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星のアンブロシア  作者: 榑井タキ
第九章 凍てついた屋敷
33/55

31.道化師の見解

 時計塔の鐘が鳴り響くのを聞きながら外へ出た。


 凍って滑りやすくなっているからとフィンドールの手を借りて、ガルガンチュアのステップを降りる。さくりと新雪を踏む音がした。

 たった一夜のうちに、祝祭の広場はすっかり雪に覆われてしまっていた。


「わ……」


 色とりどりにひしめいていたはずのテントも、馬車も。

 広場を囲む建物の屋根も、窓も。飾られていた花の彩りも。

 あんなに賑やかに行き交っていた人々の姿も、すべて束の間の幻だったかのように。


「いやあ寒い寒い。まさしく冬ですネ。町は閑散として生き物の気配は死に絶える。ハリト君曰く、雪は音を吸収してしまうそうですヨ。おそろしいほど静かでしょう?」


 止まない雪が降りしきる鈍色の空に白い息を吐きかけながら、フィンドールはそんなことを言った。

 人の印象は服装一つでこんなにも変わるものなのかと、シエルは思わずその姿をまじまじと見てしまう。


 あの赤白黒の奇抜な服やピエロの仮面にばかり目がいっていたからだろうか。彼が癖のある長い黒髪の持ち主で、その後ろ髪を赤いリボンできれいに束ねていることにも今まで気づいていなかった。

 一目で高級とわかる毛織りの黒いコートを着て、金糸の刺繍が入ったベストも、上品に結ばれたスカーフも、大きく折り返した袖口の飾りボタンも、本物の貴族のようによく似合う。

 ただ、ピエロの仮面は相変わらずだ。素顔を晒すことだけは絶対にしないらしい。


「ああそうだ。歩いている途中で疲れてしまうといけませんから、先に今日の分のお薬を飲んでおきましょうか」


 フィンドールはそう言って急に振り向いたかと思うと、小柄なシエルに対して長身を折るようにしてピエロの仮面を近づけてくる。驚いて身を固くしてしまったが、「貸してくださいネ」と言ってワンピースのポケットの中の薬袋を取っただけだった。


 どうやらシエルに持たせた第五元素石(ティンクトラ)をシエルに与えるのも、こうなると何もかも全部自分が世話するつもりでいるのかもしれない。もちろんそれも、嫌だと言ってはいけないのだろう。

 なので、大人しく口を開ける。

 一粒分の赤い光を吸い込むと、胸の奥で心臓がドクンと鳴った。


「ところで貴女(アナタ)はこの町で起きた三ヶ月前の事件について詳しく聞いたことがありますか?」

「え?」


 シエルへの〝給餌〟が済んだかと思うと、今度は唐突な問いが投げかけられる。


「詳しく……は、たぶん。聞いてない……と思う」

「まあフィニアンさんの性質からして、事件の残酷な部分は包み隠してお話にはならなかったものかと。ハリト君もそのようなことは貴女(アナタ)に決して話さない。というわけで貴女(アナタ)は一切聞いたことがないはずですが、例の〝心臓を奪われる〟というのは驚くべきことではあっても、そこまで突拍子のない話ではなかったのですヨ」

「……どういうこと?」


 シエルが首を傾げると、フィンドールは薬袋をシエルのポケットに入れ直しながら答えた。


「あの事件の犠牲者は皆、その遺体から金品ではなく心(・)臓(・)を(・)盗(・)ま(・)れ(・)て(・)い(・)た(・)そうです。二十年ほど前、この国の王都でも類似の事件が連続的に発生していたことがあります。犯人は捕まっておりますし、まったくの別件なので直接の関わりはないと思われますがネ」


