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星のアンブロシア  作者: 榑井タキ
第七章 家無し少女と黒い鳥
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25. 鳥籠の外へ

 この寒さで弱っている、というわけではなさそうだった。


 ひとまず鳥の餌になりそうなものとしてハリトが豆を砕いて与えてみたが、それをついばもうとする様子もなかった。世界中を旅したというフィンドールも見たことがない種類の鳥だと言い、シエルの肩の上はよほど居心地がいいのか奇妙なほど大人しくて、鳴きもしない。


 このままでは身動きできないのでとりあえずテーブルの上にでも降ろそうと、止まり木代わりに差し出した手の甲にひょいと乗り移ってくれはしたのだが、それ以上はなぜかシエルから離れようとしない。


 それに何より、この聡明な知性さえ感じる薄青色の目。

 濡れたようにつややかで真っ黒な羽根。

 どことなく、何となく、似ている。何だか懐かしいような気さえする。

 不思議な鳥だった。


「フーム……」


 結局シエルの肩の上に落ち着いた鳥を、フィンドールはまじまじと観察している。そんなに近づかれるとシエルのほうが落ち着かないのだが、肩の上の鳥はそれでもまったく平気なようだった。


「――もしや貴方(アナタ)、フィニアンさんですネ?」


 と、フィンドールが鳥に向かって大真面目にたずねた瞬間、どきりとした。

 そんなシエルの反応を見てか、フィンドールはアハハと声を立てて笑う。


「なーんて、冗談ですヨ。まさかそんなことがあるわけ……ネェ? それともまさか、この町ではそういうこともあったりするんです?」


 軽やかに笑い飛ばしたかと思えば慎重に念押しするように確認されて、シエルは首をぶんぶん横に振った。


「わ、わたしにきかれても」

「しかし野生でこれほど人に懐く鳥は非常に稀ですヨ。どこかで飼われていた鳥が籠から逃げてしまったか……はたまた、ただの鳥ではないのか」


 相変わらず、思わせぶりなことを言う人だ。

 でも、シエルは確かにどきりとしてしまった。だって明らかに普通の鳥ではないことくらいシエルにもわかる。その目を見ていると、もしかしたらこうして人間同士が会話する言葉を理解しているのではないか、という気さえしてくるほどに。


「……ねえ、フィニアンなの?」


 と、小声でたずねてみる。あまりにも馬鹿げた問いかけだ。でも、どう考えてもそんなわけがないのに、なぜかそうたずねたくなる。

 もちろん鳥は何も答えないが、まるで返事をするように小さな身体をこすりつけてきた。やっぱり、言葉がわかるのかもしれない。


 ――この子、どうしよう。


 ひとまずシエルは困った。何しろ、離れてくれない。きれいで大人しくてかわいい鳥なので、怖いとか痛いとかそういった意味で本当に困っているわけではないけれど、いかんせんどうすればいいかわからない。


「ハリト」


 と、シエルはやはり彼のほうに助けを求めてしまう。眉をハの字にして困り果てたシエルの顔を見て苦笑したハリトは、何かを考えているようだった。

 さっきは豆を持ってきてくれた。少し待っていろ、というような手振りをして、ハリトはその視線をフィンドールのほうに向けた。


「ハイ、何でしょう。……ハア? 第五元素石(ティンクトラ)?」


 フィンドールは頓狂な声を上げた。シエルは発せられた声の大きさにびくっとしたが、それでも鳥は動じない。


「何を仰るかと思えば。そうホイホイと誰にでも何にでも分け与えていい物ではないのですヨ。ええ、そりゃあ貴方(アナタ)は勿論おわかりでしょうけれど。こちらのお人形サンに誤解されてしまっては困ります。アレは決して鳥の餌などではありませんからネ?」


 と、困り顔のピエロの仮面がこちらを見た。

 お人形さん。自分を指してそう言われたことに、昨夜ほどの衝撃を受けることはなかった。それはもう受け入れるしかない事実だから。……きゅっと小さく唇を噛み、思わず下を向いてしまっただけで。


 いま二人の間で交わされたのは、人形(わたし)が動くために必要だというあの赤い石の話だ。結局のところあれが何なのか、シエルはよく理解できていない。光の粉みたいになって身体の中に吸い込まれ、シエルの身体にとっては何よりの糧になるらしいというあれが、本当に石なのかどうかも。


 それを、この子に?


