった」
その言い方はつまり、彼女自身には罪があるということだった。
重く、深く、暗い罪を自覚した人が、神様の前でその罪を打ち明けるように。
それにしては気高くまっすぐにシエルの揺れる眼差しを受け止めて、彼女は淡々と告解を始めた。
「本当のぼくはとてもじゃないけど見れたものじゃない。この身体はガラス容器の中に生まれたぼくを移し替えるために、ローランの命令で使用人が墓地から掘り出してきた新しい死体と、その口封じを兼ねて殺されることになった使用人たちの死体をつなぎ合わせてつくったものだからね」
「……な」
「だから本来であれば、あの部屋の彼らと同じく耐え難い腐臭を放っているはずなんだけれど。半年前、生きた人形を連れた魔術師が王都から訪ねてきて、そうならないための魔法を施してくれたものだからこうなった。すべての犠牲はそのためだけに費やされたものだった、というわけだ」
半年前の。まだ、冬の最中に。
落ち着き払って静かに語る彼女の顔が、この部屋の過去の光景につながる。
白茶けた髪は伸びるに任せ、老人のように瘦せ衰えた男が、目の前のわたしを見て驚いていた。
あの秘密の部屋のガラス容器の中で生まれた禁忌の生命のことを何故知っているのかと、問うことも忘れて。
『あなたの悲愴な研究と、その奇跡的な成果に私は敬意を表します。そこで――僭越ながらぜひ、協力させていただきたいのです』
それはきっと、悪魔の甘言だった。
遠く忘れ去られた時代には〝生きる人形〟を作る技術が存在したという確かな事実によって、彼は大きな希望を持った。
それこそが、悲劇の始まりだったのだ。
「――死体を使って人形の素体を作るというのは、その魔術師の入れ知恵だったのです?」
「いいや。人形の材料や作り方について、魔術師は何も指定しなかった。生きた身体を作るには、元は生きていたものを使うほうがいいとローランが考えただけだよ」
生命の冒涜に対する明らかな嫌悪を感じているフィンドールの問いに、彼女はただ淡々と答える。
「ただ、そのまま使ったのでは肉体に元の人間が残ってしまうからと、バラバラにして別々につないだ。そうして作り上げたお粗末な素体に魔術師が魔法をかけた。腐った死体の継ぎ接ぎ人形が若き日の美しい妻そっくりに見える、そんな魔法をね」
そんなことを、あくまでも、淡々と。
シエルにはとても信じられなかった。
何が、ではない。すべてを信じることができない。事実として到底受け入れられるものではない。
「じゃあ……あなた、は」
「ぼくは生きているとか死んでいるとかそういったものではないよ。言っただろう? 造られた生命には、生まれたこと、生きていること、それ自体が罪であることがあるんだって」
また、吐きそうになった。
胃の腑の中身を全部。もっと、それ以上に。
最初は死んだ妻の腐った死体から、奇跡的に生まれた命。
次は屋敷で働く使用人たちをバラバラにして、つなぎ合わせて造った身体。
そして、その次は。
「この魔法を維持するためには特別な力が必要だと言われて、ローランはそれを求めなければいけなくなった。……錬金術の秘法の一つに、その力を生み出す魔法の心臓の作り方というものがあってね。それを作ろうとした結果が、あの三か月前の殺人事件だ」
「…………!」
シエルは思わず力の加減も忘れ、黒い鳥をぎゅっと抱きしめてしまった。
ようやく全部理解してしまった。
ずっとこの屋敷にいたはずなのに、何も知らずにいたなんて。
知らないままで、神父様と、フィニアンと、みんなと一緒に暮らしていたなんて。
わたしは、なんて罪深いのだろう。
彼女はそんなシエルにつと瞳を向けて、かすかに笑った。
「大丈夫、きみは何も悪くない。そんな顔をしなくていい」
「……え?」
「魔術師に連れてこられて、ほとんど放ったらかされていたきみにあれこれと話しかけることがぼくの唯一の楽しみだった。でも、ローランはやがて何かの拍子にきみの存在を思い出すだろうと思った。だからその前に、ぼくはきみにここから逃げろと言ったんだよ。ぼくが動けなくなる前にね」
「ああ、なるほど」
その言葉を聞いてすぐに得心がいったのはシエルではなく、フィンドールのほうだった。
フィンドールは笑うピエロの仮面で手の平の上にポンと拳を打つと、引っかかりが取れてスッキリしたような顔つきで急にペラペラと喋り出した。
「そんなわけのわからないものを作るより、目の前にいるシエルさんという、既に完成して実際に動いている人形のコアを転用してしまったほうがよほどお手軽だということですか。フフ、いかにも素人が考えつきそうなことです。ぶっこ抜いたところでそのまま使えるものではないですし、どのみち燃料が必要であることも変わりないのですがネ? そもそもその発想自体が端から素人で、この子の構造はそう簡単な――」
「うるさい、そこまでは誰も聞いていないしそんなことは言われなくてもわかってる。鬱陶しいから黙っていてくれるかい」
と、彼女は本気で鬱陶しそうな顔と声で言った。
言われたフィンドールはと言えばなぜか慌てたように腰を浮かし、まるで振られた女性に取りすがるような口調で言う。
「ああすみません、お耳障りなのでしたら黙りますヨ。でもあと一つだけ質問させてください。いえ、やっぱり二つ」
彼女はますます嫌そうに顔を顰めた。
「何? 聞かれなくてもたぶんこれから話すつもりだから黙っててほしいんだけれど」
「どうかそう仰らず。ご聡明な貴女に私から質問したいのです。では、取り急ぎ一つにまとめるといたしまして――お話をお聞きする限り、人並みに活動することは相当に困難であると思われる貴女が、今はとてもそう見えないのは何故ですか? しかもその美しさに少しの翳りも見られない、完全な状態でいらっしゃる」
そう言われ、彼女はぴくりと眉根を動かす。
フィンドールはソファに座り直して、珍しく真剣な様子で言葉を続けた。
「伯爵が永久機関を完成させた、とは思えません。あの魔術師は、この屋敷の中に我々の探し物があると暗に言いました。つまり?」
「そうだよ。むしろほかに何がある?」
隠すつもりなんて最初からなかったのだろう。
だから彼女は、探るようなその物言いに対して、心外だと言わんばかりの顔をした。
彼女は繊細なドレスの生地に包まれた自分の胸に自分の指先をトンと立て、その場所を示してみせた。
「きみたちの探し物はここにある。こんなもののために使われていいものではないことはわかってる。だからそれを取り出して、あるべきところに返したい。それがきみたちに対するぼくの思惑であり目的だよ」
その言葉に迷いや躊躇いはなかった。
だからシエルはその意味するところを理解するのが遅れたが、フィンドールは「……それは」と言葉を詰まらせた。
別の言い方にしようか、と彼女は首を傾けて微笑した。
「いくら望まない生であっても、自分で自分の命を絶つことは恐ろしい。その正しい方法もわからない。というか、ぼく一人でそうしてしまったら返せなくなってしまうしね。だからぼくはきみたちに頼むしかないんだ。――どうか、この醜悪な命を終わらせてくれないか」