 曰く。

 犠牲となったのは性別も年齢も身分も関わりなく、ちょうど十人。

 道端に打ち捨てられるようにして発見されたそれらの遺体はすべて真っ白に血が抜けて、胸に大きな穴をあけ、心臓を奪い取られていたという。

 趣味の悪い連続猟奇殺人として王都を震撼させたその事件は、十人目の殺害現場を目撃しながらも奇跡的に逃げおおせた娘の証言によって犯人が明らかにされた。

 ほかにも多数の余罪が発覚したその犯人は、錬金術士(アルケミスト)を名乗る狂人の男だったらしい。


「――錬金術師とは、か(・)つ(・)て(・)地(・)上(・)に(・)黄(・)金(・)の(・)力(・)が(・)あ(・)ふ(・)れ(・)て(・)い(・)た(・)時(・)代(・)を取り戻さんとして様々な研究を行っている者たちの僭称に過ぎません。そう聞いただけでおわかりのように非常に胡散臭い連中なのですが。彼らにとって心の臓は循環を司るものとされており、彼らが至高の到達目標として再(・)現(・)しようとしている永久機関、その最も重要な材料として位置づけられているのですヨ。なので時にはやむをえず、生(・)き(・)た(・)人(・)間(・)か(・)ら(・)そ(・)れ(・)を(・)拝(・)借(・)す(・)る(・)必(・)要(・)が(・)あ(・)る(・)のです」


 大通りは閑散としているが、どうやら雪が降っているからこそ忙しそうに働いている人たちもいる。建物の前にうずたかく積もった雪をスコップで取り除く作業をしていた年配の男性が、通りを歩く二人を認めて怪しむように声をかけてきた。


「あんた、よそから来た人かい? いくら珍しくてもこんな雪の中をふらふら出歩くのはやめときな。かわいい娘さんが凍死しちまっても知らんぞ」

「ご忠告感謝します。くれぐれも気をつけるように致しましょう」


 礼儀正しく答えたフィンドールのピエロの仮面を見て、男性はぽかんとしたようだ。

 手を繋いで歩くほど仲睦まじい、黒いコートの貴族とその娘。彼の目にはまぎれもなくそう見えたらしい。

 何だか薄気味悪そうにする男性の前を通り過ぎてしまうと、フィンドールは何事もなかったかのように話を再開した。

 隣を歩くシエルにしか聞こえないよう、一段と声を低くして。


「というわけで、セレームの事件に話を戻します。これからお会いするエヴァンゼール伯爵に、あの事件の犯人として疑いの目が向けられていたことはご存知でしょう? 奥方の死後しばらくして、彼の屋敷に怪しい者の出入りがあったというのは真偽定まらぬ人の噂の枝葉に過ぎない事柄ですが。彼が王都の仕立て屋に婦人用の新しいドレスを注文したことについて、貴女(アナタ)はどう思いますか?」


「お、お(・)父(・)さ(・)ん(・)」


 いくら内緒話とはいえ、シエルはさすがに止めた。

 こちらからすればただ通り過ぎてゆく町の風景の一部のように思えても、実際に声をかけられたということは、人目を引いているということだ。人の話など聞こえていないふりをして、しっかりと耳をそばだてている人もいるだろう。こんな物騒な――というより人聞きの悪い怪しげな話を、昼日中の往来でしていいものとも思えない。


「その話、歩きながらしないほうがいいよ。……あと、わたしにきかれても」

「フム。到着前に私(ワタシ)の見解をきちんとお伝えしておかなければと思ったのですが。それと、お父さんはまだ結構ですヨ。少々照れてしまいます」


 照れているようにはとても見えないが、フィンドールはシエルとつないでいないほうの手を口元に当て、しばし考えるふりをする。どうやら聞き分けてくれたらしい。

 聞き分けてくれるんだ、ということもシエルは意外に思った。

 思ってから、今のは大丈夫だったのだろうかという不安が胸をよぎった。この人に逆らうな、とハリトも言っていたほどなのに。


「ねえ」


 そわそわと落ち着かない気持ちを抑えながら通りを抜け、周囲に人影がなくなるところまで歩いてから、シエルはおそるおそるその横顔を見上げた。


「……領主様のこと、フィンドールさんはどう思ってるの?」

「おや。初めて私(ワタシ)に意見を求めてくださいましたネ」


 そう言ってシエルを見下ろしたフィンドールはにっこりと口角を上げた。

 ああちなみに、とついでに付け足すように言う。


「父親というのはどうしても娘に甘いものです。何しろ、私(・)は(・)貴(・)女(・)を(・)愛(・)し(・)て(・)い(・)る(・)の(・)で(・)す(・)か(・)ら(・)。世間様より向けられる視線に私(ワタシ)が疎いことはもはや耳に痛いほどの事実。対して目に入れても痛くないほど可愛い娘にその点を鋭く指摘されたとあれば、甘んじて受け入れ善処するほかないでしょう?」