 まったくしょうがないですネとぼやきつつ、フィンドールは懐からきれいな光沢のある絹の小袋を取り出した。この人の持ち物はどうやらいちいち上質で、袋の口を締める紐にも銀と宝石の飾りがついている。シエルの視線に気づき、フィンドールはさっと手かざしで笑顔の仮面に変えてからにこやかに言った。


「お嬢サン、これは貴女(アナタ)用ですヨ」

「え?」

「中身は一日に必要な量を一粒として一月分。毎日服用するお薬のようなものです――と、言い表したほうがよいでしょう? 如何(いか)な私(ワタシ)とて、自ら告げた真実によって幼気《いたいけ》な少女が悲嘆に暮れる様を見て愉しむ趣味があるわけではありませんからネ。まあぶっちゃけますと昨夜ハリト君にものすごーく怒られたんですけどネ? お詫びの印といっては何ですが、せっかくですので薬袋も心ときめく意匠を凝らした特別な物に。如何でしょうか、お嬢サン?」

「……もらっていいの?」

「ええどうぞ」


 胸をドキドキさせながらおっかなびっくり受け取ると、手のひらの上にのせた袋には何とも心地良い手触りとずっしりした重量がある。一日一粒と言うように、中にはあの石を小さくしたものがたくさん入っているようだ。

 紐に通されているビーズは深い青の宝石で、野バラのような銀の飾りもかわいい。「わあ……」と、つい見惚れてしまった。

 ウフフ、とフィンドールは満足げに笑った。


「お気に召したようで何よりです。ただし、絶対に中身を他人の手に触れさせてはいけません」

「う、うん。わかりました」

「よろしい。さもなくば、その人は最悪死に至ることになりますからネ」

「え?」


 顔を上げると、そこには道化師の満面の笑みがあった。

 けれど今、おそろしい言葉を聞いたような。

 聞き間違いではなかった。くっきりと口角を上げた笑顔で、フィンドールは言った。


「その石を構成している物質は貴女(アナタ)のような特別な機械にとって最良のエネルギーを秘めていますが、それそのものが人体にとっては極めて有害なのです。ついでに申し上げておきますとクロアドゥールにおける第一級の秘匿指定製造物ですので、これを製造・所持することはもれなく違法。議会の定めた法律では死罪に相当します。まあ国外ですので監視の外ではありますが、うっかり落とした一粒が何かの間違いで市場に流れてしまえば一大事です。管理取り扱いにはくれぐれも厳重にお気をつけ下さいネ?」

「! そ、そんなの……」


 受け取れない、とたちまち青くなったシエルは薬袋を返そうとしたが、一度受け取ってしまったためか、フィンドールはパッと両手を広げて受け取ろうとしなかった。


「ええ、そんなのもちろんご不安でしょう? ですので私が今後半永久的に貴女(アナタ)を手元に置いて丁重に大切に管理して差し上げても構わないのですが、貴女(アナタ)はただの自動人形ではなく、あくまで一人の意思ある少女であるという点を誰かさんが頑なに譲らないもので。これからどうするか、それについてもお嬢サン自身が決めること。貴女(アナタ)が教会に帰るという選択肢をコチラで勝手に取り上げてはいけないそうですから、その場合の餞別も兼ねた贈り物としてご用意した次第です」


 思い切り当てつけがましくそう言って大袈裟に肩をすくめ、「ねえハリト君?」とその誰かさんに顔を向けたフィンドールに釣られるようにして、シエルも彼のほうを見た。

 二人分の視線を向けられたハリトはそっと溜息をついた。エメラルドグリーンの目がこちらを見る。


『きみが眠った後に話したことだよ。いずれにしても今すぐ考えて決めなければいけないことではないから、今後のことについてはひとまず置いておけばいい。ただ、その袋は受け取っておくことを推奨する。一日分の消費量といっても昨日のように活動が想定を超える場合もあるのだから、万が一のためにきみ自身で備えておくべきだ。労働用の自動人形であれば別だが、おそらくきみはもともと長く歩いたり走ったりするようには造られていない。そういったことは、心音を聞いていればわかる』

「そう……なの?」


 予想外のことを言われて、シエルは目を丸くした。ハリトは頷いた。


『ただの自動人形であれば壊れても直して替えが利く。二度と直すことも造ることもできないほど精巧なものであれば、それはもはや美術品だ。ただそこにあればよい物に運動機能を持たせる必要はないし、あるとしても最低限だろう。万が一にも遠くへ逃げ出したりなどできないように』


 遠くへ。

 つまりは、籠の中で飼うためだけの鳥に、強く羽ばたくための翼も長く飛ぶ力も不要だと。


 確かにシエルの脚は貧弱だ。実際に昨日だって、がむしゃらに走るとあっという間に体力が尽きてしまった。考えてみればその前も何度か、ちょっと体を動かしただけで疲れてへたりこんでしまうことがあったので、ハリトの言う事は当たっているのかもしれない。

