21. 神父様の嘘
「わあ……しんぷさま、ゆき!」
ふと窓の外を見た小さなアンが歓声を上げた。
シスターが体調を崩して寝込んでしまったという理由で、今日はマリエル神父が子供たちの夕食を用意していた。まだ手伝いができない小さな子たち――アン、ジョルジュ、ノエの三人は食堂の片隅で遊んでいたのだが、窓の外に降り出した雨がいつの間にか雪に変わったのを見て驚き、無邪気に喜んでいる。
「え……もう春なのに、なんで……?」
「……祝祭が中止になっちゃったからかなあ」
テーブルの上にパンとシチューを運んでいたネルとニナは気味悪そうにしている。先ほどマリエル神父から子供たちに、今年の祝祭は中止することになったと伝えられた。七日間のお祈りはもうしなくていいし、大変な準備もしなくていい。明日からはまたいつも通りの日常に戻る――のではなく、できるだけ外に出ず、部屋の中で静かにお祈りしながら過ごすようにと。賑やかで楽しいはずの祝祭とはまるで正反対のことを急に言われて、何も知らない子供たちは戸惑っていた。
何かが起きた、ということを実際に知っているのはアルドとラセルだけだった。しかしシスターの悲鳴が聞こえたあのとき、絶対に外に出るなという言いつけを破って様子を見に飛び出していったフェリクスがそこで見てきたものをみんなの前で興奮気味に話したせいで、ジローとピエリック、ネルも暗くこわばった顔をしている。
聖堂の前に大きな血溜まりがあって、誰かが殺されたのかもしれないとか。
神父様の服が血塗れになっていたとか。シスターは気でも狂ってしまったのか、その場で一心不乱にお祈りをしていたとか。
そんなわけのわからない話ばかりが聞こえてきて、ラセルは耳を塞ぎたいくらいだった。いつもは元気のいいアルドも、さすがに顔色が悪く無言だった。
あの喪服姿の男は本当に領主様だったのだろうか。あのあと、一体何があったのだろうか。あの男の顔を思い出すと何だか恐ろしくて、口は石のように重くなり、神父様にたずねる勇気もなかった。きっと、たずねても教えてはもらえないだろう。
「……帰ってこれんのかな、あいつ」
と、アルドが誰にも聞こえないほど小さく呟いた。それを聞き止めたので、ラセルはさすがに「だいじょうぶだよ」と返してやった。
フィニアンもまだ帰ってきていない。この雪を見ていると、暗い空と同じ色をした不安と心配が胸を覆っていくようだ。
「雪、ですか……」
夕食の用意を終えたマリエル神父は、食堂に入ってくるなり窓の外を見て呆然としていた。ように見えた。
しかし一つ溜息をつくと、「服が血塗れになっていた」というフェリクスの証言はみんなの注目を集めるためのデタラメだったに違いないと思わせるくらい、いつも通りに笑って子供たちに呼びかけた。
「さあみんな、今日は鶏肉のシチューを作りましたから。冷めないうちに食べましょうね」
「はーい」
カチャカチャと食器の鳴る音が響く。子供たちはみんな決まった席につくが、今日はシスターとフィニアンがいない。シエルが食堂にこないのはいつものことだが、アルドはそんなテーブルを見て思うところがあったようで、食前の祈りを始めようとしたマリエル神父に向かって言った。
「なあ神父様、フィニアン兄ちゃんとシエルが帰ってくるまで待ってやらないのか?」
その言葉が発された瞬間、子供たちもしんと静かになった。
正直なところ、シエルのことをそこまで気にしてあげているのはアルドだけだ。あの子は普段居間や食堂にやってくることもないから。中にはあの目をひどく不気味がって怖がっている子もいる。でも、いなくなってしまったということはみんな知っているので、食堂には気まずい空気が流れ出した。
「…………」
マリエル神父はアルドの真剣な顔をじっと見つめて、ほんの一瞬睫毛を伏せてから、穏やかに答えた。