「そ、そう……? なら、いいけど……」

「では改めまして、貴女(アナタ)から私(ワタシ)へのご質問に回答を」


 機嫌がいいのか悪いのか正しく推し測ることも難しいピエロの仮面は、あくまで笑顔のまま。

 わざわざ立ち止まって軽く一礼までして、フィンドールは仕える主人に献言するかのように恭しく答えた。


「――亡き奥方を蘇らせるため禁忌を犯し、旧時代の文献に記されたあらゆる儀式を行えど成功の兆しはない。そんな彼がおそらく何者かに唆され、それさえあれば望みを叶える力が得られるものと妄信し、錬金術士彼(・)ら(・)の言う永久機関を作ろうとしていたのではないか、と私(ワタシ)は考えています」


 そしてその言葉には、主人が決してその言葉を無下(むげ)に出来ないほどの説得力があった。

 けれどシエルは主人ではない。何を、どう返せばいいのかわからず反応に困っていると、フィンドールは顔を上げた。


「一ヶ月も知らぬ顔をしていながら、祝祭の日を前にして貴女(アナタ)を取り戻そうとしていたこと。フィニアンさんが持っていたおそらく本(・)物(・)の(・)永(・)久(・)機(・)関(・)を奪った後、道ですれ違った貴女(アナタ)に気づかなかったはずがないのにそのまま捨て置いたということ。――そもそも何のために貴女(アナタ)を必要としていたか、そしてなぜその必要がなくなったのか、という点から導き出された至極単純な推理の帰結に過ぎないのですけどネ」


 シエルの顔には大きな疑問符が浮かんで見えたことだろう。

 おそらく核心をついたことを言っている、ということは何となくわかるのだが、話が難しすぎるのだ。

 そんなシエルを一瞥し、フィンドールは「コホン」と咳払いした。


「念のためご説明いたしますが――エネルギーを無限に生み出す永久機関というものは、世(・)界(・)の(・)法(・)則(・)に(・)反(・)す(・)る(・)た(・)め(・)に(・)実(・)現(・)不(・)可(・)能(・)とされています。しかし昔、その不可能を実現するための研究が盛んだった時期がありました。それは定義の永久機関ではなく、あくまで人からすれば永(・)久(・)機(・)関(・)と(・)し(・)て(・)機(・)能(・)し(・)て(・)い(・)る(・)としか思えないもの。要はいくら使っても回復し、繰り返しエネルギーを供給することができる、人より寿命の長い消耗品。フィニアンさんが生きていた時代よりさらに古い旧時代には、そういったものを作る技術が確かに実在していたのです」

「……?」

「エー……つまりですネ?」


 間違いなく、シエルは生徒としては落第だった。フィンドールはそれを知って露骨に困ったピエロの顔になり、この不出来な生徒に理解させるにはどこまで噛み砕いて話せばよいのか、ひとまず言葉を尽くすようにして説明を続けた。


「精霊だの何だのというお話の内容をまるで御伽噺のようにお思いだったでしょうが、かつてこの世界にはそのようなものがありふれていた時代があったのですヨ。大地は黄金の光に満たされ、人々はその力による繁栄を享受しておりました。しかしフィニアンさんが仰っていたように、その力はある時期から急速に失われ始めた。そのとき、枯渇した力を補うための新しい動力機関が必要になったということです」


 それはおとぎ話などではない。

 悪魔が語る作り話か、法螺吹きの妄想だ。

 シエルは眉をひそめつつも、とにかくその話を結び合わせて、理解しようと試みた。


「……それが……その、永久機関(えいきゅうきかん)?」

「その通り。ただし彼らはいつも文献を読み違えています。その正しい材料は人間の心臓などではなく、魔女の心臓です」


 フィンドールの言葉はシエルの胸をぞっとさせた。

 それは先刻、フィニアンが語った話の断片を目の前に拾い上げてみせたかのようだった。

 凍りつく町を守るために土地の力を強くする道具を作り、それを彼に預けたのだという冬の魔女。

 この町で語り継がれてきたあの物語は、ただの物語であって。

 そこには真実など何一つ語られてはいないのだと、シエルが頭の中でその記述を確かめようとした聖典の書を閉じるみたいに。


「特別な力を持った魔女の肉体から心臓を取り出し、肉体が滅んだ後もその力だけを永久的に利用するため魔術的に鍛造された特別な人工遺物(アーティファクト)。それこそ錬金術士たちが求めてやまない旧文明の遺産――〝アンブロシアの果実〟と名付けられた悍ましい半永久機関の正体なのですヨ」