 心音。この胸の中にある、心臓のような何か。手を当てるとトクトク脈打っているのが伝わってくる。まさかこの人の耳には、これが音として聞こえているというのだろうか。

 ハリトはシエルの手の上にある薬袋を指さした。


『だから、それはきみが思うように歩いたり走ったりするためのお守りとすればいい。確かに禁じられた品ではあるがきみを助けてくれる物だ。少なくとも、また倒れてしまうかもしれない、という心配はせずともよくなる』


 どうやらシエルのことをよく見て――というより。この身体の音をよく聞いて、考えてくれたことらしい。

 服の中で懐中時計の鎖がこすれる音がした。ずっと大切にしてきたそのお守りは、けれど、この身を守ってくれる物ではない。

 いま新しく与えられたこれがシエルを本当の意味で守ってくれる物なのだと、彼は言う。

 シエルは薬袋をじっと見つめ、震える思いでこわごわと胸に押し抱いた。


「……フィンドールさん、ありがとう。だ、大事に……します。絶対、なくさないように」


 きちんとお礼を言おうとしたのだが、受け取った物が物だけにやはり怖くて、声は緊張して上擦った。

 その返事を待っていたように、フィンドールはにっこりと笑みを大きくした。


「ウフフ、どういたしまして。たまには善い事をするのもなかなか気分が良いものですネ。昨日もお伝えしました通り、勿論お代は結構ですヨ。――というわけでわざわざ塊を持ってくるのも面倒ですので、試しにその中から一粒出して鳥サンにあげてみてくださいナ」

「えっ、あ」


 くるりと話題を翻すようにしてそう言われ、シエルはハッと身じろいだ。あまりに大人しいので肩の上にいる鳥の存在を忘れかけていた。そう、この子にあの石を、と。――本当に?


「で、でも……あげてどうするの? 大丈夫なの?」

「さあ? 私(ワタシ)が思いついたわけではありませんからネ」


 困惑するシエルに、フィンドールは飄々と答える。

 人間の身体にとって有害だというものをこんなに小さな鳥に与えるなんて、シエルにはその意味がわからない。そもそもこれは鉱物で、食べ物ですらないのに。

 それを提案したという彼のほうを見ると、ハリトは落ち着いた声で言った。


『大丈夫。その賢い鳥は自分で判断するだろう』


 どうやら、ただの思いつきで言っているわけではなさそうだった。

 誠実な彼の言葉を疑う気にはなれないが、さすがに半信半疑の気持ちで、シエルはおそるおそる薬袋の口をゆるめてみる。


「ああお嬢サン、一粒だけですヨ。貴女(アナタ)自身でうっかり吸収してしまうおそれがありますから自分の口は開けないように。ちゃんと離して。そう、そのように」


 と、横合いからあたふたと慌てているのかおどけているのか口を出してきたフィンドールの指示に従って、ざらりと鳴る袋の中身を手のひらに一粒出した。昨日見たままの綺麗な赤い石だが、鑿(ノミ)で適当に削った昨日の切片と違い、親指の爪ほどの大きさにカットされている。表面に施された無数の切子面(ファセット)が光を屈折させて内側から輝いているように見え、シエルの手のひらの上で本物の宝石のような煌めきを放っていた。

 鳥は興味を持ったのか、じっとそれを見つめている。


 ――もっと、近くに。


 声なき意志が伝わってきた気がして、シエルは手の上の宝石を鳥に近づけた。

 すると。

 赤い石は仄かな燐光を帯び、音もなく霧散する光の粒子となって、黒い鳥のくちばしに吸い込まれていった。

 その瞬間、シエルは時が止まったかのように錯覚した。


 ふわり、と。


 肩にそっと留まっていた細い脚の感触が、誰かのやわらかな手指の感触に変わる。

 まるで象牙細工のように白くてほっそりした指。その、優しい手つき。

 にわかには信じられず、震える手で確かめるように、後ろから肩に置かれたその手にふれる。それは決して幻などではなく、ちゃんとふれることができた。


「心配をかけてごめんね、シエル」

「……!」


 耳元に囁きかける声とその吐息を感じた瞬間、消えてしまったりなどしないようにその手をしっかりとつかまえて、弾かれたように振り返る。

 シエルの肩に手を置いている彼は、振り返ればすぐそばに。

 まるで、迷子の子供を迎えにきたかのように。

 ほかの誰かと見間違えようもない、魂を奪われるほど綺麗な黒髪の青年の優しい面差しが、そこにあった。


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