26.秘密の囁き
「ねえどうしましょう、薪が足りないわ」
「教会で人死にが出たって本当?」
「祝祭の人出にそなえて今月多く発注した分、これじゃあとんだ大損だ。誰が責任を取ってくれるんだ」
「あの人たち、どうするの?」
「ほらほら坊や泣かないで。だいじょうぶ、だいじょうぶ」
「やめておけ、この雪じゃあ街道は使えん」
「こんなことは今まで一度もなかった。きっと、何かの罰が……」
「外に出ちゃだめよ。悪い冬の魔女がかわいい子を探しているの。外に出たら、おまえも北の山にさらわれてしまうのよ――」
商会の建物に避難した旅芸人のテントのいくつかが積雪の重みでぐしゃりと潰れ、民家の中では赤子が泣いている。近所の年寄りの様子を訪ねに行く人がいる。店を開けるべきか開けるべきか。こんな時期に雪が降るのはおかしい。教会の神父を問い詰めようと暴動まがいの騒ぎが起きかけていたが、年長者の取り成しが入って事なきを得た。多くの人はありったけの薪と毛布を用意して、この雪が止むのを待っている。七年に一度の祝祭を楽しみにしていた子供たちはこの状況に困惑し、天使様を見に行くのだと駄々をこねて。大人たちは口々に、冬の魔女の呪いではないかと噂する。これはきっと数ヶ月前の事件のせいだ。教会の神父様は何をしているのか。領主はまだ出てこないのか。このままだと今年の作物はどうなってしまうのか。いつになったらこの雪は止むのか――――……
――――降り積もる雪のせいか、じっと耳を澄ませても遠くの音はあまり聞こえない。
聞こえてくるのは時計塔広場の周辺で起きている騒動、民家の中での話し声、人の行き来が絶えた大通りの静寂の気配。
広場の片隅に鎮座するガルガンチュアの中はまるで外の世界から隔絶されているかのようだが、災いは常に町の外からもたらされる。こんなものが広場にいつまでも停まっていれば、不安に陥った町の人々の疑いの目がやがて集まってくるだろうことも想像に難くない。
「きみは座らないの?」
純度の高い宝石のような薄い青の視線を受けて、ハリトは首を横に振った。
雪解けの春を思わせる、澄んだ響きの柔らかな声がよく似合う、大層綺麗な顔をした青年だ。
黒髪は特にクロアドゥールではありふれたものだが、これほど濡れた艶のある漆黒というのはさすがに珍しい。肌の白さも陶器かと思うほどで、汚れの一つもなく、透徹の冬空を照らす月のように際立つ双眸の青、睫毛の先まで精緻に計算を尽くして造形されたようなその顔貌は、それが生きた人間のものであることさえ疑わしい。
生身の人間ではない。きっと精霊の化身に違いないと、一目見たときから思っていた。
『僕のことまで助けてくれてありがとう。きみの耳はとてもよく聞こえるようだから、僕の声もきっと聞こえると思ったんだよ』
――と、頭の中にひそやかな言葉が伝わってくる。
人間の言語に依らず、相手の心に自分の思いを直に伝えるその声は、古い精霊たちが使う言葉だ。
フィンドールが頭にのせて連れ帰ってきたあの黒い鳥は、精霊の言葉を使ってハリトに話しかけてきた。
『やあ、こんにちは。聞こえるならどうか返事をしてほしい』
一目見たときからそうではないかと思っていたから、さしたる驚きはなかった。
教会に向かって飛んでいった鳥の翼のはばたきも、その後の出来事も、すべてこの耳で聞いていたから。
ただ、これから探すはずだった相手のほうがこちらを訪ねてきたことに意表を突かれて驚いた。
『……あなたは何者なんだ?』
同じように言葉を返すと、黒い鳥は明らかな喜色を表して言った。
『ああ、よかった。この姿でいると僕の声は人には聞こえないんだ。聞こえるということはやっぱり、きみもどこか遠い土地からやってきた精霊の仲間なのかな』
『精霊であれば土地から離れて旅をすることはできない。俺は人間の言葉を話すことができない代わりにあなたたちと話すことができるだけで、人間の仲間だよ』
『そうなんだ。でも、そんなきみがいてくれて本当によかった。ほんの少しでいいから、あの石を分けてほしいんだ』
『あの石?』
『フィンドールさんに見せてもらった、この馬車を動かすための石だよ。あれはただの燃料じゃない、今この土地からどんどん失われている力とよく似たもので出来ている。とても貴重なものだとわかっているけど、僕はこのままだともうすぐ消えてしまうから、どうか助けてほしい』
黒い鳥は切実な思いをこめてそのように懇願し、ハリトはそれを聞き入れた。
そうして第五元素石を一粒分け与えてもらった彼は、消えつつあったという小さな鳥の姿からあの美しい青年の姿を取り戻し、彼が大切にしていた少女との再会を果たしている。
『あなたの身に何が起きたかは知っている。あのとき奪われたものが何なのか、今この土地に何が起きているのか教えてくれないか』
助けた見返りを求めるわけではないが、ハリトは彼にそのことをたずねた。
まだ状況を理解できていない少女と隣り合って座った彼は、おそらく彼にとっては精霊を助けた者に与える当然の見返りとして、こちらを見ることなくその問いに答える。
『僕の中にあったのはこの土地に力を送り続けるための心臓。もうずっと、思い出せないくらい昔から』
あふれる感情を抑えきれず今にも泣いてしまいそうな少女をあやしつつ、薄青色の目はちらとこちらを一瞥した。
話す声は春のようにやさしいが、その目も顔も、冷たい冬の色そのものだ。
彼は言った。
『とっくの昔に死んでしまったこの土地は、彼女が作ったあの心臓がなければ、もう二度と春を迎えることができないんだ』