「実は先日、シエルにはご家族から手紙が届いたのです。なので今日、フィニアンが元の家に送り届けてあげることになったのですよ」
「そ、そんなの聞いてねえよ。一言もなしで行くなんておかしいじゃんか。祝祭が終わってからでもよかっただろ!」
「アルド」
やめなよ、とラセルは思わず口を挟んだ。下手な嘘だということは誰が聞いても明らかだった。嘘をついてはいけないといつも子供たちに説いている神父様が嘘をついたということは、何かよほどのことがあったのだということは嫌でもわかる。おそらく、子供たちの前では絶対に言えないようなことが。
その異様さをみんなも感じたのか、誰も、何も言えなくなった。
何かがあったということは明白なのに、きっとみんな、何があったのかたずねることが恐ろしいのだ。
アルドはそのまま黙りこんで、悔しそうに食堂を出ていってしまった。フェリクスが追いかけようとしたが、マリエル神父がそれを止めて席を立った。
「私が行きます。ほら、今日はみんな疲れてお腹が空いたでしょう。食事を終えたら、今夜はゆっくり眠るんですよ」
そう言い残して、神父様はアルドの後を追っていく。足音は建物の外ではなく、自分の部屋に向かっていったようだ。まさかこの雪の中、あの子を探して外に飛び出していくのではないかとラセルは焦っていたが、ひとまずほっとした。
ほっとして、いいのだろうか。
あたたかな湯気を立てているシチューをスプーンですくって一口だけ食べてみても、何だかあまり味がしない。
きっとあの子はもう帰ってくることはないのだろう。
何となく、それだけはわかる。
どうして突然そうなったのかはわからない。そもそもあの子はラセルたちとは違う事情で教会にやってきたので、もしかしたら本当に家族が迎えにきたのかもしれない。でも、たぶん、本当のことではないのだろう。
ずっと、気味が悪いと思っていた。いなくなったというならやっと安心できるはずなのに、なぜか胸の中がもやもやしている。
もしかしたら、話せば仲良くなれたかもしれない。あまりにもおとなしくて、人に嫌われるような性格の子ではなかったとは思っている。遠目に何度か見かけたけれど、気難しいケルシーもあの子には不思議と懐いているようだった。
でも、ラセルは怖かった。
今こうして降っている雪だって、もしかしていなくなったあの子が何か関係しているんじゃないかとか、そんなふうに考えてしまう。
「……まさか、もうフィニアンさんも帰ってこないなんてこと、ないよね?」
マリエル神父がいなくなってから、ネルがぽつりと言った。
それを聞いたピエリックが「えっ」とスプーンを取り落とした。すると、フェリクスがひどく思い詰めたような顔をした。
「あの血、まさかフィニアン兄ちゃんの……」
「やめてよフェリクス。いま、ごはん食べてるんだよ」
アルドがいないと、この中では一番上がフェリクスとネル、その次にラセルという年の順番になる。小さい子たちが怯えているので、ラセルが会話を止めざるをえなかった。ちがう。自分がその話をこれ以上聞きたくないし、そんなことを考えたくもなかった。
――フィニアンが殺された?
そんな馬鹿なことがあるものか。あの人こそ優しくて、いつも子供たちの面倒を見てくれて、人に嫌われたり恨まれたりする理由なんてない。そう思いながらも、一度その想像に至ってしまうと、スプーンを持つ手が震えて仕方なかった。
重苦しい空気に堪えられなくなったのか、アンがとうとう泣き出した。隣に座っているニナとジローが一生懸命それをなだめて、ネルがフェリクスを叱る。ますます空気が悪くなる。ああ、もうやめてほしい。
(早く帰ってきてよ)
と、ラセルは心の中で訴えた。
窓の外の雪は止まない。
それどころか、どんどん強くなる一方だった。




