23. 言葉なき祈り
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もう誰の顔も見たくなくて自分の部屋に閉じこもっていると、間もなくドアをノックする音がした。
「アルド、開けてもいいですか」
近づく足音で先にわかっていた。神父様だ。わざと返事をしないでいると、ドアに向かって溜息をつく気配があった。――開けないほうが悪いみたいな気がして、アルドは仕方なくドアを開けた。ありがとう、と微笑んで部屋に入ってきたマリエル神父を、どんな顔をして見ればいいのかわからなかった。
「さっきはみんなも聞いていましたから、嘘をついてしまいました。私を許してくれますか、アルド」
「……やだよ。あいつが家に帰ったなんて、なんでそんな嘘ついたんだよ」
並んで座って話をするのなんていつぶりだろう。たぶん一年前、はじめて教会にきたとき以来だ。しかしアルドはマリエル神父の顔を見ることができず、抱えた膝に額を押し当てた。
「祝祭のお祈りにはあいつもくるって、昨日の夜に言ってたじゃんか。じゃあ、それも嘘だったっていうのかよ」
「アルド」
「あいつ、一人でいるときもちゃんとお祈りしてたし、真面目に本を読んでてえらかったんだ。聖堂でお祈りするのも、天使様の花を見るのも、絶対楽しみにしてたのに」
言っているうちに、悔しくて涙がにじんできた。涙はそのままズボンの膝に吸わせた。なぜか降り続く雪のせいで窓が凍った部屋は冷え切っており、ひどく寒い。マリエル神父は震えるアルドを暖めるように抱き寄せて、両腕でしっかりと抱きしめた。
「きみがそんなふうにあの子のことを気にかけてくれていたことは、きっとあの子にも伝わっていましたよ。……守ってあげることができなくてごめんなさい。あの子がいなくなってしまったのは、あのとき引き止めることができなかった私のせいです」
「! なんで……あのときって、いつだよ」
「許してくださいとは言いません。あの子は何も悪くない。すべて私の責任です」
まるで懺悔するような発言に、アルドは思わず目を剥いた。
やっぱり、何かがあったのだ。あのときとはきっと、あの後に違いない。
不気味な男がやってきて、神父様が追いかけていって、その後に。
アルドはマリエル神父の腕を引きはがすようにして抱擁から抜け出し、やっとその顔を見た。
「なあ神父様。おれ、誰にも言わないから、何があったのか教えてくれよ。フェリクスのやつが言ってたこと、全部ほんとなのか?」
柔和な顔立ちでいつもやさしい顔をしているマリエル神父の表情は、アルドにそう言われてこわばった。
他人づてに聞いた話は信じない。自分で見たものか、本人に直接聞かなければ、本当のこととは言えないからだ。
でもあの男のことを思い出すとどうしても恐ろしくなって、アルドは確かめに行けなかった。
あくまでいつも通りの様子を装ってシスターの代わりに夕食を作っていたけれど、神父様は血まみれだったとフェリクスは言っていた。あのときと食堂に現れたときとで服を着替えていたことに、アルドは気づいていた。
聞くのはこわいが、知らなければいけない。神父様の身に何があって、そのせいで、あの子がどうなってしまったというのか。
「…………」
しかし、問われたマリエル神父はそうするしかないかのように押し黙る。もどかしくて、アルドはその胸を叩いてしまいそうだった。そんなことをしても神父様は答えてくれないだろう。いつもは何でも教えてくれるのに、どうしてそんなに頑ななのか、それさえ教えてくれない。
そのとき不意に、ひたと足音もなく何かが後ろに立った気配を感じた。
「フィニアン……?」
と、マリエル神父はそばにいるアルドの存在も忘れたように呟いた。
アルドは「え?」と驚いて振り向いた。
そこには確かに、見慣れた青年が佇んでいた。
黒い服に黒い髪。部屋の暗がりの中からぼんやりと浮かび出たみたいに、いつの間にかそこにいたフィニアンは、あのきれいな薄青色の目でこちらを見つめていた。
「……フィニアン、どうして」
マリエル神父の声は震えた。アルドはわけもわからず、二人の顔を交互に見た。
フィニアンは少し申し訳なさそうに、仄かな微笑を浮かべた。
「心配をかけてごめんね、エリオット」
その唇が紡いだのは、輪郭を失ったかのように透明な言葉だった。
一歩近づいてきたフィニアンはそっと手を伸ばし、神父様の頬にふれた。
信じられないというように、神父様はその手にふれた。
しかし、ふれることはできなかった。
夜目のきくアルドは、その指先が透けていることに気づいてぎくりとした。
心臓が止まるかと思ったが、フィニアンはそんなアルドに微笑み、マリエル神父にひどく優しい目を向けて言った。
「もうこの姿できみのそばにはいてあげられないかもしれない。でも、きっと何とかするよ。僕の心配はしなくていいから、きみは子供たちが怖い思いをしないように守ってあげて。……それだけ伝えにきたんだ」
それではまるで、お別れの言葉だ。
微笑んだ顔は泣いているように見えた。
涙は流れていないのに。
本当の笑顔を薄い氷に透かし見るような、どうしようもなく寂しい微笑だった。
「フィニアン」
マリエル神父は今までずっとこらえていたかのように名前を呼んで、彼に向かって何かほかのことを言いかけたのを引っ込めて、頷いた。わかった、と伝えるように。
その手が離れていくのを、アルドはただ見ていた。
話しかけようとしたが、うまく声が出なかったのだ。早く、早く何か言わなければと焦っていると、目が合った。
「アルド、あの子なら大丈夫だよ。この雪が止んだらきっとまた会える。だからそれまで毎日きちんとお祈りして、神父様を困らせないようにね」
フィニアンは夜風よりもささやかな声でそう言って、笑う。
わからない。
何が起きたのか、何が起きているのか、何もわからない。
でも、その笑顔はだんだんと薄れていく。このままだと消えてしまう。
いなくなってしまう。
そんなのは、いやだ。
「待って……!」
伸ばした手は空をつかんだ。
両目からあふれた涙が頬をすべり落ち、板張りの床に点々と染みを作った。
信じられなかった。
まるで幻みたいに、その姿はかき消えてしまった。
アルドは慌てて部屋の中を探したが、確かにそこにいたはずの青年の姿はもうどこにもいない。どういうことなのか聞こうとしてマリエル神父のほうを振り向くが、神父様も呆然と虚空を見つめるばかりだった。
「……フィニアン兄ちゃん」
今のは、幻だったのだろうか。
でも、あのきれいな顔も話し方も、笑い方も間違いない。それなのに。
それとも最初から、全部が幻だったというのだろうか。
マリエル神父は急に身体のバランスを崩したかのように、半ばベッドから転げ落ちるようにして床に膝をついた。あっ、とアルドは思ったが、神父様はそのまま両手を組んで静かに祈り始めた。教会の神父様ではなく、ただ一人の敬虔な信徒として。祈祷の言葉もない、聖典の書には載っていない、たぶん神父様のほかには誰も知らない、そんな祈りを。
アルドは、何一つ理解することができなかった。
あの子は大丈夫だと言っていた。
ただ、その言葉の確かな響きだけが、頭の中にいつまでも残っていた。