 フィンドールはそう言って、不意に立ち止まった。

 大通りから離れて人気のない路地に入り、さらに道が分かれたところで。


「どう、したの?」


 シエルが不安になってたずねると、フィンドールは無言で考え込むような素振りをみせる。

 それから、独り言にしては大きな声で呟いた。


「もしもしハリト君、この道はどちらに進めば? ……ハリト君?」


 ――どうやら、知らぬ間に彼と話していたらしい。

 いや。話していた、というより。


「……後は自分で? もう無理? またそんなつれないことを」


 その様子を見て、おそらく彼に道を教えてもらっていたのだ、とすぐに察しがついた。どうやっているのかはわからないが、彼ならきっとそういうこともできるのだろう。

 しかし、これ以上はそれをすることができない、ということのようだった。


「ウーム……雪というのはそんなに厄介なのですかネ? まあ、何とかなるでしょうが……」

「フィンドールさん、大丈夫?」


 怪しくなってきた雲行きを心配するように声をかけると、困り果てた顔をしていたフィンドールはさっと笑顔の仮面に付け替えてこちらに向き直った。

 満面の笑みで。


「誠に申し訳ありません。実を言いますと私(ワタシ)、旅先ではとりあえずハリト君に道を隈なく覚えていただき目的地まで案内(ナビゲート)させるようにしておりまして。地図など見る気も覚える気もないのです。お嬢サン、ここからどの道を行けば伯爵のお屋敷に辿り着けるかご存知ですか?」

「し、知るわけないよ……っ?」

「そうですよネェ。いやあ、困りましたネェ」


 あくまで笑顔のまま、うーんうーんと仮面をコツコツ叩きながら唸っていたフィンドールは、ふと思いついたようにパチンと指を鳴らした。


「ああ、そういえばフィニアンさんがいるではないですか。貴方(アナタ)、その姿でも道案内くらいはできるでしょう?」

「え?」


 シエルは驚いた。

 今の今まで、まったく気づいていなかった。


「ふぃ、フィニアン、いたの?」


 ハリトのところに置いてきたはずだったのに、頭の上に乗ってついてきていたらしい。あまり重さを感じないので気づかなかったのだ。

 ぱっと頭の上から降りてきた黒い鳥は、思わず差し出したシエルの手の甲の上に留まった。

 薄青色の目がシエルを見つめ、何かの意思表示をするように羽ばたく。案内なら任せて、と言っているのだろうか。

 場違いな鳴き声が聞こえたのはそのときだった。


 ――みゃあ。


 え、とシエルは振り向いた。

 探すまでもない。雪で真っ白になった細い通りの道の真ん中に、その猫は行儀よくお座りしていた。


 ふさふさとしたクリーム色の毛並み。翡翠色の目。


 どうしてこんなところに、と戸惑うシエルをじっと見つめているのは、どう見てもケルシーだった。

 ケルシーはひょんと尻尾を揺らしたかと思うと立ち上がってこちらに背中を向け、小気味いい足取りで駆け去っていく。

 どこかへと続く、この通りの向こうへ。


「……そっちなの?」


 問いかけるように呟くと、ケルシーはそれが聞こえたのか立ち止まって振り向いた。

 翡翠色の両目がこちらを見ている。

 また、尻尾が大きく揺れる。

 シエルはフィンドールの顔を見上げた。

 フィンドールは心なしか面白がるように首を傾げてみせた。


「追いかけてみます? いいですヨ。もしかしたらお屋敷まで案内してくれるのかもしれませんしネ?」


 フィニアン、と呼びかけてみると、黒い鳥は返事をするように小さく羽ばたいた。

 なぜかはわからないけれど、何となくわかった。教えてくれている。導かれているのだと。

 きっと、シエルが向かうべき場所へ。



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